第1回 はじめまして!松崎です。
皆さんはじめまして。
今回、縁あってこの連載をさせていただくことになりました「松崎 匡」(まつざき ただし)と申します。介護・福祉に携わる皆さんが、ステップアップしていくための「ヒント」や「視野の拡げ方」などを、この場をお借りしてこれからいろいろとお伝えできればと思っております。
私自身まだまだ視野が狭く、一方的に何かを教えたり、説教がましいことが言える立場ではありません。皆さんと一緒に考えたり、議論したりすることで、一緒にステップアップできればと思っております。よろしくお願いいたします。
初めてなので自己紹介を・・・
今回は初回ですので、松崎とは何者? ということで、簡単に自己紹介をさせていただきます。
松崎 匡(44歳) 東京都八王子市出身
忌野清志郎の後輩になりたいというだけで高校を選び進学。「同じ高校に通えば清志郎になれる!」などという幻想は当然のごとく打ち砕かれ、清志郎の名言「大学は才能のない奴が行く所だ!」という言葉に感銘を受け、高校卒業後はミュージシャンを目指す。見かねた親戚に「あなたには介護が向いている」と言われ(こう言われるのには訳があるのですが省略)当時できたばかりの介護福祉士という資格が得られるというので介護の専門学校に入学。どういうめぐり合わせか入学式で高校の同級生に再開し、運命が変わる。
専門学校卒業時「何だか福祉っていっても高齢者福祉ばかりで、同じ福祉でも障がい者福祉は学校ではあんまり深く学んでないなー」と思い、卒業と同時にもらえる「介護福祉士」登録を拒否し(金が無かったとの説もあり…)当時の障がい者授産施設に就職。面接時に、当時珍しかった茶髪で参上したおかげでいまだに当時の施設長に「普通ならあんな茶髪は採用しなかったわよ」と言われる。そこで福祉の奥深さ、学校では学べなかった人への視点のあり方などがずっとベースにあります。
しかし、その施設を体調を崩して退職。その後は、障がい児の介助員(学校)、学童保育の指導員など27歳でミュージシャンの夢が破れるまで障がい者福祉に身を置く。
27歳より心機一転、新宿区立特別養護老人ホーム「かしわ苑」に転職。障がい者福祉と高齢者福祉のギャップに戸惑いながらもフロア主任などをさせていただく。その経験のおかげで、東京都町田市にある「アルファ医療福祉専門学校」で教員となり、ホームヘルパー、介護福祉士の養成に携わる。
教員生活では、学園理事長に出会えたおかげで、福祉の世界だけではない自分の視野も格段に拡がり、大変充実した毎日を送っていたのですが、突然の大病の宣告を受け、学校および学生に迷惑が掛からないようにと退職。どうせ福祉にずっと携わるなら、最後は自分で作ってみようと起業。
現在、神奈川県相模原市で障がい児の「放課後等デイサービス ねばーらんど」と訪問介護事業所「エーアイヘルパーステーション」などを細々と運営しております。
さまざまな経験をしてきましたが、今振り返っても、転職はほとんどすべてが「ステップアップ」につながってきています。
(ものは考えようによるってことです)
障がい者福祉、高齢者福祉両方に携ったことで視野が拡がり、それが役立って、確実に若いときよりは見えてくるものが違ってきています。今回の連載でも、高齢者福祉、障がい者福祉同じ福祉でも結構視点が違っていたり、解釈が違っていたりすることがあります。そんな切り口から皆さんと一緒に視野を拡げて、日々の仕事が充実したものになるようなきっかけになれたらよいな…と思っております。
よろしくお願いします。
今回、縁あってこの連載をさせていただくことになりました「松崎 匡」(まつざき ただし)と申します。介護・福祉に携わる皆さんが、ステップアップしていくための「ヒント」や「視野の拡げ方」などを、この場をお借りしてこれからいろいろとお伝えできればと思っております。
私自身まだまだ視野が狭く、一方的に何かを教えたり、説教がましいことが言える立場ではありません。皆さんと一緒に考えたり、議論したりすることで、一緒にステップアップできればと思っております。よろしくお願いいたします。
初めてなので自己紹介を・・・
今回は初回ですので、松崎とは何者? ということで、簡単に自己紹介をさせていただきます。
松崎 匡(44歳) 東京都八王子市出身
忌野清志郎の後輩になりたいというだけで高校を選び進学。「同じ高校に通えば清志郎になれる!」などという幻想は当然のごとく打ち砕かれ、清志郎の名言「大学は才能のない奴が行く所だ!」という言葉に感銘を受け、高校卒業後はミュージシャンを目指す。見かねた親戚に「あなたには介護が向いている」と言われ(こう言われるのには訳があるのですが省略)当時できたばかりの介護福祉士という資格が得られるというので介護の専門学校に入学。どういうめぐり合わせか入学式で高校の同級生に再開し、運命が変わる。
専門学校卒業時「何だか福祉っていっても高齢者福祉ばかりで、同じ福祉でも障がい者福祉は学校ではあんまり深く学んでないなー」と思い、卒業と同時にもらえる「介護福祉士」登録を拒否し(金が無かったとの説もあり…)当時の障がい者授産施設に就職。面接時に、当時珍しかった茶髪で参上したおかげでいまだに当時の施設長に「普通ならあんな茶髪は採用しなかったわよ」と言われる。そこで福祉の奥深さ、学校では学べなかった人への視点のあり方などがずっとベースにあります。
しかし、その施設を体調を崩して退職。その後は、障がい児の介助員(学校)、学童保育の指導員など27歳でミュージシャンの夢が破れるまで障がい者福祉に身を置く。
27歳より心機一転、新宿区立特別養護老人ホーム「かしわ苑」に転職。障がい者福祉と高齢者福祉のギャップに戸惑いながらもフロア主任などをさせていただく。その経験のおかげで、東京都町田市にある「アルファ医療福祉専門学校」で教員となり、ホームヘルパー、介護福祉士の養成に携わる。
教員生活では、学園理事長に出会えたおかげで、福祉の世界だけではない自分の視野も格段に拡がり、大変充実した毎日を送っていたのですが、突然の大病の宣告を受け、学校および学生に迷惑が掛からないようにと退職。どうせ福祉にずっと携わるなら、最後は自分で作ってみようと起業。
現在、神奈川県相模原市で障がい児の「放課後等デイサービス ねばーらんど」と訪問介護事業所「エーアイヘルパーステーション」などを細々と運営しております。
さまざまな経験をしてきましたが、今振り返っても、転職はほとんどすべてが「ステップアップ」につながってきています。
(ものは考えようによるってことです)
障がい者福祉、高齢者福祉両方に携ったことで視野が拡がり、それが役立って、確実に若いときよりは見えてくるものが違ってきています。今回の連載でも、高齢者福祉、障がい者福祉同じ福祉でも結構視点が違っていたり、解釈が違っていたりすることがあります。そんな切り口から皆さんと一緒に視野を拡げて、日々の仕事が充実したものになるようなきっかけになれたらよいな…と思っております。
よろしくお願いします。