受験勉強はもちろん大事。でも、机に向かって知識を詰め込むだけが取り組み方ではありません。合格者には、独自のアイデア、秘策もあるようです。本コーナーでは、先輩たちが推奨する「合格に役立ったもの」を自由なスタイルで紹介します。
人とかかわる
活力源はボランティア
スペイン語で「SEMBRAR」
“種をまく”ボランティアです。
“種をまく”ボランティアです。
おすすめの理由
写真は、立教大学のボランティアサークル「SEMBRAR」のTシャツです。在学時は、よくこれを着て活動していました。ボランティアは、受験期間中に自分を支えてくれた大きな一つです。特に試験前年の11月から12月くらい、本腰を入れて勉強をしなくてはならない時期にきて、来る日も来る日も座って勉強を続けていると、だんだんおもしろくなくなってきます。学習がそれなりに順調に進んでいても、人とのかかわりがあまりないので、しだいに「オレ、なんのために勉強しているのかな」と思い始めてしまうのです。こういうときにふと、それまで通い続けたボランティア先に行ったりすると、いろんな人が声をかけてくれたり、何か手伝いをしているとそれがすごく楽しかったりで、気持ちがすっきりしました。
ボランティアは自分自身を確かめる場にもなっていたと思います。紆余曲折あって精神保健福祉士を目指すことになって、そうして参加するボランティアのなかで「なんだか楽しいぞ」「やっぱりいいな」と感じられることが、再び「よし、がんばろう」と机に向かう原動力になっていたようです。
この“紆余曲折”は大事だったと、今振り返って思います。今、精神保健福祉士を目指している方も、大それた何かなどなくてもそれぞれ理由をもっていると思います。その確認作業は、もしかしたら目的に向かう力をもたらしてくれるかもしれません。私の経験をお話しさせていただきます。
原点は「笑顔でできる仕事」
私が福祉に関係する仕事をしたいと思った原点は、小学生のときに遡ります。地元で相撲をしていた祖父が、今度老人ホームで相撲の催しがあるからと連れていってくれたとき、介護職のすばらしい「笑顔」に出会いました。子ども心に笑顔でできる仕事っていいなと思い、また一緒に暮らしていた祖父母にかわいがられていたものですから、小学生のときの将来の夢はなんと、「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒にいて、笑顔でできる仕事」でした。中学では早々に高校は福祉科に進むことを決め、高校卒業と同時に高齢者の施設で介護の仕事に就くことを描いていました。ところが、高校に上がって早々に挫折しました。授業で特別支援学校を見学に行ったときのことです。知的障害の生徒にいきなり殴られました。障害が最重度のクラスで一日コミュニケーションがとれず、何をしてよいかわからない自分に、向こうから友好を示そうとしてくれたとホッとした直後の出来事でした。
このとき、あれ?なんか違うぞ、自分が行こうとしている福祉現場ってこういうところなんだろうか、と思いました。小学生のときから将来は福祉の仕事をしますと言って、周りからはえらいねといっぱい言われてきて、自分がやろうとしていることは尊いんだと調子に乗っていて、いざ飛び込んでみたらコミュニケーションすらまったくとれずに殴られている始末です。
結局、2年進級時のコース選択では、介護福祉士の資格を取得できる就職コースに進まず、進学コースを選びました。進学コースでもヘルパー2級は取得できるのですが、ここでも挫折しました。実習で老人ホームに行ったときのことです。教科書に書いてあるようにはおむつ交換ができない。足に拘縮のある方に対してどこまで力を込めてよいのかわからない。もたもたしていて、実習指導者に「なんでできないの?」と怒られました。気を取り直して居室を訪問し、入居されている方に「ゴミ捨てますね」と声をおかけすると、「捨てなくていい!」と言って杖で叩かれました。こちらが想像もしていない反応です。
ここでも思いました。やっぱり思っているのと違う。自分の中では福祉はこういうものではなかったはずだと。この経験からほどなく、福祉が急にイヤになってしまいました。高校に入ってから参加していたボランティアも行きたくない。勉強もしたくないし、福祉に関係するものは見たくもないという一大変化でした。
リストカット、睡眠薬……なぜ?
