受験勉強はもちろん大事。でも、机に向かって知識を詰め込むだけが取り組み方ではありません。合格者には、独自のアイデア、秘策もあるようです。本コーナーでは、先輩たちが推奨する「合格に役立ったもの」を自由なスタイルで紹介します。
場のリアリティを通す
模擬試験に行こう!
工夫を凝らして作りました。
でも、使いませんでした。
でも、使いませんでした。
おすすめの理由
勘違いしないようにお願いします。写真はよくない例です。私が受験期間中に作成したノートで、こんなにきれいに作っても役に立ちませんということをお伝えするために引っ張り出してきました。過去問の間違えたところをコピーしてノートに貼り付けて、そこに教科書に書かれている該当内容を書き写す。強調部分は色分けして、図説化できるものは自分でフローチャートを作成。あとで見やすいように問題単位で1ページ使い、科目単位で管理できることも想定してルーズリーフでファイルする。こうしたことすべてが、私の場合、労力に見合った成果をもたらしてはくれませんでした。なぜでしょうか。答えは簡単、ノートを作ることに力と頭を使いすぎて、作ったものをまったく見返さなかったからです。同様の趣旨のノートを作成して、ものすごく役に立ったという方もきっといらっしゃるでしょう。この方たちは作られたものを活用されているはずです。なんだか当たり前のことを言っています。
ではもう一つ、せっかく作ったものをなぜ一度も見返さなかったのでしょうか。これも簡単、作ったことの達成感が大きくて安心してしまったのです。これがあるから大丈夫だと。
「ノートを作って安心してしまうタイプ」。ああ自分のことだと思われた方、作るのでしたらあとから見返せるものを作らなくてはなりません。あらかじめ、勉強の経過とともに作り上げていく(書き込んでいく)仕様にするとか、作成時に今後くり返し使うのだと自らに強く言い聞かせるとか、そんな計画性と意思の力が必要と思います。
時は12月。国家試験がそろそろ視界に入ろうとしています。勉強が思うように進んでいなければ、今から学力向上のための基礎学習は重たすぎると感じている方もいるかもしれません。ということで、実際的で相応の効果を発揮してくれる「おすすめ」をご紹介しましょう。
これも簡単(3回目か)、「模擬試験を受ける」のです。
「覚悟を確認する場所」へ
私は受験期間中に模擬試験を2回受けました。特に考えがあったわけではありません。勉強が順調に進んでいなかったので気は進みませんでしたが、試験までにできることはしておかなくてはいけないと半ば義務感にかられて受けに行ったのです。会場に着くと、自分と同じく受験を控えている人たちが目に入ります。蛍光ペンで線がびっしり引かれた分厚い参考書を勝手知った手つきで目標とするページを即座に開く人、周りは一切目に入らない様子で暗記モノの確認作業に没頭している人、青白い顔で不機嫌そうな人、友達と受けに来て「できない〜」とかおしゃべりに興じている人、目に映る内容は問わず、これらすべてがプレッシャーです。プレッシャーとして受け取るように、このシチュエーションでの頭の回路がそうなってしまっているかのごとくです。
そういう諸々を目にして、「ああ、やっぱり来るんじゃなかった」。私は当時、そう思いました。そして、こんな遠くまで時間使って、恥ずかしい思い(周りに比べて勉強が遅れているという気後れ)までして、“本当にオレは精神保健福祉士になりたいのか”と自問していました、無意識のうちに。そのとき考えました。どうだろう?……と。すると、“やっぱりなりたい”っていう声が自分の中から返ってきたのです。
模擬試験の結果は散々で、2回とも基準点に大きく届かない成績でした。これはダメだなと思いました。でも、あきらめずに最後までやろうという気持ちになっていました。おわかりでしょう。模擬試験の会場で自分自身の本心を確かめていたからです。
