
是枝さんは、特別養護老人ホーム「福音の家」勤務を経て、大妻女子大学で介護福祉学の教鞭をとってこられました。東京都介護福祉士会会長を長く務めるなど、介護の世界にはとても造詣が深い方です。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
第7回 人間を見極める
独自の人間観察眼が育つ
ケアマネのケアプランは「ザクッ」としていますから、利用者の生活を具体的に支えるのはサ責の訪問介護計画です。サ責は、利用者の状態や生活を評価して、その人らしい生活を組み立てます。ヘルパーとともに、利用者の快適な生活リズムをつくる仕事です。
サ責の訪問介護計画次第で、それまでボーッと生活していた人が、元気になることがあります。その人の価値観をうまくとらえられたら、その人らしさを引き出せます。サ責は、「自分がこの人の生活を支えている」という実感を覚えるはずです。介護チームとともに喜びを分かち合いましょう。
現場の介護はもちろん大切だけど、サ責にはサ責の「現場」があります。一人ひとりの利用者を客観的に観察して、「この人には何が大切か、どんな配慮が必要か」を把握することです。サ責には、ヘルパーとは違う独自の観察眼が養われます。
それは人間を見極めることですね。最初はいろいろな人の協力をあおいで、一人よがりにならず、コミュニケーションをマメにとりながら、実力をつけていってください。
きっと、「この人のしあわせを支えている」という実感を得られるはずです。
サ責の訪問介護計画次第で、それまでボーッと生活していた人が、元気になることがあります。その人の価値観をうまくとらえられたら、その人らしさを引き出せます。サ責は、「自分がこの人の生活を支えている」という実感を覚えるはずです。介護チームとともに喜びを分かち合いましょう。
現場の介護はもちろん大切だけど、サ責にはサ責の「現場」があります。一人ひとりの利用者を客観的に観察して、「この人には何が大切か、どんな配慮が必要か」を把握することです。サ責には、ヘルパーとは違う独自の観察眼が養われます。
それは人間を見極めることですね。最初はいろいろな人の協力をあおいで、一人よがりにならず、コミュニケーションをマメにとりながら、実力をつけていってください。
きっと、「この人のしあわせを支えている」という実感を得られるはずです。
メッセージを受け取るとき
介護する者にとっても、看取りは不安でいっぱいです。心配性の人ほど勉強熱心になります。
「自分が夜勤のときに容態が急変したらどうしよう」と思って勉強する。「こういう病気なら呼吸がこうなるけど問題ない」「呼吸がこうなったら危ない」「痩せてくるけど大丈夫だ」「唇の渇きもこうなったら水を飲んでもらう」「こういうときは水を飲まなくてもいい」・・。いちいち丁寧にメモをとって医師に相談します。カンファレンスも頻回に行います。心配性の人ではなくても、誰もがとにかく情報がほしいから、よく話し合って連携するようになります。一人の人の生死を巡ってやりとりが多くなります。
ちょっとした変化も見逃しません。不安だから、ベテランのやることを細かくじっくり観察します。ですから、看取りをすると、介護力も知識も確実にアップします。でもそれより、私は人間性がアップするんじゃないかと思います。少なくとも、人間の最期に関わる自分自身を見つめ直す機会になります。
看取りの介護をしながら、「今、何をしてあげられるだろう」「どんな話をしたらいいのか」「痛くないか」「悲しくないか」と不安だし、悩みます。それから、「私はどうやって死ぬんだろう」「どうやって生きればいいんだろう」と、やっぱり悩みます。
このときの悩みって、医療の専門職とはちょっと違うみたいです。看護師は、やきもきしているのがわかります。チアノーゼになったり、脱水症状で顔がむくんだりする人を前に、「何かしてあげたい」と思う。けれど、点滴もないし、どんな延命処置もできない。病院での経験の長い看護師は医療的な処置が常に頭の中でグルグル回っているのでしょうね。
その点、介護職員は、病院で行う医療的な処置の方法を知らないし、1秒でも延命をしなきゃいけないとも思わない。「人間って死ぬときは枯れていくものだ」と、どこかで達観している。
特養で看取る人は最後の瞬間まで話をする人が多いんです。たった今まで笑っていた人が亡くなるというのは、ショックなことではありますが、人間が死ぬというのはそういうことでもあるのです。1秒、1分、1時間、あるいは数日(ときには数年)命が長くなっても、いずれはやはり息をしなくなるときがある。いのちの意味は時間ではない。その人にはその人らしく、いのちを終わらせるときがあると思います。でも、必ず私たちの心に、メッセージを残していきます。それを大切に受け止めてあげたい。看取りってそういうものじゃないでしょうか。
「自分が夜勤のときに容態が急変したらどうしよう」と思って勉強する。「こういう病気なら呼吸がこうなるけど問題ない」「呼吸がこうなったら危ない」「痩せてくるけど大丈夫だ」「唇の渇きもこうなったら水を飲んでもらう」「こういうときは水を飲まなくてもいい」・・。いちいち丁寧にメモをとって医師に相談します。カンファレンスも頻回に行います。心配性の人ではなくても、誰もがとにかく情報がほしいから、よく話し合って連携するようになります。一人の人の生死を巡ってやりとりが多くなります。
ちょっとした変化も見逃しません。不安だから、ベテランのやることを細かくじっくり観察します。ですから、看取りをすると、介護力も知識も確実にアップします。でもそれより、私は人間性がアップするんじゃないかと思います。少なくとも、人間の最期に関わる自分自身を見つめ直す機会になります。
看取りの介護をしながら、「今、何をしてあげられるだろう」「どんな話をしたらいいのか」「痛くないか」「悲しくないか」と不安だし、悩みます。それから、「私はどうやって死ぬんだろう」「どうやって生きればいいんだろう」と、やっぱり悩みます。
このときの悩みって、医療の専門職とはちょっと違うみたいです。看護師は、やきもきしているのがわかります。チアノーゼになったり、脱水症状で顔がむくんだりする人を前に、「何かしてあげたい」と思う。けれど、点滴もないし、どんな延命処置もできない。病院での経験の長い看護師は医療的な処置が常に頭の中でグルグル回っているのでしょうね。
その点、介護職員は、病院で行う医療的な処置の方法を知らないし、1秒でも延命をしなきゃいけないとも思わない。「人間って死ぬときは枯れていくものだ」と、どこかで達観している。
特養で看取る人は最後の瞬間まで話をする人が多いんです。たった今まで笑っていた人が亡くなるというのは、ショックなことではありますが、人間が死ぬというのはそういうことでもあるのです。1秒、1分、1時間、あるいは数日(ときには数年)命が長くなっても、いずれはやはり息をしなくなるときがある。いのちの意味は時間ではない。その人にはその人らしく、いのちを終わらせるときがあると思います。でも、必ず私たちの心に、メッセージを残していきます。それを大切に受け止めてあげたい。看取りってそういうものじゃないでしょうか。