是枝さんは、特別養護老人ホーム「福音の家」勤務を経て、大妻女子大学で介護福祉学の教鞭をとってこられました。東京都介護福祉士会会長を長く務めるなど、介護の世界にはとても造詣が深い方です。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
第5回 安全を創る、守る
たまの外食は心を養う
外食や喫茶、買い物は、とても社会的な行為で、入居者の社会性を維持するのに役立ちます。社会参加にはとてもいい機会です。
介護職員は休みの日などを利用して、入居者が利用できるお店を探してください。車いすの入居者がいるなら、駐車場からお店までの距離、トイレ、段差、テーブルの高さ、店の広さなどをチェックします。
メニューや、店が空いている時間帯も確認して、お店の人に事情を話します。メニューを見て入居者がワクワクしながら食べ物を選んでいる様子をイメージしましょう。
たまの外食は、入居者にさまざまなことを思い起こしてもらうことができます。自分でメニューの中から食べ物を選ぶということも、施設生活ではできません(それをしている施設もまれにありますが)。
外食や買い物には、いろいろな手続きが必要ですが、日常生活には欠かせない楽しみの一つです。入居者が外出することは、入居者の心身の維持・向上や楽しみになるだけではありません。街の人との協力関係をつくるうえでも大切です。街の人に、もっと入居者や施設のことを理解してもらい、街と一体になって、入居者ばかりではなく、全てのお年寄りが住みやすい地域づくりをしてもらいたいと思います。
街のマップづくりを商店会などと協力してつくることもできます。街や店の人の協力態勢ができれば、散歩中に入居者が急変したり、トイレに行きたいといったり、あるいは施設を飛び出て道に迷っても安全度が高まります。
いずれ誰だって年をとるのですから、お年寄りに優しい街は、住みやすい街です。それによって人の交流が増えれば防犯にだって役立ちます。
まず小さな散歩マップづくりから始めたらいかがでしょうか。
介護職員は休みの日などを利用して、入居者が利用できるお店を探してください。車いすの入居者がいるなら、駐車場からお店までの距離、トイレ、段差、テーブルの高さ、店の広さなどをチェックします。
メニューや、店が空いている時間帯も確認して、お店の人に事情を話します。メニューを見て入居者がワクワクしながら食べ物を選んでいる様子をイメージしましょう。
たまの外食は、入居者にさまざまなことを思い起こしてもらうことができます。自分でメニューの中から食べ物を選ぶということも、施設生活ではできません(それをしている施設もまれにありますが)。
外食や買い物には、いろいろな手続きが必要ですが、日常生活には欠かせない楽しみの一つです。入居者が外出することは、入居者の心身の維持・向上や楽しみになるだけではありません。街の人との協力関係をつくるうえでも大切です。街の人に、もっと入居者や施設のことを理解してもらい、街と一体になって、入居者ばかりではなく、全てのお年寄りが住みやすい地域づくりをしてもらいたいと思います。
街のマップづくりを商店会などと協力してつくることもできます。街や店の人の協力態勢ができれば、散歩中に入居者が急変したり、トイレに行きたいといったり、あるいは施設を飛び出て道に迷っても安全度が高まります。
いずれ誰だって年をとるのですから、お年寄りに優しい街は、住みやすい街です。それによって人の交流が増えれば防犯にだって役立ちます。
まず小さな散歩マップづくりから始めたらいかがでしょうか。
「放っておくケア」もケアのうち?(多恵さん2)
多恵さんが数日の生死の境からよみがえったとき、調理担当が、多恵さんは卵焼きが好きだったということを思い出しました。
味覚がきっと鈍くなっているだろうからと、甘い卵焼きをつくって差し上げました。
私たちは、多恵さんが口を開くと、いやみのようなことしかいわないという印象をずっと持っていたのですが、このとき、卵焼きを見てこういったのです。
「あら、私が好きなものを覚えてくれていたのね」。
うれしそうにして、ぺろりと食べた。
「おいしかった。これが一番好きだったのよ」。
それから数日後に、今度は本当にお亡くなりになりました。
私たちは、多恵さんに、とても大切なことを教えていただきました。聴覚機能は最期まで残るということもそうですが、もっと大事なことだったと思います。
