第11回 医療と尊厳
娘さんからの突然の電話でした。
「大腿骨骨折で入院した母が、手術の後の具合が良くなくて、もう長くないと言われました。家で看取りたいのですが主治医をお願いできますか?」
病院では、ほとんど目も開かず、食事もせず、点滴と鼻からの栄養チューブと酸素で命をつないでいた90歳のHさん。自然な状態で最期を迎えさせてあげたいという娘さんの希望で、自宅退院後、医療行為はすべてやめることにしました。
「食べたいものを少しでも」の食事介助から始まった在宅療養ですが、3か月後には、きれいに骨を残して魚を平らげるという入院前のお得意の芸当を披露されるようになりました。「目を離すと、勝手にひとりで買い物に行っちゃって困ってるんです」。今や、すべては記憶の彼方です。
Hさんのように、ただ自宅に戻ったというだけで入院中とは全く別人のように元気になるケースは珍しくありません。この命を蘇らせるエネルギーのことを、私たちは「在宅パワー」と呼んでいます。
「大腿骨骨折で入院した母が、手術の後の具合が良くなくて、もう長くないと言われました。家で看取りたいのですが主治医をお願いできますか?」
病院では、ほとんど目も開かず、食事もせず、点滴と鼻からの栄養チューブと酸素で命をつないでいた90歳のHさん。自然な状態で最期を迎えさせてあげたいという娘さんの希望で、自宅退院後、医療行為はすべてやめることにしました。
「食べたいものを少しでも」の食事介助から始まった在宅療養ですが、3か月後には、きれいに骨を残して魚を平らげるという入院前のお得意の芸当を披露されるようになりました。「目を離すと、勝手にひとりで買い物に行っちゃって困ってるんです」。今や、すべては記憶の彼方です。
Hさんのように、ただ自宅に戻ったというだけで入院中とは全く別人のように元気になるケースは珍しくありません。この命を蘇らせるエネルギーのことを、私たちは「在宅パワー」と呼んでいます。
延命治療の功罪
現代の医療は、いかに「死」に向き合うかが問われる転換期に突入し、治癒不可能な病気で回復の見込みのないと診断された患者に対する医療のあり方が問われています。生命維持のための治療を総称して「延命治療」と言い、在宅で療養する人の場合、人工呼吸器、点滴などの輸液、チューブを使って栄養を補給する経管栄養などが、延命治療として主に施されます。
延命技術の発達がもたらした生命の維持は、患者が本人の意思ではなく、第三者によって「生かされている」という状態になってしまう危険をもっています。
「寝返りも打てず、一日中天井を見つめ、言葉も出せず感情も表現できず、でも栄養は入るから、ただ延々と生き永らえる」
このことに対して、「それは、本人にとって幸せであるのか、こうしてあげることがいいに違いないという単なる憶測や、家族や医療者の満足に過ぎないのではないか」などを問う必要があります。
逆に、「それは本人にとって不幸であり、その状態で生きていることは無駄であると本当に言い切れるのか」も考えなくてはなりません。実際の医療の現場で、その治療法が「大切な救命治療」か「意味のない延命治療」かを判断するのは常に難しい問題です。
延命治療は、さまざまな身体的条件に加え、その人の希望や価値観、死生観などを考慮し、「命の尊さ」と「人間としての尊厳」に照らして、総合的に判断してその要否を決めることが大切です。
延命技術の発達がもたらした生命の維持は、患者が本人の意思ではなく、第三者によって「生かされている」という状態になってしまう危険をもっています。
「寝返りも打てず、一日中天井を見つめ、言葉も出せず感情も表現できず、でも栄養は入るから、ただ延々と生き永らえる」
このことに対して、「それは、本人にとって幸せであるのか、こうしてあげることがいいに違いないという単なる憶測や、家族や医療者の満足に過ぎないのではないか」などを問う必要があります。
逆に、「それは本人にとって不幸であり、その状態で生きていることは無駄であると本当に言い切れるのか」も考えなくてはなりません。実際の医療の現場で、その治療法が「大切な救命治療」か「意味のない延命治療」かを判断するのは常に難しい問題です。
延命治療は、さまざまな身体的条件に加え、その人の希望や価値観、死生観などを考慮し、「命の尊さ」と「人間としての尊厳」に照らして、総合的に判断してその要否を決めることが大切です。
尊厳をもって生きるために
「老い」も「死」も、私たち全員に訪れる自然の過程です。その中でどのような医療を受けるか、あるいは受けないかは、皆さん一人ひとりの自由意志です。その意志と具体的な希望が明確であれば、周囲はその意志を尊重し、協力して支援することになります。
ですから皆さんは、延命のためのさまざまの医療行為について、そのメリットとデメリットを含め、正確に理解する必要があります。もし病気で意識が障害されたり判断力がなくなった状態で、本人が意思表示できない場合は、家族が本人の意思を代弁することになります。ですから、元気なときから家族や身近な人に、自分の希望を具体的な部分まできちんと伝えておきましょう。
このとき気をつけなければならないのは、「死」にばかり意識がいくと、尊厳の本質を見失ってしまうことです。「死」は当然「生」の延長線上にあります 。尊厳をもって死ぬことは、結局のところ、いかに尊厳をもって生きるかです。自分の魂がどのような生き方を望んでいるのか、自分にとっての真の幸せや喜びは何であるのかを、自分自身に常に問いかけることを心がけましょう。
次回は、7月6日(金)更新予定です。
ですから皆さんは、延命のためのさまざまの医療行為について、そのメリットとデメリットを含め、正確に理解する必要があります。もし病気で意識が障害されたり判断力がなくなった状態で、本人が意思表示できない場合は、家族が本人の意思を代弁することになります。ですから、元気なときから家族や身近な人に、自分の希望を具体的な部分まできちんと伝えておきましょう。
このとき気をつけなければならないのは、「死」にばかり意識がいくと、尊厳の本質を見失ってしまうことです。「死」は当然「生」の延長線上にあります 。尊厳をもって死ぬことは、結局のところ、いかに尊厳をもって生きるかです。自分の魂がどのような生き方を望んでいるのか、自分にとっての真の幸せや喜びは何であるのかを、自分自身に常に問いかけることを心がけましょう。
次回は、7月6日(金)更新予定です。