第5回 言葉のこだわり
皆さんは、日々の仕事のなかで、「これだけは譲れない」なんてこだわりを持っていますか?
そこまで気にしなくてもいいのかもしれないけれど、自分が介護職を続けてこられたのも何らかの「こだわり」があったからなのかな? と私は最近よく思います。そして、その「こだわり」が自身の成長、器の拡がりによってその時々で変化していくものもあれば、ずっと持ち続けるものもあり、それが自分の支えになったりもします。
たとえば私が教員時代から持ち続けている「こだわり」として、認知症を「ニンチ」と呼ぶような卒業生とは飲まないという私なりの「鉄の掟」があります。そして、施設での講演などを依頼されるとよくこの話を最初にして、その反応を見ています。「そうそう!」という表情で聞いてくれる人と「何そんなことにこだわっているの?」という表情の人、それぞれですけれど、私は前者の人と長く付き合いたいな〜と思っております。
認知症はれっきとした病名です。それなのに「最近ニンチ入ってきちゃって…」などと自分の担当ケースを説明することにもうちょっと抵抗感というか「こだわり」を持っていこうよ! 認知症を「ニンチ」と略しても話し言葉では0.01秒くらいしか短縮できませんから、ぜひともお願いしたいところです(強制はしませんが、私のフィールドではその手の略語はNGです)。
というわけで、実は、あなた自身も気付いていない大切な「こだわり」があったりするので、今回を機に振り返ってみてはいかがでしょう? というのが今回のテーマです。
現在、私は相模原市で放課後等デイサービス ねばーらんどという事業所を経営しております。放課後等デイサービスというのは、簡単に(字数の関係でかなり乱暴に)説明すると、小学1年生から高校3年生までの児童の放課後活動の場です。学童保育が近いイメージだと思います。2年ほど前にこの事業所を立ち上げる際に、集ってくれたスタッフさん達と、共有してもらいたいキーワードを何にしようか? と考えました。言ってみれば目標ですね。
しかし、最初から福祉専門職とはこうあるべき! などと高尚な目標を設定しても、そのキーワードがスタッフさん達の行動に浸透しなければ意味がありません。いろいろと考えましたが、即行動に移せて、しかも大切な思いを共有できるキーワードとしてこんな目標を最初に決めました。
「子どもの呼び方は、どの学年でも、〜君、〜さんで呼ぶこと」
20年ほど前、私が初めて福祉の仕事を始めたとき、成人の施設でも利用者を「〜ちゃん」「○○(呼び捨て)」と呼ぶのが当たり前でした。障がいがあるからといって、成人して自分より年上の利用者をそう呼ぶことに私はすごく抵抗があり、当時、授産施設で働いていた私は、利用者のことを同じ仕事をする同僚ととらえ、「〜君」「〜さん」と呼ぶようにしていました。
小さい時からずっと「ちゃん付け」で呼ばれていると、18歳で成人の施設に行ってから混乱するのではないか? だったら今のうちから先生以外の大人としてどう関わるのか? 子ども達に受け入れてもらえるように挑戦してみたいとの思いで決めました。
子どもは親族以外の大人に出会うことが少なく、親族以外の大人に出会うと「先生」って呼ぶ子が多くいます。だけど、我々は「先生」ではないし、一人の子どもに関わる福祉職です。この子たちが18歳になるまでに、親族でもない、学校の先生でもない、変なおっちゃん、おばちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃんとしてどこまで彼らの心に存在できるのか? こいつは一丁挑戦してみようじゃないか! ってな感じです。
小さなことかもしれないけれど、言葉にこだわることで行動を変えてみたいと思ったのです。福祉職って、小さいこだわりの積み重ねで何かを変革していく仕事なんじゃないかな? と私は思います。その「こだわり」の引き出しの多さと、その「こだわり」に共感する人が多くなることがステップアップする自分の土台になるのではないかと私は思います。