多恵さんは、私たちに、「監視されたくないのよ。あんたたちはいつも私を監視している。親切のつもりなんだろうけど、いつもいつもじゃ、たまらないわ」というのです。私たちはカンファレンスを開いて、多恵さんの言葉について話し合いました。
みんなの意見は、はじめはこういう方向でした。
だって、看取りなんだから仕方ない、看取りじゃなくても、転んだり、高熱があったりしたら大変だ。第一、監視などというのは多恵さんらしい被害妄想だ、こんなに一生懸命ケアしているのに監視って何よ。私たちは、牢獄の看守じゃない・・。
ところが、ふと、こんな意見も出たのです。
でもさ、もしかしたら本当かもしれないよね、人間って24時間監視されていたら頭がおかしくなるよね、私ならそうなる。
今度は、「なるほどね、そうかもしれない」というふうにカンファレンスの流れが一気に変わったのです。そして、結局、「多恵さんを見ない時間をつくろう」という結論にいたった。どうなっても知らないけど、我慢してその時間だけ放っておく。いわば「無法地帯」です。
考えてみると、そういう時間をつくるのは結構難しい。というのは、私たちは不安なのです。ちょっと様子を見たら安心できる。つまり、自分たちの安心のために「監視」をしている(と、多恵さんに思わせている)。「入居者の尊厳第一」といっても、私たちは尊厳より安全を優先させていなかったか。
私たちは、ローテーションをつくって、「見えない」「知らない」ケアの時間をつくった。夜中の1時間置きの巡回も、多恵さんは1回飛ばした。多恵さんはそれに気づいていたのでしょうか。「見ないケア」「知らないケア」っていうのもあるんじゃないでしょうか。
このことは、たとえ認知症があっても同じではないでしょうか。ケアといっても、24時間監視されていると思うと息が詰まる、逃げ出したくなって当然かもしれない。
多恵さんに教えられた最も大事な教訓――安全より尊厳。
味覚がきっと鈍くなっているだろうからと、甘い卵焼きをつくって差し上げました。
私たちは、多恵さんが口を開くと、いやみのようなことしかいわないという印象をずっと持っていたのですが、このとき、卵焼きを見てこういったのです。
「あら、私が好きなものを覚えてくれていたのね」。
うれしそうにして、ぺろりと食べた。
「おいしかった。これが一番好きだったのよ」。
それから数日後に、今度は本当にお亡くなりになりました。
私たちは、多恵さんに、とても大切なことを教えていただきました。聴覚機能は最期まで残るということもそうですが、もっと大事なことだったと思います。
多恵さんは、私たちに、「監視されたくないのよ。あんたたちはいつも私を監視している。親切のつもりなんだろうけど、いつもいつもじゃ、たまらないわ」というのです。私たちはカンファレンスを開いて、多恵さんの言葉について話し合いました。
みんなの意見は、はじめはこういう方向でした。
だって、看取りなんだから仕方ない、看取りじゃなくても、転んだり、高熱があったりしたら大変だ。第一、監視などというのは多恵さんらしい被害妄想だ、こんなに一生懸命ケアしているのに監視って何よ。私たちは、牢獄の看守じゃない・・。
ところが、ふと、こんな意見も出たのです。
でもさ、もしかしたら本当かもしれないよね、人間って24時間監視されていたら頭がおかしくなるよね、私ならそうなる。
今度は、「なるほどね、そうかもしれない」というふうにカンファレンスの流れが一気に変わったのです。そして、結局、「多恵さんを見ない時間をつくろう」という結論にいたった。どうなっても知らないけど、我慢してその時間だけ放っておく。いわば「無法地帯」です。
考えてみると、そういう時間をつくるのは結構難しい。というのは、私たちは不安なのです。ちょっと様子を見たら安心できる。つまり、自分たちの安心のために「監視」をしている(と、多恵さんに思わせている)。「入居者の尊厳第一」といっても、私たちは尊厳より安全を優先させていなかったか。
私たちは、ローテーションをつくって、「見えない」「知らない」ケアの時間をつくった。夜中の1時間置きの巡回も、多恵さんは1回飛ばした。多恵さんはそれに気づいていたのでしょうか。「見ないケア」「知らないケア」っていうのもあるんじゃないでしょうか。
このことは、たとえ認知症があっても同じではないでしょうか。ケアといっても、24時間監視されていると思うと息が詰まる、逃げ出したくなって当然かもしれない。
多恵さんに教えられた最も大事な教訓――安全より尊厳。