是枝さんは、特別養護老人ホーム「福音の家」勤務を経て、大妻女子大学で介護福祉学の教鞭をとってこられました。東京都介護福祉士会会長を長く務めるなど、介護の世界にはとても造詣が深い方です。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
第8回 けがの功名
後ろからじっと見ている
密室で子どもを育てる母親が育児ノイローゼになるように、「介護ノイローゼ」もあります。
独身のA子さんも、そのようなケースであったと思います。少し神経質で、とても几帳面な人で、一つのことに一生懸命になり過ぎると、周囲が見えなくなってしまうタイプかもしれません。いわゆる「モンスター家族」といわれる利用者になってしまいました。
A子さんは60歳近くなり、母親の介護に手がかかるようになってきたので、介護に専念するために会社を辞めました。そして、介護をするうちに、段々、二人きりの世界にひきこもり状態になっていったのです。どんなに健康的で明るい人でも、引きこもりになると、精神にひずみを起こしてしまいます。
A子さんは、あまりにも自分の介護方法に固執し、少しでも異なる方法を介護職員が行おうものなら、ヒステリックに叱りつけます。たとえば、「全身清拭」(体を布で拭くこと)には「お湯はそんなに必要はない」と許しません。介護職員が「バケツに一杯お湯を用意したほうが望ましい」などといくらいっても、いうだけ怒りが激しくなりますから、介護職員はいわれた通りにします。
万事そのようで、それだけならまだ我慢もできますが、A子さんは、介護職員の仕事を後ろからじっと観察していて、清拭などの介護手順が少しでも「自分流」のものと違うと、いちいち叱りつけます。そして、やたらに意味のない命令調の指示を出します。こちらのいうことに対してまったく聞く耳をもたないので、介護職員のストレスが溜まります。
常に後ろから見られていて、いつどんなきつい、そして無意味で混乱した叱責が飛んでくるかわからない状態です。たとえ後ろにA子さんがいなくても、どこから見られているかわかりませんから、介護職員はビクビクしながら仕事をします。
当然、A子さんの家の訪問は誰もが嫌がります。せっかく禁煙に成功した介護職員が、A子さん宅を出ると一服せずにいられなかったといいます。なかには、A子さん宅の担当になって事業所を辞めてしまった介護職員さえいます。
ですから、事業所にとってA子さんはまさにモンスターで、事業所そのものがA子さんの訪問介護から撤退していきました。
A子さんは、介護職員を厳しく監視することで母親への介護を完全なものにしたかったのかもしれません。でも状況は反対で、介護職員はどんなに不合理な方法でも、A子さんのいいなりになって、なるべく短い時間でA子さん宅を切り上げることに全神経を集中させました。
結局、A子さんの怒りは、自分を傷つけ、母親の介護環境を悪くしていたのです。
独身のA子さんも、そのようなケースであったと思います。少し神経質で、とても几帳面な人で、一つのことに一生懸命になり過ぎると、周囲が見えなくなってしまうタイプかもしれません。いわゆる「モンスター家族」といわれる利用者になってしまいました。
A子さんは60歳近くなり、母親の介護に手がかかるようになってきたので、介護に専念するために会社を辞めました。そして、介護をするうちに、段々、二人きりの世界にひきこもり状態になっていったのです。どんなに健康的で明るい人でも、引きこもりになると、精神にひずみを起こしてしまいます。
A子さんは、あまりにも自分の介護方法に固執し、少しでも異なる方法を介護職員が行おうものなら、ヒステリックに叱りつけます。たとえば、「全身清拭」(体を布で拭くこと)には「お湯はそんなに必要はない」と許しません。介護職員が「バケツに一杯お湯を用意したほうが望ましい」などといくらいっても、いうだけ怒りが激しくなりますから、介護職員はいわれた通りにします。
万事そのようで、それだけならまだ我慢もできますが、A子さんは、介護職員の仕事を後ろからじっと観察していて、清拭などの介護手順が少しでも「自分流」のものと違うと、いちいち叱りつけます。そして、やたらに意味のない命令調の指示を出します。こちらのいうことに対してまったく聞く耳をもたないので、介護職員のストレスが溜まります。