私の文章に「○○○○」と括弧が多いのも、私なりの小さな「こだわり」です(癖とも言いますが…苦笑)。
そこまで気にしなくてもいいのかもしれないけれど、自分が介護職を続けてこられたのも何らかの「こだわり」があったからなのかな? と私は最近よく思います。そして、その「こだわり」が自身の成長、器の拡がりによってその時々で変化していくものもあれば、ずっと持ち続けるものもあり、それが自分の支えになったりもします。
たとえば私が教員時代から持ち続けている「こだわり」として、認知症を「ニンチ」と呼ぶような卒業生とは飲まないという私なりの「鉄の掟」があります。そして、施設での講演などを依頼されるとよくこの話を最初にして、その反応を見ています。「そうそう!」という表情で聞いてくれる人と「何そんなことにこだわっているの?」という表情の人、それぞれですけれど、私は前者の人と長く付き合いたいな〜と思っております。
認知症はれっきとした病名です。それなのに「最近ニンチ入ってきちゃって…」などと自分の担当ケースを説明することにもうちょっと抵抗感というか「こだわり」を持っていこうよ! 認知症を「ニンチ」と略しても話し言葉では0.01秒くらいしか短縮できませんから、ぜひともお願いしたいところです(強制はしませんが、私のフィールドではその手の略語はNGです)。
というわけで、実は、あなた自身も気付いていない大切な「こだわり」があったりするので、今回を機に振り返ってみてはいかがでしょう? というのが今回のテーマです。
現在、私は相模原市で放課後等デイサービス ねばーらんどという事業所を経営しております。放課後等デイサービスというのは、簡単に(字数の関係でかなり乱暴に)説明すると、小学1年生から高校3年生までの児童の放課後活動の場です。学童保育が近いイメージだと思います。2年ほど前にこの事業所を立ち上げる際に、集ってくれたスタッフさん達と、共有してもらいたいキーワードを何にしようか? と考えました。言ってみれば目標ですね。
しかし、最初から福祉専門職とはこうあるべき! などと高尚な目標を設定しても、そのキーワードがスタッフさん達の行動に浸透しなければ意味がありません。いろいろと考えましたが、即行動に移せて、しかも大切な思いを共有できるキーワードとしてこんな目標を最初に決めました。
「子どもの呼び方は、どの学年でも、〜君、〜さんで呼ぶこと」
20年ほど前、私が初めて福祉の仕事を始めたとき、成人の施設でも利用者を「〜ちゃん」「○○(呼び捨て)」と呼ぶのが当たり前でした。障がいがあるからといって、成人して自分より年上の利用者をそう呼ぶことに私はすごく抵抗があり、当時、授産施設で働いていた私は、利用者のことを同じ仕事をする同僚ととらえ、「〜君」「〜さん」と呼ぶようにしていました。
小さい時からずっと「ちゃん付け」で呼ばれていると、18歳で成人の施設に行ってから混乱するのではないか? だったら今のうちから先生以外の大人としてどう関わるのか? 子ども達に受け入れてもらえるように挑戦してみたいとの思いで決めました。
子どもは親族以外の大人に出会うことが少なく、親族以外の大人に出会うと「先生」って呼ぶ子が多くいます。だけど、我々は「先生」ではないし、一人の子どもに関わる福祉職です。この子たちが18歳になるまでに、親族でもない、学校の先生でもない、変なおっちゃん、おばちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃんとしてどこまで彼らの心に存在できるのか? こいつは一丁挑戦してみようじゃないか! ってな感じです。
小さなことかもしれないけれど、言葉にこだわることで行動を変えてみたいと思ったのです。福祉職って、小さいこだわりの積み重ねで何かを変革していく仕事なんじゃないかな? と私は思います。その「こだわり」の引き出しの多さと、その「こだわり」に共感する人が多くなることがステップアップする自分の土台になるのではないかと私は思います。
私の文章に「○○○○」と括弧が多いのも、私なりの小さな「こだわり」です(癖とも言いますが…苦笑)。