大変さばかり強調されることの多いケアマネジャーの仕事。でも、そのなかには、大変さ以上の魅力がつまっています。「難しい……」を「面白い!」に変えるヒントを一緒に探していきましょう。
第13回 虐待──かもしれない
「利用者の身体に痣が見つかった」「家族から邪険にされている」──こんな話を聞いたとき、皆さんはどう思いますか? サービス事業者から、「虐待かも……」という情報が寄せられたら、どうしますか?
皆さんにまず理解していただきたいことは、たとえ「殴ったこと」が事実だとしても、それが「虐待」かどうかは、ただちにはわからないということ。そして、虐待されているかもしれない利用者と虐待しているかもしれない息子は、今後も家族であり続けなければならないということです。
もう少し丁寧にお話ししますね。いつもは仲がいい家族でも、もめごとは起きますよね。けんかをしたら思わず大声を出したり、言い過ぎてしまったり。これを、「暴言」とか「心理的虐待」とは言いませんよね。しかしその状態が長引き、思わず口から出るのではなく、いつも特定の人に大きな声で責めるような言葉や傷つける言葉を浴びせ続けたとしたら、「虐待かもしれない」となってくると思うのです。──あくまでも「かもしれない」です。これでもまだ虐待とは言い切れないと私は考えています。
なぜ? 感じ方や行動については、その家、その方特有の文化があるからです。生命の危機に直結する場合を除き、「責めるようなものの言い方」や「大声での文句」、あるいは暴力でさえ、最初から虐待と決めつけないようにします。つまり虐待ではない証拠を探すということです。例えば、文句を言われている利用者さんの態度や表情はどうかを観察して、負けずに言い返したりどこ吹く風と受け流していたら、もう少し様子を見ようと考えます。また、家族にこうした言動をさせてしまう理由があるようであれば、言わずにいられない背景を理解しようと努めます。援助者がこうしたスタンスに立つことは、「家族が利用者を虐待しているかもしれない」という疑いが態度に出ないように、あるいはそれを悟られない様に気を遣うなどと構える必要がなくなることにつながります。
万が一、生命の危機があると判断し、保護が必要だったとします。でも、危機的な状況を脱出したら、その利用者はどこへ戻るのでしょうか? その方のご自宅、虐待受けていた場所へ戻っていくしかないのです。だからこそ私たちケアマネジャーは、今ある家族の関係を悪化させるような介入ではなく、改善させるようにかかわっていかなければならないのです。すなわち、虐待をしていた「悪い」家族と、虐待されていた「かわいそうな」利用者という表面的な関係性だけで捉えないということです。
介護に疲れ果てて、思うように動いてくれない認知症の母に思わず手が出てしまったのかもしれません。毎回食事を運んでいるのに、本人が「お腹いっぱいだからもうたくさん」と口にする量が少なかっただけかもしれません。手の届くところに水をおいても、トイレに行く手間と身体の負担から飲まずに脱水になったかもしれません。本当は相手のことを大切に思い、懸命に介護したために追いつめられたり、あるいは無知なために結果として「虐待のような状況」に陥っていたのかもしれないのです。もし故意に虐待していたとしても、なぜそのような状況になってしまったかを、それぞれの立場から振り返り、どうしたら関係を改善できるかについて考えるのが、ケアマネジャーの役割ではないでしょうか。
冒頭のような「虐待かもしれない」状況にぶつかったら、まずは、虐待ではないかもしれないということを意識して欲しいと考えます。そして冷静に以下のことに取り組んでいただきたいのです。
(1)実際に起きている事実を自ら、そして周囲の人から具体的に確認する
(2)いつから、どのような時にその事実があるのか、またそれに関連するエピソードを聞いているかを確認する
(3)原因となる可能性をできる限り列挙し、関連を検討する
(4)それまでの家族や関係者との関係(感情、経済、支配など)について整理する
(5)虐待であるとする人(例えばサービス事業者など)に、その根拠を求める
