大変さばかり強調されることの多いケアマネジャーの仕事。でも、そのなかには、大変さ以上の魅力がつまっています。「難しい……」を「面白い!」に変えるヒントを一緒に探していきましょう。
第10回 「暮らし」と「生きる力」の見積もり
あなたがケアマネジャーとして下の事例のような方を担当した場合、どのように判断するか考えてください。
80歳の夫と78歳の妻の二人暮らしで、子どもはいるものの離れて暮らしており、日常的な支援は得られない。夫は耳が遠いほかは特に問題はないが、妻は2年前にALSと診断され、現在要介護1の認定を受けている。二人とも自分たちのこれまでの暮らし方にこだわり、サービスの導入には拒否的であるが、現在は訪問看護のみ受け入れている。このところ、妻が入浴を一人でできなくなってきている上に、嚥下障害も目立ち、訪問看護により点滴を行って水分や栄養を補っている。訪問看護師からは妻が夫に気兼ねして何も頼もうとしない、という情報が寄せられている。ケアマネジャーの目からも夫の独善的な言動につき従う妻という印象が強い。
この夫婦の今後の生活を支援を考えるうえで、皆さんはどこに着目して、夫婦の生きる力を見積もりますか? また、どのようなことがその力を引き出すと思いますか?
まず、この夫婦がどのように生きてきたのか、その生き方を継続することが「力」となるのか──この点を手掛かりに考えていきたいと思います。
夫に「独善的な言動」があり、妻は「それにつき従う」という、この夫婦の生き方をどう判断するかが、力の見積もりに影響します。表面的には少し危うさを感じるところでしょう。妻の状態や能力を無視して夫の決定がなされた場合に、生命に影響を及ぼすことが考えられます。また、妻がこうした生活習慣に対して不満を持っている可能性があり、いつその不満が爆発するかもわかりません。
こうした危うさを押さえる一方で、見逃してならないのはどこでしょうか? 一つには、夫婦の結びつきの見積もりです。互いを大切に思っていれば、たとえ独善的な決定であれ、それは妻のための決定のはずです。ケアマネジャーが情報サポートを行うことで、妻への悪影響は避けられます。また、一見我慢しているだけに見える妻の姿勢が「生き方の姿勢」、すなわち自己実現の発露であれば、不満は生じません。夫の決定を受け入れ、夫を支える妻であり続けたいと願うはずです。
長い歴史を持つ夫婦の生き方を、昨日今日出逢ったばかりの私たちが変えることなどできないことです。だとすれば、まずはその生き方の延長線上に、これからの生活の目標を置かなければなりません。「今までの生き方を否定」され、「新しい生き方を強制」されることによって奪われかねない「生きる力」、これを持ち続けることができるかどうかは相談援助職の姿勢が大きく影響をおよぼしてしまうのです。
えっ、よくわからないって? つまり、この夫妻のケースのような場合、私たちケアマネジャーは表面的な力関係や行動だけで判断し目標を設定するという間違いを犯してしまいがちということです。このような目標ではなかなか同意は得られませんし、効果が上がらないのも当然といえるでしょう。例えば、夫から離れる時間を作るために妻にデイサービスの利用を提案しても、夫に「自分がする」と言われたり、飲み込みやすい食事の指導をしても、夫が作りやすいものや買ってきたものに偏り、妻が嚥下できない食事になってしまう──こんな経験は、ケアマネジャーなら誰しもあることでしょう。
でも、この二人はお互いに相手を傷つけようとしているのでしょうか? 妻は夫に反対できないから黙っているのでしょうか?
どうぞ、自分の価値観から判断するのを止めて、二人のことを見てください。80歳と78歳の夫婦が共に歩んできた年月に思いをはせてください。そして、二人の大切にしていることを想像してみてください。その上でもう一度関係を見れば、どのように「生き続けていきたい」のかが、わかってくると思います。それはきっと初めに思い描いたものとは違っているかもしれません。でも、納得のいくものではないでしょうか?
