今回はいよいよ最終回。ナツさんの事例をとおして、利用者がもつ自己資源や社会資源の可能性やつながり、広がりのもたせかたについて考えていきます。
[NEW]第13回 事例から学ぶ…生活(いき)ること支援の第3ステップ【最終回】
〜自分らしく生き、活き、逝くための社会資源
ナツさんがもつ自己資源(生活(いき)る力)という社会資源にも注目!
生活(いき)ること支援で重要なことは、相手のもつ自己資源(生活(いき)る力)を見逃すことなく、最大限に活かしていくということです。
自己資源には、生活していく上で必要なその人自身の能力(ADLやIADL)と、これまで培ってきた知識やさまざまな社交術、さらには人間関係なども含まれます。ナツさんのように混乱している状況だけをみてしまうと、ありがちな「認知症だから(しょうがいない)ね…」という偏った見方になってしまいます。しかし、その混乱の理由には「安心」したいという思いがあるのです。その証拠が、本人が自分の状況について納得できたと同時に、実は次の準備をナツさん自身がしていたという事実です。私たち専門職は、表面にみられる事実のみで判断していくのではなく、事実の内面にある事柄を察していく視点や姿勢が必要なのです。
ナツさんの場合、私はナツさんと出会ってからこれまでの時間、ナツさんの人となりの「なじみ」ある生活背景をアセスメントしてきたことで、ナツさんに秘められている生活(いき)る力をナツさんと共にさまざまな場面で確認をしてきました。
自己資源には、生活していく上で必要なその人自身の能力(ADLやIADL)と、これまで培ってきた知識やさまざまな社交術、さらには人間関係なども含まれます。ナツさんのように混乱している状況だけをみてしまうと、ありがちな「認知症だから(しょうがいない)ね…」という偏った見方になってしまいます。しかし、その混乱の理由には「安心」したいという思いがあるのです。その証拠が、本人が自分の状況について納得できたと同時に、実は次の準備をナツさん自身がしていたという事実です。私たち専門職は、表面にみられる事実のみで判断していくのではなく、事実の内面にある事柄を察していく視点や姿勢が必要なのです。
ナツさんの場合、私はナツさんと出会ってからこれまでの時間、ナツさんの人となりの「なじみ」ある生活背景をアセスメントしてきたことで、ナツさんに秘められている生活(いき)る力をナツさんと共にさまざまな場面で確認をしてきました。
社会資源の「つながり」と「広がり」を意識して
社会資源のとらえ方のポイントとして、「単体としてとらえない」ということがあげられます。すなわち、さまざまな社会資源につながりをもたせていくことです。
ナツさんの例でいうと、援助開始当初には「できる限り自宅で暮らしたい」という思いを伝えてくれたナツさんも、認知症の進行とともに混乱は強まり、前々回に述べたような日常生活上の支障が現れてきました。例えば、ゴミ捨てに関するご近所とのトラブルに発展しそうなできごとが起きます。そのようなとき、認知症のナツさんがゴミの出し方がわからなくなってしまった、という端的な理解にならないように生活支援を考えていくのです。
そこで、これまで近所と築いてきたナツさんの関係性を維持していく方法を検討し、介護保険サービスのヘルパーによるサポートを活用しました。そこにもうひと味加えるのが、ナツさんが築いてきた資源です。近隣に住むナツさんの友人たちが、できる範囲でヘルパーと連携していくことでナツさんの状態理解につながり、近隣の人達の誤解やトラブル防止にもつながっていたのです。公的なサービスと分けるのではなく、ナツさんのもつ自己資源を交えていくことが、生活支援には重要なポイントなのです。
ナツさんの例でいうと、援助開始当初には「できる限り自宅で暮らしたい」という思いを伝えてくれたナツさんも、認知症の進行とともに混乱は強まり、前々回に述べたような日常生活上の支障が現れてきました。例えば、ゴミ捨てに関するご近所とのトラブルに発展しそうなできごとが起きます。そのようなとき、認知症のナツさんがゴミの出し方がわからなくなってしまった、という端的な理解にならないように生活支援を考えていくのです。
そこで、これまで近所と築いてきたナツさんの関係性を維持していく方法を検討し、介護保険サービスのヘルパーによるサポートを活用しました。そこにもうひと味加えるのが、ナツさんが築いてきた資源です。近隣に住むナツさんの友人たちが、できる範囲でヘルパーと連携していくことでナツさんの状態理解につながり、近隣の人達の誤解やトラブル防止にもつながっていたのです。公的なサービスと分けるのではなく、ナツさんのもつ自己資源を交えていくことが、生活支援には重要なポイントなのです。
専門職自身が社会資源の一つとして活きる