このとき思いました。模擬試験って、自分が本当に精神保健福祉士になりたいのかどうかの覚悟を自分の中で確認する場所なんじゃないかと。試験を受けに行って、結果がどうであれ、そのことを確認しに行くのが大事なんだと思ったんです。その気持ちがなくて続ける努力なら無駄ですから。
この境地に至って、ならば勉強をやろうと、さまざまな誘惑を無理なく振り切って机に向かえるようになりました。あくまでも、それまでとの比較ではありますが。そして、国家試験当日はあまり周囲が気にならなくなっていたようです。結局、自分との闘いになってくるわけで、周りの受験者や合格率などは関係ないのです。
「言える友達」を
国家試験が迫ってくると、ある程度勉強ができていても、不安になったり言いようのない閉塞感に苛まれたりと、精神的に疲れてきます。そこで、もう一つのおすすめ。「容易じゃないときに、容易じゃないとちゃんと言える友達を見つけること」です。私はとにかく成績がよくなかったので、年末から正月にかけて追い詰められていました。ゴールは目の前に見えているのに、やらなくてはいけないことが山のようにあって、進まない、終わらない、どうしようと。部屋に閉じこもって勉強しなくてはいけないけどできない、どうしていいかわからない。つらい状況を脱したのは友達と会ったときでした。「容易じゃねえんだよ」「オレも。なかなか厳しいよな」。こんな何気ないやりとりの後、なんとなくもうちょっとやれそうかなと楽になれたのです。
あのとき早いうちに誰かに会っておけばよかったなと、つくづく思います。しかし、本当につらいときというのは、こういうことを思いつかないものです。よくない状況から一時的に逃げられるようにする一つの方法として、気持ちを吐露できる友達に会う、そういう友達を見つけておくことをおすすめします。
劣勢のなかに可能性
成績がよくなかったとくりかえしお伝えしているように、国試本番の手応えは「撃沈」でした。試験会場を出ると雪が降っていて、みんなと同じバスに乗るのがいやで、一人で歩いて帰りました。自己採点はせずに結果を待つなか、試験に落ちた夢をしょっちゅう見ました。ですから、合格を知ったときは、別の夢をみているのかと思ったくらいです。何を言いたいかって。今、成績が芳しくない方たちにも等しく可能性はあるということ。そのことを信じて、あきらめずにがんばってください。応援させていただきます。
プロフィール
平成10年度(第1回)試験合格
関東学院大学法学部卒。大学卒業後、建築資材の営業を3年経験。そのなかで、新たに建設する老人ホームの衛生設備の提案・搬入にかかわる仕事を担当した。車椅子の人が自分の姿全体を見られる傾斜状の鏡や調光機能のついた照明、抗菌加工の便座など、入居者の快適さを考えての各種提案は楽しかった。しかし、竣工した建物が認知症の人の施設と知ったとき、ある種のショックを受けた。トイレがどこにあるのかわからない方たちであれば、設備がよいだけではダメ。それらを使うというところにまでかかわる形で、自分が役立てる場所はないものか、欲しいと思った。そんな折、新聞広告で目にしたのが「精神保健福祉士」という資格の誕生、そして、専門教育を1年間受ければ受験資格を得られるとの報だった。すぐさま行動を起こし、日本福祉教育専門学校に入学。福祉に関して無学であればこそ勉強に集中する必要を感じ、建築業は退職しての一念発起だった。翌年の第1回国家試験に見事合格し、その春、実習先だった西熊谷病院(埼玉県熊谷市)に就職した。入職と同時に開設した地域生活支援センター向陽の立ち上げにかかわり、以来、同部署を拠点に精神障害者支援に携わる。趣味は転職後に目覚めた読書。愛読書は高倉健の『あなたに褒められたくて』。横山秀夫、山崎豊子の小説にも目がない。好きなものは、美術館に絵画を観に行くこと。東山魁夷作「年暮る」、ジョルジュ・ルオー作「優しい女」が特別な2枚。きらいなものは、ゴキブリと人ごみ。「長い時間がかかるのですが、人(精神障害者)は変わっていくと思うんです。だんだんお互いをわかっていけるようになるんです」と日々の経験を糧にたゆまぬ前進を志向する39歳。