「必察」とは、相手の思いを察すること。人が生活(いき)ることをサポートするために必要不可欠な技術です。
「必察!ソーシャルワーカー」の永島さんが、対人援助職の皆さんに、「察する」とはどういうことか、どのようにして「察して」いくのか…おおいに語ります!
「必察!ソーシャルワーカー」の永島さんが、対人援助職の皆さんに、「察する」とはどういうことか、どのようにして「察して」いくのか…おおいに語ります!
第1回 察することを意識してみてください
ソーシャルワークは「生活(いき)ること」の支援
みなさんこんにちは!(ブログを見て下さっていた方には、ご無沙汰していました。)「必察!ソーシャルワーカー」の永島です。今回は改めて、ソーシャルワークに関してみなさんにお伝えできるチャンスをいただきました。
「ソーシャルワーク…何それ?」という人も少なくないでしょうが、難しく考えないでください。実はソーシャルワークには、私たちの日常生活に活かしていけるエッセンスがたくさんあるのです。みなさんにソーシャルワークをもっと身近に感じていただけるよう、そのへんのところからお伝えできればと思っています。
さらに、「ソーシャルワーカーと言っても一体何ができるのだろう?」「何から始めたらいいのだろう?」そんなふうに自問している現場のソーシャルワーカーも少なくないと思います。
大学を卒業してまもなく、右も左もわからない。福祉六法を握りしめソーシャルワーカーの名札をつけても、ただただ不安なだけ。やがて、現場の仕事に慣れてきても、「果たしてこれで良いのだろうか」と考える日々…。
私自身もそうでした。その頃は自分がかかわる人のために、「とにかく何かをしなければ」などと考えてしまっていたのかもしれません。そのために、制度やサービスにその方達の生活を当てはめることばかりを考えてしまっていたようにも思います。
でも、地域に拠点を置いて現在のような活動を始めて、初めて気づいたこと、見えてきたことがたくさんあります。ソーシャルワーカーという職業は、日本ではまだまだ社会的に認知されているとはいえませんが、この連載では、地域にはソーシャルワークを活かした働きかけが必要とされる生活課題がたくさんあります。どのようなケースにどのようにソーシャルワークを活かしていけるのか、事例を通して伝えていきたいと思っています。これからのソーシャルワークのあり方を共に考えていければと思います。
また、ソーシャルワーカーに限らずさまざまな対人援助職のみなさんに、それぞれの「生活(いき)ること支援」の実践に活かしていただけるようなソーシャルワークのエッセンスをお伝えできれば幸いです。そして、ソーシャルワークをもっともっと私たちの生活や「生活(いき)ること支援」に活かしていきましょう。
「ソーシャルワーク…何それ?」という人も少なくないでしょうが、難しく考えないでください。実はソーシャルワークには、私たちの日常生活に活かしていけるエッセンスがたくさんあるのです。みなさんにソーシャルワークをもっと身近に感じていただけるよう、そのへんのところからお伝えできればと思っています。
さらに、「ソーシャルワーカーと言っても一体何ができるのだろう?」「何から始めたらいいのだろう?」そんなふうに自問している現場のソーシャルワーカーも少なくないと思います。
大学を卒業してまもなく、右も左もわからない。福祉六法を握りしめソーシャルワーカーの名札をつけても、ただただ不安なだけ。やがて、現場の仕事に慣れてきても、「果たしてこれで良いのだろうか」と考える日々…。
私自身もそうでした。その頃は自分がかかわる人のために、「とにかく何かをしなければ」などと考えてしまっていたのかもしれません。そのために、制度やサービスにその方達の生活を当てはめることばかりを考えてしまっていたようにも思います。
でも、地域に拠点を置いて現在のような活動を始めて、初めて気づいたこと、見えてきたことがたくさんあります。ソーシャルワーカーという職業は、日本ではまだまだ社会的に認知されているとはいえませんが、この連載では、地域にはソーシャルワークを活かした働きかけが必要とされる生活課題がたくさんあります。どのようなケースにどのようにソーシャルワークを活かしていけるのか、事例を通して伝えていきたいと思っています。これからのソーシャルワークのあり方を共に考えていければと思います。
