「できるだけ時間や労力をかけずに合格したい!」。これは全受験生に共通する願いでしょう。この連載では、指導した受験生を全員合格に導いた実績をもつ筆者が編み出した「効果的学習法」を紹介していきます。
第4回 決意を表明する
腹を決めて、誓いを立てる
試験勉強を行う際に何よりも重要なことは、自らに対する「決意表明」だ。中途半端な気持ちで始めたら、中途半端な結果しか出てこない。だから、「絶対に合格する!」という誓いを立てる。紙に書いて目につくところに貼り出しておくのもよし、家族や仲間に誓うのもよし。その誓いを「頭の中だけ」にとどめるのではなく、「認識可能な形」にして表現することが重要だ。
自分や仲間、あるいは家族に誓いを立てたら、神社・仏閣にも誓っておこう。近くの神社へ出かけて、神や仏に誓う。賽銭をケチってはいけない。おみくじを引き、「運勢」と「学問」を見る。この時、大吉である必要はない。先祖の墓前にお参りして花を供えるとなお良し。
そして、「私は腹を括りました。最後まであきらめずに頑張り通します。見守っていてください」と謙虚に、神や仏に誓うのである。
宮本武蔵が書いた書物に「五輪書」* がある。武蔵が執筆に取り組んだ時、何より先に天に向かって手を合わせ、「きっとこの書を見事に書き上げます!」と志を誓った。そして、観音菩薩に祈り、「なにとぞ最後までトラブルなく書き上げられますように」と祈った。素晴らしいのは、神仏に「お願いする」のではなく、「努力する」ことを誓った点である。
受験生はとかく「神頼み」をしたくなるものだ。しかし重要なのは、「やり続ける」こと。「努力」を継続すること。武蔵は、そういう姿を「見ていてください」と天にお願いしたのだ。
友人や知人、ご先祖さまや神様に誓いを立てたら、あとはひたすら努力する。努力は、ガツガツやってはいけない。知識を少しずつ積み重ねていく要領で、コツコツやる。この先、努力することに疲れることもある。そういうときに戻る場所として「認識可能な決意表明」が必要なのだ。
自分や仲間、あるいは家族に誓いを立てたら、神社・仏閣にも誓っておこう。近くの神社へ出かけて、神や仏に誓う。賽銭をケチってはいけない。おみくじを引き、「運勢」と「学問」を見る。この時、大吉である必要はない。先祖の墓前にお参りして花を供えるとなお良し。
そして、「私は腹を括りました。最後まであきらめずに頑張り通します。見守っていてください」と謙虚に、神や仏に誓うのである。
宮本武蔵が書いた書物に「五輪書」* がある。武蔵が執筆に取り組んだ時、何より先に天に向かって手を合わせ、「きっとこの書を見事に書き上げます!」と志を誓った。そして、観音菩薩に祈り、「なにとぞ最後までトラブルなく書き上げられますように」と祈った。素晴らしいのは、神仏に「お願いする」のではなく、「努力する」ことを誓った点である。
受験生はとかく「神頼み」をしたくなるものだ。しかし重要なのは、「やり続ける」こと。「努力」を継続すること。武蔵は、そういう姿を「見ていてください」と天にお願いしたのだ。
友人や知人、ご先祖さまや神様に誓いを立てたら、あとはひたすら努力する。努力は、ガツガツやってはいけない。知識を少しずつ積み重ねていく要領で、コツコツやる。この先、努力することに疲れることもある。そういうときに戻る場所として「認識可能な決意表明」が必要なのだ。
「来年があるさ」はやめよう
「来年があるさ」とつぶやく一群に出会うことがある。謙遜と社交事例で言っている人もいるが、なかには本気でそう考えている人がいる。この人達に、私は受験を勧めない。
なぜなら、この人達は、(1)「合格率」を下げている当事者であることに気づいていない、(2)真面目に受験しようとしている人たちに失礼(=邪魔)である、(3)「国家試験」にどれだけ多くの人達の協力が必要なのか気づいていない、(4)「国家資格」と「アクセサリー」を同じ次元でとらえている。
この人達が「たまたま合格する」ことがある。しかし、その仕事ぶりをみていると、いつまでたってもPD(ペーパードライバー)でしかない。右から左に事を動かしただけで、「仕事をした“つもり”」になっている。クライアントに対する尊敬や信頼は、いつまでたっても持てない。この仕事に対する「本気」を、自分の中に感じることができていないのだ。
大げさな言い方かもしれないが、資格試験に合格するということは、法制度によって与えられた使命を遂行する責務を負っている。単純に考えて欲しい。もしあなたがサービスの受け手だったら、このような人達に「介護してほしい」と思うだろうか。
なぜなら、この人達は、(1)「合格率」を下げている当事者であることに気づいていない、(2)真面目に受験しようとしている人たちに失礼(=邪魔)である、(3)「国家試験」にどれだけ多くの人達の協力が必要なのか気づいていない、(4)「国家資格」と「アクセサリー」を同じ次元でとらえている。
この人達が「たまたま合格する」ことがある。しかし、その仕事ぶりをみていると、いつまでたってもPD(ペーパードライバー)でしかない。右から左に事を動かしただけで、「仕事をした“つもり”」になっている。クライアントに対する尊敬や信頼は、いつまでたっても持てない。この仕事に対する「本気」を、自分の中に感じることができていないのだ。
大げさな言い方かもしれないが、資格試験に合格するということは、法制度によって与えられた使命を遂行する責務を負っている。単純に考えて欲しい。もしあなたがサービスの受け手だったら、このような人達に「介護してほしい」と思うだろうか。
* 長尾剛『宮本武蔵が語る五輪書』(PHP文庫、2008年)