受験勉強はもちろん大事。でも、机に向かって知識を詰め込むだけが取り組み方ではありません。合格者には、独自のアイデア、秘策もあるようです。本コーナーでは、先輩たちが推奨する「合格に役立ったもの」を自由なスタイルで紹介します。
ポジティブにいく
ガッツ&サポーター
日本で二番目に高い北岳から
富士山を望む。最高です。
富士山を望む。最高です。
おすすめの理由
南アルプスの「北岳」から富士山を撮った写真です。朝、ピカーッと太陽に照らされるのを見て、心底きれいだと思いました。美しさもさることながら、この一枚は特に印象に残るものでした。アルプスの初体験は、山の厳しさを知る登山だったからです。予定は一泊二日の南アルプス縦走。北岳は最初に険しい登りが続きます。途中でバテてしまい、頂上に着いたときは体力を使い切っていました。運が悪いことに、ちょうど登りきったあたりから天候が悪くなり、雨が降って霧が出てきました。風も出てきて、まもなく数歩前が見えない状況になりました。道が見えず、強風にあおられ、ペースは落ち、たぶんこっちの方角だろうと徒行を進めますが、いっこうに山小屋は見えてきません。到着を予定していた夕方5時を過ぎ、6時を過ぎ、7時が近づいてきた頃でした。突然、目の前に山小屋の赤い屋根が現れました。濃い霧の中を歩いていたので、そばまで近づかなくてはあることに気づけなかったのです。このときの安堵は筆舌に尽くし難いものでした。
難しい状況があっても、打開の手立てが見つからなくても、思いもよらず道は拓けることがあるという例です。このことは、私が臨んだ精神保健福祉士の受験にもなぞらえることができるように思います。試験本番を間近に控え、「ダメかな」と弱気になっている方へのエールも込めて、私の経験プラスおすすめをお届けします。
ねらいは「精神」一本
最後のプロフィールで紹介いただいているように、私が「精神保健福祉士」という資格を知り、この取得を志したのは28歳のときです。福祉とは縁遠い仕事を約5年勤め、むろん、福祉に関する知識は皆無でした。一から学ぶ気持ちで仕事は辞め、福祉系大学に3年から編入してスタート地点に着きますが、道のりは平坦ではありませんでした。勉強とあわせて生計を立てる必要があったため、大学の授業の合間を縫って、コンビニとガソリンスタンドのアルバイトをしました。午前はコンビニに行って、午後から授業、夕方はガソリンスタンドという具合です。大学の授業は、所定の科目単位を2年間で履修する必要性から4年生でもたくさん入っていて、毎日ほとんど隙間のない生活でした。大学が休みの土日は基本、ガソリンスタンドです。
資格受験については当初、精神保健福祉士と社会福祉士の両方を考えていました。しかし、勉強していてこれでは時間が足りないと思い、途中で社会福祉士の受験は捨てることにしました。2つ受けてどちらも落ちたら意味がないからです。
受験勉強の教材も絞りました。中央法規の受験ワークブックと過去問の2種類です。ワークブックは、重要項目の解説部分を何度も読んで、最後のチェック問題をやって間違ったところに正しい解答を入れ、解説に戻って読み返し、また解いて、それを内容面の理解もあわせて引っかかりがなくなるまでくり返すという方法です。ほかの教材には手を出さず、模擬試験や受験対策セミナーは受けませんでした。
国家試験は、共通科目が微妙でしたが、まずまずの感触がもてる出来栄えでした。合格を知ったときはホッとし、と同時に、いろいろ乗り越えてやりきったことの大きさを実感しました。山登りといっしょです。
やってみなけりゃわからない
