フィギュアスケートと通訳ボランティア
埼玉県・行木康雄さん(75歳)
私の今日までの人生を振り返って健康について語る時、フィギュアスケートと語学を抜きにしては語れません。
フィギュアスケートで健康維持
私は大学でスケート部に在籍していたことから、1979年10月に縁あって練馬区スケート連盟の会長から声がかかり、副会長となりました。それ以来29年間、連盟の役員(フィギュア、スピードのコーチ)とともに、練馬区民の健康とスポーツ振興のため、初心者(主に小学生)を対象にボランティアで指導してまいりました。ウインタースポーツシーズンに毎年約160名の生徒をもちました。
このように、私がフィギュアスケートの技術を維持することと、小学生と接することにより、元気と若さをもらってきたことが、今ある自分の体と健康に大いに役立っております。
このように、私がフィギュアスケートの技術を維持することと、小学生と接することにより、元気と若さをもらってきたことが、今ある自分の体と健康に大いに役立っております。
英語とフランス語で通訳ボランティア
一方、語学についてですが、中学・高校・大学と英語を得意としており、初入社も外国の商社であり、転職もしましたが、仕事の根底には絶えず英語がありました。
しかし、私は外国語はいまや英語だけの時代ではないと考え、1992年から1999年まで7年間、仕事の傍らフランス語を勉強し、1998年の長野冬季オリンピックでは8日間、英語・フランス語の通訳としてフィギュアスケートの会場であるホワイトリングでボランティア活動をしました。
しかし、私は外国語はいまや英語だけの時代ではないと考え、1992年から1999年まで7年間、仕事の傍らフランス語を勉強し、1998年の長野冬季オリンピックでは8日間、英語・フランス語の通訳としてフィギュアスケートの会場であるホワイトリングでボランティア活動をしました。
新老人の会での活動を通じて
さて、新老人の会についてですが、2004年2月に銀座の教会で初めて日野原先生のお話を聞き、即、入会を決断しました。入会後はすぐサークル活動の中の“英語の会”に入り、皆さんと「英語でトーク」をモットーに、ときどきフランス語の題材も使って、楽しく活動をしております。
また、2005〜2006年には、会員の高橋巌先生(1917年生まれ、日本フィギュアスキー協会会長)の妙高高原でのフィギュアスキー教室に参加し、長さ90cmのスキーでのフィギュアも堪能しました。91歳の高橋先生の域まではいきませんが、体得したつもりです。
また、2005〜2006年には、会員の高橋巌先生(1917年生まれ、日本フィギュアスキー協会会長)の妙高高原でのフィギュアスキー教室に参加し、長さ90cmのスキーでのフィギュアも堪能しました。91歳の高橋先生の域まではいきませんが、体得したつもりです。
真の健康維持のために
高齢化がますます進んでいく中にあって、加齢とともに体力、気力、理解力、記憶力、判断力などが減退していくことは、避けて通れない道だと思っております。
人に迷惑をかけないで、たった一回しかない人生を自立して一日でもながく、楽しく過ごしていくためには、体力の維持とともに、認知症対策として、頭の働きを維持していくことが真の健康維持ではないかと思い、私はスポーツと語学を利用してきました。
日野原先生のお言葉の中には、私たちの座右の銘とすることがいっぱいあります。“英語の会”では先生の『100歳をめざすために心にとめておきたい100のキーワード』の英語版で勉強いたしましたが、100は到底無理のようですが、できるだけ近づけるべく努力をしております。
人に迷惑をかけないで、たった一回しかない人生を自立して一日でもながく、楽しく過ごしていくためには、体力の維持とともに、認知症対策として、頭の働きを維持していくことが真の健康維持ではないかと思い、私はスポーツと語学を利用してきました。
日野原先生のお言葉の中には、私たちの座右の銘とすることがいっぱいあります。“英語の会”では先生の『100歳をめざすために心にとめておきたい100のキーワード』の英語版で勉強いたしましたが、100は到底無理のようですが、できるだけ近づけるべく努力をしております。
(2008年5月15日)