最終回 自宅で死ぬこと
「そりゃあ、家(うち)がいいですよ!」
退院して自宅に戻った人から必ず返ってくる言葉です。アンケート調査などを総合的にみても、多くの人が、条件さえ整えば自宅での最期を望んでいることがわかります。「病院で死にたい」「最後は老人ホームに入りたい」と心からそう願っている人はまれです。その理由はどこにあるのでしょうか?
最終回では、「自宅で死ぬこと」を実現させるときの心構えと、そこに存在する本当の意味を考えてみましょう。
退院して自宅に戻った人から必ず返ってくる言葉です。アンケート調査などを総合的にみても、多くの人が、条件さえ整えば自宅での最期を望んでいることがわかります。「病院で死にたい」「最後は老人ホームに入りたい」と心からそう願っている人はまれです。その理由はどこにあるのでしょうか?
最終回では、「自宅で死ぬこと」を実現させるときの心構えと、そこに存在する本当の意味を考えてみましょう。
豊かさと満足を伴う在宅死を実現するために
日本では長い間、病室という社会から隔離された空間で、「死」が現代医療の敗北の姿として扱われてきました。すると日本人は、見えなくなった「死」が、あたかも自分とは無関係であると錯覚するようになり、やがて「人が死ぬとはどういうことなのか」を考えなくなったのです。
そのような社会で生きてきた人が、いきなり「自宅で死ぬ」という選択肢を目の前に突きつけられれば、戸惑ってしまうのは当然です。しかし、現在の日本における在宅医療や在宅死を推進する急速な流れは、それらが社会的に認知され、システムが成熟するのを待ってはくれません。ですから、混迷するこの時代において、「豊かさと満足を伴う在宅死」を実現したいと考えるならば、「死」に対する考え方や心構えを、私たち一人ひとりがしっかりともたなくてはならないのです。
そのような社会で生きてきた人が、いきなり「自宅で死ぬ」という選択肢を目の前に突きつけられれば、戸惑ってしまうのは当然です。しかし、現在の日本における在宅医療や在宅死を推進する急速な流れは、それらが社会的に認知され、システムが成熟するのを待ってはくれません。ですから、混迷するこの時代において、「豊かさと満足を伴う在宅死」を実現したいと考えるならば、「死」に対する考え方や心構えを、私たち一人ひとりがしっかりともたなくてはならないのです。
自分の生と死に正面から向き合う
そこでまず大切なのは「自分の家で死にたい」ということが、純粋に自分の本音であることです。その上で、在宅で受けられる医療、看護、介護、福祉、保健のサービスについての知識をもつことが必要になります。
死が迫ってきたとき自分はどうなっていくのか、そのとき選択できるサービスにはどのようなものがあるのか、どうすればそれを受けられるのか、お金はどのくらいかかるのかなどを、人任せにせず、私たち自身が正確に理解しなくてはなりません。
そして最も重要なのは、「自分の死」と「生きること」に正面から向き合うことです。「死」が自分のものとしてとらえられたら、自分が生まれてきたこと、今ここに自分が存在している意味を自らに問いましょう。
死が迫ってきたとき自分はどうなっていくのか、そのとき選択できるサービスにはどのようなものがあるのか、どうすればそれを受けられるのか、お金はどのくらいかかるのかなどを、人任せにせず、私たち自身が正確に理解しなくてはなりません。
そして最も重要なのは、「自分の死」と「生きること」に正面から向き合うことです。「死」が自分のものとしてとらえられたら、自分が生まれてきたこと、今ここに自分が存在している意味を自らに問いましょう。
いのちのバトンタッチ
たとえ末期がんであっても、治ることのない難病であっても、生きがいをもって、生き生きと自分らしく生きることをあきらめる必要はありません。試練と闘い、自らが自分の限界を超えるとき、肉体の老化に反して魂は磨かれ、人は最後まで成長し続けます。それは生きざまとして、そのまま死にざまとなります。そのことが、皆さんの大切な人への言葉のないメッセージとして伝わり、その人の心の中で生き続けるのです。
自宅には、風や光、生命の存在、癒しや愛情が感じられて、過去とのつながりや自分の存在が確認できる空間と時間があります。何者にも邪魔されない自分だけの世界で人生を振り返り、納得ができたときに、自分を許し他人を許すことができるはずです。
この世で大切な人に出会えたこと、さまざまな経験、人生における苦しみや悲しみさえ、旅立つときにはすべてが感謝となり、心から「ありがとう」と言えるのです。
「死」はゴールではなく、いのちのバトンタッチです。自分のいのちが自分だけのものではないという気づきが、心豊かに生き抜き、愛とエネルギーを次のいのちに注ぎ込むことを可能にします。自宅で死ぬことの真の意味はそこにあるのです。
自宅には、風や光、生命の存在、癒しや愛情が感じられて、過去とのつながりや自分の存在が確認できる空間と時間があります。何者にも邪魔されない自分だけの世界で人生を振り返り、納得ができたときに、自分を許し他人を許すことができるはずです。
この世で大切な人に出会えたこと、さまざまな経験、人生における苦しみや悲しみさえ、旅立つときにはすべてが感謝となり、心から「ありがとう」と言えるのです。
「死」はゴールではなく、いのちのバトンタッチです。自分のいのちが自分だけのものではないという気づきが、心豊かに生き抜き、愛とエネルギーを次のいのちに注ぎ込むことを可能にします。自宅で死ぬことの真の意味はそこにあるのです。