また、ソーシャルワーカーに限らずさまざまな対人援助職のみなさんに、それぞれの「生活(いき)ること支援」の実践に活かしていただけるようなソーシャルワークのエッセンスをお伝えできれば幸いです。そして、ソーシャルワークをもっともっと私たちの生活や「生活(いき)ること支援」に活かしていきましょう。
「何を言ったのか」から「何を伝えたかったのか」へ
早速初回は、拙著『必察!認知症ケア』でもお伝えした「察する」ということから始めていきます。
私は、「察する」ことから生活(いき)ること支援は始まると考えています。「察する」ことは、ソーシャルワーカー(対人援助職)の基本姿勢であると言えるでしょう。
「察する」の意味を辞書で調べると、「他人の気持ちを推し量ること」「推測して感じ取る」などとありますが、つまり、表面だけではとらえられない気持ち(思い)を観ていくこととなります。
私は、「察する」ことから生活(いき)ること支援は始まると考えています。「察する」ことは、ソーシャルワーカー(対人援助職)の基本姿勢であると言えるでしょう。
「察する」の意味を辞書で調べると、「他人の気持ちを推し量ること」「推測して感じ取る」などとありますが、つまり、表面だけではとらえられない気持ち(思い)を観ていくこととなります。
対人援助職のみなさんはすでに、面接や直接的介助などの場面で「察する」ことを無意識に実行されていると思いますが、さらに意識して、「察する」ということが必要ではないかと思うのです。
私が日頃デイホームの活動などを通してかかわる認知症の方々への支援においても、そのことを強く感じます。ご家族などからは、「このままではいけない。何かサービス利用させたいのだけれども、本人は頑なに拒んでいる。どうしたらよいものか…」というような相談を受けることは少なくありません。このようなときにも、まず必要なのが相手の思いを「察する」ということなのです。
残念ながら、「認知症だから…」という思い込みや決めつけが先に立ってしまい、今、その人がどのような思いでいるのかをていねいに知ろうとうする専門職も少ないようです。そのため、ご家族が話された言葉のままにサービスに繋げても、なかなかうまくいかないのです。
「やはり、認知症ケアは難しい…」と思われるでしょうか!? そうではなく、難しい状況になったり、相手を混乱させてしまったり、一層不安にさせてしまっているのは、思いを察しようとしないままかかわってしまっている援助者自身だと思います。認知症の人に限らず、人と人が出会い、関係性を築いていくには、相手の思いを「察する」ことが必要なのです。
私が日頃デイホームの活動などを通してかかわる認知症の方々への支援においても、そのことを強く感じます。ご家族などからは、「このままではいけない。何かサービス利用させたいのだけれども、本人は頑なに拒んでいる。どうしたらよいものか…」というような相談を受けることは少なくありません。このようなときにも、まず必要なのが相手の思いを「察する」ということなのです。
残念ながら、「認知症だから…」という思い込みや決めつけが先に立ってしまい、今、その人がどのような思いでいるのかをていねいに知ろうとうする専門職も少ないようです。そのため、ご家族が話された言葉のままにサービスに繋げても、なかなかうまくいかないのです。
「やはり、認知症ケアは難しい…」と思われるでしょうか!? そうではなく、難しい状況になったり、相手を混乱させてしまったり、一層不安にさせてしまっているのは、思いを察しようとしないままかかわってしまっている援助者自身だと思います。認知症の人に限らず、人と人が出会い、関係性を築いていくには、相手の思いを「察する」ことが必要なのです。
「察する」ことは、特別なことではなく日頃の生活において意識・無意識のうちに行われていることなのですが、それを改めて「生活(いき)ること支援」に必要不可欠なこととして意識して考えてみてはいかかでしょうか。その際の方法の一つとして、相手の言動のなかで「何を言ったのか」ということから察していくことも大切ですが、さらに意識して、相手は「何を伝えたかったのか」という言動の中に秘められた思いを察していくということが重要であると思います。話した内容に意識を置くのではなく、一緒にいることでその状況からどんなメッセージが発せられているのかを察していくことが大切です。この過程を経ていくことで、人と人との繋がり(関係の形成)が構築されていくのです。
次回は、「人と人との関係性は、察し合うこと」について、例を交えながら綴っていきたいと思います。
次回は、「人と人との関係性は、察し合うこと」について、例を交えながら綴っていきたいと思います。