常に後ろから見られていて、いつどんなきつい、そして無意味で混乱した叱責が飛んでくるかわからない状態です。たとえ後ろにA子さんがいなくても、どこから見られているかわかりませんから、介護職員はビクビクしながら仕事をします。
当然、A子さんの家の訪問は誰もが嫌がります。せっかく禁煙に成功した介護職員が、A子さん宅を出ると一服せずにいられなかったといいます。なかには、A子さん宅の担当になって事業所を辞めてしまった介護職員さえいます。
ですから、事業所にとってA子さんはまさにモンスターで、事業所そのものがA子さんの訪問介護から撤退していきました。
A子さんは、介護職員を厳しく監視することで母親への介護を完全なものにしたかったのかもしれません。でも状況は反対で、介護職員はどんなに不合理な方法でも、A子さんのいいなりになって、なるべく短い時間でA子さん宅を切り上げることに全神経を集中させました。
結局、A子さんの怒りは、自分を傷つけ、母親の介護環境を悪くしていたのです。
事業所の広域の協働で仕事がしやすくなる
この問題に悩み抜いた担当のケアマネジャーは、画期的なアイデアを提案します。
複数の訪問介護事業所が協働してA子さん宅の介護に当たるというものです。A子さんのお母さんを週数日デイサービスに通ってもらい(デイサービスでは、A子さんが不在ですから何の問題もないのです)、それ以外の訪問介護は、それぞれの事業所が週1回だけ担当するのです。
それまで事業所ごとにバラバラにつくっていたサービス担当責任者の訪問介護計画を、ケアマネが一つの形式で統一しました。いくつかの事業所が一軒の家に入ると利用者家族は混乱しますし、不安になります。しかし、一人のケアマネがしっかり計画し、事業所を横断した介護職員によるミーティングを行うことで、「介護の質」は落ちませんし、利用者の不安も払拭できます。それどころか、「介護の質」は上がったのです。
それまでは事業所ごとに書き方が決まっていた訪問介護計画の形式を一つにまとめ、介護目標、介護方法も話し合ってすり合わせました。このことは、利用者だけではなく、訪問介護事業所にとっても意味のあることが次第に明らかになりました。
事業所は、事業所の中でそれぞれ「自分流」のやり方があるものです。それを話し合って一つにすることで、お互いにいろいろな矛盾や疑問点が噴出します。「これがいちばんいい方法だ」と思っていたことが、もっといい方法、たとえば利用者に痛みを感じさせない介護方法や、介護職員自身の体にムリをさせない方法などが共有され、介護方法が改善されるようになったのです。
それだけではありません。それまでは、「あそこに仕事をとられる」といって競合していたのですが、A子さん宅の協働作業をきっかけに、「このケースは協力しませんか」と声をかけ合うようになりました。自分のところだけで処理しようとすると、マンパワー的にも時間的にも技術的にもいろいろなムリをするケースがあり、ときには断ることになります。ところが、広域でゆるい結びつきで連携すると、均質で高いサービスを提供し続けることができ、それぞれの事業所がパワーアップすることにつながったのです。介護職員も病気などで急に仕事を休まなければならなくなったとき、広域で声をかけ合うことで、柔軟に対応できるので安心できます。
「けがの功名」とはこのことです。A子さん宅をモデルにして地域協働のケアシステムが出来上がっていきました。ノウハウを広域で共有するとともに、不適切な方法を発見したり、コミュニティケアの糸口にすることができました。
複数の訪問介護事業所が協働してA子さん宅の介護に当たるというものです。A子さんのお母さんを週数日デイサービスに通ってもらい(デイサービスでは、A子さんが不在ですから何の問題もないのです)、それ以外の訪問介護は、それぞれの事業所が週1回だけ担当するのです。
それまで事業所ごとにバラバラにつくっていたサービス担当責任者の訪問介護計画を、ケアマネが一つの形式で統一しました。いくつかの事業所が一軒の家に入ると利用者家族は混乱しますし、不安になります。しかし、一人のケアマネがしっかり計画し、事業所を横断した介護職員によるミーティングを行うことで、「介護の質」は落ちませんし、利用者の不安も払拭できます。それどころか、「介護の質」は上がったのです。
それまでは事業所ごとに書き方が決まっていた訪問介護計画の形式を一つにまとめ、介護目標、介護方法も話し合ってすり合わせました。このことは、利用者だけではなく、訪問介護事業所にとっても意味のあることが次第に明らかになりました。
