第16回 認知症の人とのかかわり方のヒント(6)−暴力的な面が出た時
本人の立場で考えるのは原則だけれど…
認知症に対するパーソン・センタード・ケアは、これまでケアする側を中心にしてきた介護姿勢を、「される側」の気持ちに重点をシフトして考える画期的な「ものの見方」をわれわれに提示してくれました。「センター方式」もその考えに沿ったもので、ケアを受けている人の気持ちを十分にくみ取ることの大切さを、私たちに示してくれました。
この流れはかつてカール・ロジャースが相談者(クライアント)中心のカウンセリングを展開したのと同じように、当事者や家族の気持ちを尊重することの大切さを私たちが再認識する機会になりました。私たちが支援職として、また家族としてケアする場合にも、できる限り認知症の人の気持ちや立場に立って考えることが大切なのは、改めて語るまでもありません。
しかし一方で、この考え方はあくまでもケアの原則に対するものであって、時には原則通りにならないことを私たちは実感しているはずです。認知症の人は病気によって周囲の者には理解できないような体験をしています。たとえ事実とは異なるとしても、家族の誰かに大切なものを盗られたと本人が実感したならば、怒り、興奮することは当たり前の反応です。そう説明されれば、そのことは良く理解できます。認知症の人は悪意をもって家族のことを疑っているのではないのですから、その疑いを向けられた家族がその人の「疑いの気持ち」を大きな心で受け入れてあげられれば、混乱した状態は改善していくはずです。
この流れはかつてカール・ロジャースが相談者(クライアント)中心のカウンセリングを展開したのと同じように、当事者や家族の気持ちを尊重することの大切さを私たちが再認識する機会になりました。私たちが支援職として、また家族としてケアする場合にも、できる限り認知症の人の気持ちや立場に立って考えることが大切なのは、改めて語るまでもありません。
しかし一方で、この考え方はあくまでもケアの原則に対するものであって、時には原則通りにならないことを私たちは実感しているはずです。認知症の人は病気によって周囲の者には理解できないような体験をしています。たとえ事実とは異なるとしても、家族の誰かに大切なものを盗られたと本人が実感したならば、怒り、興奮することは当たり前の反応です。そう説明されれば、そのことは良く理解できます。認知症の人は悪意をもって家族のことを疑っているのではないのですから、その疑いを向けられた家族がその人の「疑いの気持ち」を大きな心で受け入れてあげられれば、混乱した状態は改善していくはずです。
混乱している人に対してできること
たしかにその通りです。混乱した認知症の人の言動に対して家族や周囲の者が過敏に反応すると、その雰囲気が本人を余計に興奮に導いてしまいます。そのように否定的な非言語的メッセージをなくすることで、その人の穏やかな生活を支えることができます。
ただし、それには限度があります。認知症の病気の面が最も激しく出ている時、周囲の者がそれをやさしく受け止めようと努力しても、それができないほど興奮し、周囲に暴力的な面を出す時期があります。そのような状態まで混乱するのは、全ての認知症の人の約30%なのですが、そうなっている人を前にして私たちにできることは、
ただし、それには限度があります。認知症の病気の面が最も激しく出ている時、周囲の者がそれをやさしく受け止めようと努力しても、それができないほど興奮し、周囲に暴力的な面を出す時期があります。そのような状態まで混乱するのは、全ての認知症の人の約30%なのですが、そうなっている人を前にして私たちにできることは、
(1) | とにかくその人の安全を確認した後に、その人の前から立ち去ること |
(2) | しばらくしてから、まるで何事もなかったかのように再度かかわっ てみること、言い換えればスイッチを切り替えて、本人も私たちも「やり直してみる」ことです。案外、何事もなかったかのように事が進むかもしれません。 |
それでもだめなほど暴力的な面が表面に出ている場合には、私はBPSDを抑えるためにごく少量の薬を使っています。
次回は「薬を使うのは抑制じゃないか!」について考えましょう。
次回は「薬を使うのは抑制じゃないか!」について考えましょう。