そのように揺らいでいた時期、私にはまた別のテーマが関心事としてうまれていました。リストカットや売春など少年少女の非行問題です。きっかけは、高校の学級文庫で目にした『夜回り先生』(水谷修)でした。自分と同世代の子たちが手首を切ったり、睡眠薬をたくさん飲んだりしている。なぜ、こういうことをするのだろう。それを知りたいとの思いです。そんな思いが日増しに募っていくなか、いくつかの大学から指定校推薦の話をいただきました。当時、私はとにかく福祉から離れたいと考えていたので、福祉オンリーの学校は辞退して、少年非行に専門のゼミがあった立教大学のコミュニティ政策学科を志望しました。気持ちも新たに青少年問題を勉強するぞと、再スタートする意気込みでした。
ところが、入学していざ授業が始まってみると、自分が求めていたものとはかなり隔たりがありました。私が学びたかったのは、なぜ少年少女がリストカットや睡眠薬に走るのかという、彼ら彼女らの心の問題でした。一方、入学した学科は、問題や犯罪をおこした青少年を社会のなかでどう更正させていくか、そのためにはどんな社会システムや制度が必要かという、まさに政策が的になっていたのです。これではテーマが合いません。
学科の転属を思い立つ
満たされない思いで悶々とした1年を過ごし、2年生になると、友人に誘われて大学のボランティアサークルに入りました。冒頭の「SEMBRAR」です。まだ、福祉を遠ざけたい気持ちは残っていましたが、いざボランティアに参加してみると、「あれ、なんかやっぱり楽しいぞ」と、以前の楽しい気持ちが戻ってきたのです。新鮮な感覚でした。この頃から、学科の転属を考えるようになりました。同じコミュニティ福祉学部の福祉学科です。こちらに移れば、精神保健福祉士の資格取得が視界に入ってきます。私が学びたい少年少女のリストカットや睡眠薬の大量服用は、いいかえれば思春期・青年期の精神障害に連なります。精神保健福祉士の資格を目指せば、この分野を勉強でき、将来の職業選択に活かすこともできる。この思いがしだいに募っていきました。
ただ、どうしても踏ん切りがつきませんでした。教務課に相談に行くと、たぶん卒業できますよと言われるのですが、3年と4年の2年間で学科に規定される科目を本当にすべて履修できるのか不安でした。転科すると、通常は3年のときに行く実習を4年で行って、単位の履修とゼミ論文と就職活動と国家試験があります。前例もないようで、なかなか思い切れませんでした。
「やりたいこと、決まってるんでしょ?」
そんな悩みを抱え込んでいた時期に、ボランティアサークルのOB・OG会がありました。そこで、すでに現場で働いている女性のPSWにお会いしました。将来どんなことしたいの?と訊かれ、実は悩んでましてと状況をお話ししました。お酒が入っていたので内容はよく覚えていませんが、これまでの経緯も含めていろいろお話ししていたようです。すると、その女性はたったひと言、こう言ったのです。「あなた、やりたいこともう決まってるんでしょ?」。この言葉を聞いた瞬間、何かが自分の中に走りました。涙がボロボロと出てきました。そして、気づきました。自分はこの言葉が欲しかったのだと。こういうことを誰かに言ってほしかったのです。
私は腹を決めました。学科を移って、精神保健福祉士を目指そう。転科の申請期限の1週間前の出来事でした。
目指すは精神保健福祉士
大学3年になり、授業三昧の日々が始まりました。残り2年で、福祉学科で修める全単位を取得しなければなりません。単位の申請で入れられるだけの科目を目一杯入れ、月曜から土曜まで週5日、毎日授業が入りました。時間帯も1限(9時〜10時半)の後に5限(16時半〜18時)などコマの入り方がばらばらだったので、大学にいる時間も長くなりました。もちろん、4年生になっても同程度の科目数、ペースです。大学の授業をこなすだけでかなりの時間を費やすこともあって、国家試験対策としての受験勉強にはなかなか着手できませんでした。初めて受験参考書に手を付けたのは大学4年の10月に入ってからです。授業の合間に勉強して、その日の授業が終わったら、大学の図書館で閉館(22時)まで勉強して帰宅する。そんな毎日でした。
つらかったのは、3年のときに学科を転科したことやそもそも精神保健福祉士の資格受験者が少ないことなどから、学習計画のリズムや受験に関する情報を周囲と共有しづらかったことです。立教大学は福祉の現場に就職する学生がそれほど多くないことも関係して、受験が迫ってきている今の状況というこのムードが一様に流れているわけでもありません。だいたい11月を過ぎると、周囲から「卒業旅行はどこに行こうか」とか「じゃあアルバイトしないとね」といった声が聞かれます。「○○の就職が決まったから飲み会しようぜ」なども入ってきます。喜ばしいし喜んであげたいけど、自分はまさに今がんばらないといけない状況で、そこに同じテンションで入っていってしまうと、ぴんと張った気持ちが保てなくなる不安もありました。
毎日授業が入っていたので、否が応でも勉強する時間はつくれてしまう。逆に大学に来ないと遊べてしまうので、その意味ではむしろよい環境だったかもしれません。しかし、周囲の状況や勉強ばかりしている生活から受ける精神的疲労は蓄積されていきます。もうつらい、やりきれないと思うことも出てきました。
そこで、冒頭の「ボランティア」につながるわけです。こちらです。
ボランティアとその仲間
ボランティアサークル「SEMBRAR」は、立教大学にコミュニティ福祉学部が創設されたときに立ち上がった団体で、私の代が第11期です。登録者は私が参加していたときで120名くらいいました。かかわりのあるボランティア先が複数あって、活動の頻度は週1回のところもあれば、月1回のところもあります。ボランティアの参加は自由で、学生が自分の希望や予定と照らし合わせて参加します。地域の退職された方や小中学生、障害者と一緒に模擬店を開いたり、自治会のお祭りを手伝ったりと、内容はさまざまです。私は受験期間の後半も、いつもと変わらずボランティアに参加していました。大学以外では勉強をしていませんでしたから、休日はよくボランティアに行きました。ボランティアそのものが楽しかったのともう一つ、サークルメンバーとのつながりに支えられました。
サークルには私のような地方出身者も多く、皆、志木(立教大学新座キャンパスの最寄り駅)の近くにアパートを借りていたので、それぞれ食材を持ち寄って鍋をしたりしていました。サークルのなかで精神保健福祉士を受けたのは私だけでしたが、福祉学科の学生が多く、共通科目の集中合宿を2泊3日で行ったこともあります。あれには助けられました。
ボランティア先での交流、仲間たちとの交流、それらのなかで遭遇する人間関係の悩みや相談ごと。共有したり、支え合ったりというこの営みのなかから、今つらくなっている受験勉強に再び向かう力を得ていた。精神保健福祉士の受験から約1年経って振り返って思うことです。
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(1)自分自身の原点とここに至る経過を確認する、(2)勉強ばかりしている(せざるを得ない)状況のなかでも人とのかかわりをもつ、が私の経験からお伝えできる「合格者のおすすめ」です。皆様の合格をお祈りします。プロフィール
今井亨(いまい・とおる)さん平成23年度試験合格