精神保健福祉士の資格をとろうと思って大学に入り直して4年に進級したとき、「ちょっとやばいかな」と感じました。授業の単位を取得し、実習、卒論、国試対策をしていかなければならない。でも、自分はバイトを減らすわけにはいかない。それでも、目標を見据えてできることを始めました。もしこのとき、できるかできないかを天秤にかけて、その後の行動を選択するということをしたら、やっぱりやめるという答えが利口なのかもしれません。しかし、この場合は、精神保健福祉士の資格を手にすることはありませんでした。初めから結果がわかっていることなどありません。険しい山だと思っても、山岳縦走は厳しいと思っても、一歩をふみ出しそれを積み重ねて、アクシデントに見舞われもうダメかと思って最後は踏破することはあるのです。ですから、今、追い込みの勉強につらい思いをされている方も、やるだけやってみて、それぞれの結果を手にしていただきたい。これが一つです。
応援してくれている人がいる
もう一つは、身近な人の力です。ガソリンスタンドの所長らは、私のがんばる気持ちを後押ししてくれました。生活が厳しかったら、もっと(バイトに)入れるようにするぞとか、試験前は、勉強のときは無理するなとか、シフトは組み替えられるからいいんだとか、いつも応援してくれていました。大学に同期で編入した仲間4人にも支えられました。私と同じ一般企業からの転職組で、境遇も似たり寄ったりで共有できる思いがありました。勉強の進み具合を確認し合ったり、図書館に集まって勉強したり、心強い同志でした。私がくじけずに最後までやり通せたのは、この方たちのおかげです。限られた時間のなかで集中して勉強しなければならない環境は、やがて生活のメリハリとなり、変化と慌ただしさが逆に気分転換になりました。焦りはありましたが、仲間の存在がこの焦りを前に進む力へと変えてくれました。こういう身近で応援してくれている人の存在を感じてほしい。これがもう一つです。そんな人いないと思っても、誰もが誰かとかかわりながら生活しているなら、人がいないことはないと思います。感じられるか、気づけるかということもありそうです。ぜひ、見つけてください。応援してもらえていることを感じると、楽になれて力が出てきます。
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最後にもう一枚。トップの写真で富士山を望んだ「北岳」自身です。中央の赤い屋根が、冒頭のくだりで登場した山小屋。見晴るかす稜線が壮観です。やっぱ最高です!プロフィール
葛原史博(くずはら・ふみひろ)さん平成15年度(第6回)試験合格
大学卒業後、民間企業の経理職を6年経験。この間、数社を転職した。事務が中心となる仕事柄、人との接点は少なく、やがてそのことにストレスを感じるようになり、孤立感を募らせた。そんな折、思い起こされたのは、学生時代に引きこもり傾向にあった友人や過食症の知人の存在だった。当時は深く考えなかったこれらが自分自身の境遇や心理状態と重なり、うつ病や摂食障害など人の精神にかかわる問題に関心をもつようになった。ほどなく辿り着いたのが、これらの支援に携わる「精神保健福祉士」という職種。この専門資格を志し、28歳のときに職を辞して関西福祉大学社会福祉学部に編入した。2年後、見事に合格をはたし、精神科病院のソーシャルワーカーとして入職。約4年勤めるなか、今度は病院からの社会復帰のあり方に疑問をもつようになった。自分がしたいこととのギャップを拭えず、一転して重度障害や難病の人を支援する訪問介護事業所の介護職に就いた。地域で生活する人の支援に至近距離でかかわりたかったのが理由。1年後、滋賀県立精神保健福祉センター(滋賀県草津市)に就職。精神科の救急情報センターやPSWによる地域精神保健活動など、今後機運を高めていこうとする滋賀県の構想に惹かれたのが大きかった。その後、3年を経て現在に至る。好きなものは、ミッションを操り一体感を味わえるマニュアル車とバイクの運転。愛機はマツダの6速スポーツ仕様車、大型二輪はカワサキ・ニンジャ。きらいなことは、ネガティブな発想思考。「やりたいと思ったら、やってみる。やらないで後悔はしたくない。PSWは環境整備や資源の発掘など、創り上げていかなければいけない。大変ですけど、おもしろいかな」と心意気満点の39歳。