事業所は、事業所の中でそれぞれ「自分流」のやり方があるものです。それを話し合って一つにすることで、お互いにいろいろな矛盾や疑問点が噴出します。「これがいちばんいい方法だ」と思っていたことが、もっといい方法、たとえば利用者に痛みを感じさせない介護方法や、介護職員自身の体にムリをさせない方法などが共有され、介護方法が改善されるようになったのです。
それだけではありません。それまでは、「あそこに仕事をとられる」といって競合していたのですが、A子さん宅の協働作業をきっかけに、「このケースは協力しませんか」と声をかけ合うようになりました。自分のところだけで処理しようとすると、マンパワー的にも時間的にも技術的にもいろいろなムリをするケースがあり、ときには断ることになります。ところが、広域でゆるい結びつきで連携すると、均質で高いサービスを提供し続けることができ、それぞれの事業所がパワーアップすることにつながったのです。介護職員も病気などで急に仕事を休まなければならなくなったとき、広域で声をかけ合うことで、柔軟に対応できるので安心できます。
「けがの功名」とはこのことです。A子さん宅をモデルにして地域協働のケアシステムが出来上がっていきました。ノウハウを広域で共有するとともに、不適切な方法を発見したり、コミュニティケアの糸口にすることができました。
医師にとっても有力なパートナー
さすが、A子さん宅での介護も、週1回なら何とか我慢できます。
それに、それまではA子さんの前で沈黙を守っていた介護職員も、複数の事業所が話し合って決めたことについては自信がありますから、はっきり口に出していうこともできるようになりました。「こうすると、お母様が楽ですよ」といって、実際にやってみせると、相手は広域の事業所連合ですから、A子さんも口出しできません。
あくまでも利用者や家族との関係性を構築した上でのことですが、専門領域の人は、間違ったことは「間違っている」と、きちんという責任があります。地域の事業所が連携し、十分に話し合えば、「これでいいんだ」という自信がわいてきます。
この事業所連合は、訪問診療を担当する医師にとっても強い味方です。訪問医師を含むミィーティング、勉強会が活発に行われるようになりました。勉強会のテーマは、「胃ろう増設後の在宅ケア」「末期療養者の精神的な支え」などさまざまです。
全国にコミュニティケアのひな形はいろいろありますが、医師会や自治体などが一律に理想的なシステムを一度に目指すのは難しいことです。現場の混乱も生まれます。それに対して、それぞれの地域で草の根的に「楽しく」次第に整っていくものは継続しやすく、発展しやすいものと思います。このケースのように、自治体など「上」から構築されたシステムより、A子さん宅という「現場」などから始まったシステムを、医師会や自治体などが大事に育てていってほしいものだと思います。
それに、それまではA子さんの前で沈黙を守っていた介護職員も、複数の事業所が話し合って決めたことについては自信がありますから、はっきり口に出していうこともできるようになりました。「こうすると、お母様が楽ですよ」といって、実際にやってみせると、相手は広域の事業所連合ですから、A子さんも口出しできません。
あくまでも利用者や家族との関係性を構築した上でのことですが、専門領域の人は、間違ったことは「間違っている」と、きちんという責任があります。地域の事業所が連携し、十分に話し合えば、「これでいいんだ」という自信がわいてきます。
この事業所連合は、訪問診療を担当する医師にとっても強い味方です。訪問医師を含むミィーティング、勉強会が活発に行われるようになりました。勉強会のテーマは、「胃ろう増設後の在宅ケア」「末期療養者の精神的な支え」などさまざまです。
全国にコミュニティケアのひな形はいろいろありますが、医師会や自治体などが一律に理想的なシステムを一度に目指すのは難しいことです。現場の混乱も生まれます。それに対して、それぞれの地域で草の根的に「楽しく」次第に整っていくものは継続しやすく、発展しやすいものと思います。このケースのように、自治体など「上」から構築されたシステムより、A子さん宅という「現場」などから始まったシステムを、医師会や自治体などが大事に育てていってほしいものだと思います。