私たち専門職一人ひとりが、生活(いき)ること支援に必要な社会資源の一つであると意識しておくことが大切です。事例のナツさんが最後まで、私のことをソーシャルワーカーという専門職として認識してくれていたのかどうかはわかりません。ただ、確かに言えることは、ナツさんは自分が生活(いき)ていくための応援団の一人として、私を上手に活用してくれていたということです。
私たちは専門職として、知識・技術・情報などをもち日々の仕事をしています。学べば学ぶほど、経験すればするほど、その内容も豊富になり、次第に自信がついてきます。しかし、内省せず、謙虚さを見失ってしまうほど知識や技術ばかりを貯え続けていると、いつのまにか「自信」が「慢心」になり、専門職としての意気込みである「気合い」が「気負い」になってしまいます。
私がこれまでお会いしてきた援助者のなかにも、そのことを忘れてしまい、やや言い過ぎかもしれませんが、利用者との間に「あなたがいないと困る」というような関係性を築いてしまっている人がいました。つまり、専門職が相手をサービス依存にさせてしまい、ご本人のできる力を奪ってしまう事になりかねないのです。
私たち専門職は、社会資源として利用者に上手に使ってもらえるように生活支援をし、ご本人自らの思いで生きて、活き、そして、その人が納得して最期を逝けるような生活(いき)ること支援者としての立ち位置を自覚していきたいものです。
私たちは専門職として、知識・技術・情報などをもち日々の仕事をしています。学べば学ぶほど、経験すればするほど、その内容も豊富になり、次第に自信がついてきます。しかし、内省せず、謙虚さを見失ってしまうほど知識や技術ばかりを貯え続けていると、いつのまにか「自信」が「慢心」になり、専門職としての意気込みである「気合い」が「気負い」になってしまいます。
私がこれまでお会いしてきた援助者のなかにも、そのことを忘れてしまい、やや言い過ぎかもしれませんが、利用者との間に「あなたがいないと困る」というような関係性を築いてしまっている人がいました。つまり、専門職が相手をサービス依存にさせてしまい、ご本人のできる力を奪ってしまう事になりかねないのです。
私たち専門職は、社会資源として利用者に上手に使ってもらえるように生活支援をし、ご本人自らの思いで生きて、活き、そして、その人が納得して最期を逝けるような生活(いき)ること支援者としての立ち位置を自覚していきたいものです。
最後に…
ナツさんのその後ですが、生活拠点を施設に移し、日々を安心した表情で過ごされていました。しかし、しばらくしたある日、体調を崩されて最期を迎えられたのです。
ナツさんの最期は、ナツさんの性格のようにさっぱりとした別れでした。私は、施設から、ナツさんが体調を崩してきているという連絡を受けて駆けつけました。するとナツさんは私を気遣い、別れ際に次のようなメッセージをくれたのです。「今日は忙しいのに、会いに来てくれてありがとうね…。最後(最期!?)に、あなたに会えて本当に良かったわぁ〜っ」と高熱を出しているにもかかわらずとても穏やかなまなざしで話してくれました。その数時間後、急変し永眠されました。
そして、以前元気だった頃、初夏のさわやかな季節に一緒に探しに行き、やっとみつけた自然が溢れ、田園風景が眺められる素朴なお寺。ナツさんは今、そのとても気に入ったお寺で静かに眠っています。その場所は、自然を愛していたナツさんにとっての贅沢な居場所なのかもしれません。
ナツさんの最期は、ナツさんの性格のようにさっぱりとした別れでした。私は、施設から、ナツさんが体調を崩してきているという連絡を受けて駆けつけました。するとナツさんは私を気遣い、別れ際に次のようなメッセージをくれたのです。「今日は忙しいのに、会いに来てくれてありがとうね…。最後(最期!?)に、あなたに会えて本当に良かったわぁ〜っ」と高熱を出しているにもかかわらずとても穏やかなまなざしで話してくれました。その数時間後、急変し永眠されました。
そして、以前元気だった頃、初夏のさわやかな季節に一緒に探しに行き、やっとみつけた自然が溢れ、田園風景が眺められる素朴なお寺。ナツさんは今、そのとても気に入ったお寺で静かに眠っています。その場所は、自然を愛していたナツさんにとっての贅沢な居場所なのかもしれません。
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「必察!ソーシャルワーカーへの道」を最後まで読んでくださった皆様に、心から感謝いたします。ここで紹介した内容を更にまとめ、機会がありましたら改めて読者のみなさんにお伝えできたらと考えております。これからも、「必察」という灯火を胸に秘め、共に歩んでいきましょう!
必察ソーシャルワーカー 永島 徹