繰り返しになりますが、虐待と決めつけて介入するのではなく、利用者の危機的状況を見極めつつ、「虐待ではない」ことの証拠を捜していくことが大切です。虐待になるかもしれない可能性には敏感に、しかし疑われるような場面においては、そうではないと信じて行動する──これが、ケアマネジャーに求められる対応なのです。
皆さんにまず理解していただきたいことは、たとえ「殴ったこと」が事実だとしても、それが「虐待」かどうかは、ただちにはわからないということ。そして、虐待されているかもしれない利用者と虐待しているかもしれない息子は、今後も家族であり続けなければならないということです。
もう少し丁寧にお話ししますね。いつもは仲がいい家族でも、もめごとは起きますよね。けんかをしたら思わず大声を出したり、言い過ぎてしまったり。これを、「暴言」とか「心理的虐待」とは言いませんよね。しかしその状態が長引き、思わず口から出るのではなく、いつも特定の人に大きな声で責めるような言葉や傷つける言葉を浴びせ続けたとしたら、「虐待かもしれない」となってくると思うのです。──あくまでも「かもしれない」です。これでもまだ虐待とは言い切れないと私は考えています。
なぜ? 感じ方や行動については、その家、その方特有の文化があるからです。生命の危機に直結する場合を除き、「責めるようなものの言い方」や「大声での文句」、あるいは暴力でさえ、最初から虐待と決めつけないようにします。つまり虐待ではない証拠を探すということです。例えば、文句を言われている利用者さんの態度や表情はどうかを観察して、負けずに言い返したりどこ吹く風と受け流していたら、もう少し様子を見ようと考えます。また、家族にこうした言動をさせてしまう理由があるようであれば、言わずにいられない背景を理解しようと努めます。援助者がこうしたスタンスに立つことは、「家族が利用者を虐待しているかもしれない」という疑いが態度に出ないように、あるいはそれを悟られない様に気を遣うなどと構える必要がなくなることにつながります。
万が一、生命の危機があると判断し、保護が必要だったとします。でも、危機的な状況を脱出したら、その利用者はどこへ戻るのでしょうか? その方のご自宅、虐待受けていた場所へ戻っていくしかないのです。だからこそ私たちケアマネジャーは、今ある家族の関係を悪化させるような介入ではなく、改善させるようにかかわっていかなければならないのです。すなわち、虐待をしていた「悪い」家族と、虐待されていた「かわいそうな」利用者という表面的な関係性だけで捉えないということです。
介護に疲れ果てて、思うように動いてくれない認知症の母に思わず手が出てしまったのかもしれません。毎回食事を運んでいるのに、本人が「お腹いっぱいだからもうたくさん」と口にする量が少なかっただけかもしれません。手の届くところに水をおいても、トイレに行く手間と身体の負担から飲まずに脱水になったかもしれません。本当は相手のことを大切に思い、懸命に介護したために追いつめられたり、あるいは無知なために結果として「虐待のような状況」に陥っていたのかもしれないのです。もし故意に虐待していたとしても、なぜそのような状況になってしまったかを、それぞれの立場から振り返り、どうしたら関係を改善できるかについて考えるのが、ケアマネジャーの役割ではないでしょうか。
冒頭のような「虐待かもしれない」状況にぶつかったら、まずは、虐待ではないかもしれないということを意識して欲しいと考えます。そして冷静に以下のことに取り組んでいただきたいのです。
(1)実際に起きている事実を自ら、そして周囲の人から具体的に確認する
(2)いつから、どのような時にその事実があるのか、またそれに関連するエピソードを聞いているかを確認する
(3)原因となる可能性をできる限り列挙し、関連を検討する
(4)それまでの家族や関係者との関係(感情、経済、支配など)について整理する
(5)虐待であるとする人(例えばサービス事業者など)に、その根拠を求める
繰り返しになりますが、虐待と決めつけて介入するのではなく、利用者の危機的状況を見極めつつ、「虐待ではない」ことの証拠を捜していくことが大切です。虐待になるかもしれない可能性には敏感に、しかし疑われるような場面においては、そうではないと信じて行動する──これが、ケアマネジャーに求められる対応なのです。