現在は人の手を借りないと生活が立ち行かなくなっているとしても、高齢者はだてに何十年も生きてきたわけではないはずです。その方の持つ「個別的な」生きる力を探していきましょう。それが、私たちケアマネジャーの専門性といっても良いのかもしれません。
80歳の夫と78歳の妻の二人暮らしで、子どもはいるものの離れて暮らしており、日常的な支援は得られない。夫は耳が遠いほかは特に問題はないが、妻は2年前にALSと診断され、現在要介護1の認定を受けている。二人とも自分たちのこれまでの暮らし方にこだわり、サービスの導入には拒否的であるが、現在は訪問看護のみ受け入れている。このところ、妻が入浴を一人でできなくなってきている上に、嚥下障害も目立ち、訪問看護により点滴を行って水分や栄養を補っている。訪問看護師からは妻が夫に気兼ねして何も頼もうとしない、という情報が寄せられている。ケアマネジャーの目からも夫の独善的な言動につき従う妻という印象が強い。
この夫婦の今後の生活を支援を考えるうえで、皆さんはどこに着目して、夫婦の生きる力を見積もりますか? また、どのようなことがその力を引き出すと思いますか?
まず、この夫婦がどのように生きてきたのか、その生き方を継続することが「力」となるのか──この点を手掛かりに考えていきたいと思います。
夫に「独善的な言動」があり、妻は「それにつき従う」という、この夫婦の生き方をどう判断するかが、力の見積もりに影響します。表面的には少し危うさを感じるところでしょう。妻の状態や能力を無視して夫の決定がなされた場合に、生命に影響を及ぼすことが考えられます。また、妻がこうした生活習慣に対して不満を持っている可能性があり、いつその不満が爆発するかもわかりません。
こうした危うさを押さえる一方で、見逃してならないのはどこでしょうか? 一つには、夫婦の結びつきの見積もりです。互いを大切に思っていれば、たとえ独善的な決定であれ、それは妻のための決定のはずです。ケアマネジャーが情報サポートを行うことで、妻への悪影響は避けられます。また、一見我慢しているだけに見える妻の姿勢が「生き方の姿勢」、すなわち自己実現の発露であれば、不満は生じません。夫の決定を受け入れ、夫を支える妻であり続けたいと願うはずです。
長い歴史を持つ夫婦の生き方を、昨日今日出逢ったばかりの私たちが変えることなどできないことです。だとすれば、まずはその生き方の延長線上に、これからの生活の目標を置かなければなりません。「今までの生き方を否定」され、「新しい生き方を強制」されることによって奪われかねない「生きる力」、これを持ち続けることができるかどうかは相談援助職の姿勢が大きく影響をおよぼしてしまうのです。
えっ、よくわからないって? つまり、この夫妻のケースのような場合、私たちケアマネジャーは表面的な力関係や行動だけで判断し目標を設定するという間違いを犯してしまいがちということです。このような目標ではなかなか同意は得られませんし、効果が上がらないのも当然といえるでしょう。例えば、夫から離れる時間を作るために妻にデイサービスの利用を提案しても、夫に「自分がする」と言われたり、飲み込みやすい食事の指導をしても、夫が作りやすいものや買ってきたものに偏り、妻が嚥下できない食事になってしまう──こんな経験は、ケアマネジャーなら誰しもあることでしょう。
でも、この二人はお互いに相手を傷つけようとしているのでしょうか? 妻は夫に反対できないから黙っているのでしょうか?
どうぞ、自分の価値観から判断するのを止めて、二人のことを見てください。80歳と78歳の夫婦が共に歩んできた年月に思いをはせてください。そして、二人の大切にしていることを想像してみてください。その上でもう一度関係を見れば、どのように「生き続けていきたい」のかが、わかってくると思います。それはきっと初めに思い描いたものとは違っているかもしれません。でも、納得のいくものではないでしょうか?
現在は人の手を借りないと生活が立ち行かなくなっているとしても、高齢者はだてに何十年も生きてきたわけではないはずです。その方の持つ「個別的な」生きる力を探していきましょう。それが、私たちケアマネジャーの専門性といっても良いのかもしれません。