第6回 しん友の心をつかむ交際術
―自分の魅力を自己PR(ラブ・ミー・コール)せよ―
自己PRというのは、ラブ・ミー、すなわち“私を理解して”という求愛のことであるだろう。しん友の心をつかむ手順は、求愛の仕方とまったく同じなのだ。こんな人には自分をわかってもらいたいと心の中で評価できる相手をみつけ、あなたのほうから大胆に口火を切ってラブ・ミー・コール(対話)を仕掛けていくことだ。この姿勢が、ひと味違う方法を編み出していくようになる。
すばやい反応を示して関門パス
人物判断の初歩的なチェックは、言葉よりも行動でみる場合が多い。したがって、日常の生活行動がいい加減であったりすると、たとえどんな立派な口を叩いてもきびしい評価をつけられてしまう。
人間がきちんとしているかどうかということは、つきあいを持続させていくうえで、きわめて大切な基本的行動なのだ。
人から何かしてもらった際に、感謝のタイミングが早いほど相手の心にきちんとした印象を与えるものである。
ことにしん友と目される人たちは、投げてこられたボールは必ず返球する習慣が身についているだけに、それをきちんとやらない人を、つきあいの第一関門でまずふるいにかけてしまうことが多い。
人間がきちんとしているかどうかということは、つきあいを持続させていくうえで、きわめて大切な基本的行動なのだ。
人から何かしてもらった際に、感謝のタイミングが早いほど相手の心にきちんとした印象を与えるものである。
ことにしん友と目される人たちは、投げてこられたボールは必ず返球する習慣が身についているだけに、それをきちんとやらない人を、つきあいの第一関門でまずふるいにかけてしまうことが多い。
知的サービスの活用
モノやカネのサービスは、それが過ぎるとすぐれた人物であるほどに束縛感を受ける感じに陥って、当の相手から逃げ出したくなるものだ。
むしろ自分の情報を求めながらその人に有益な情報を見出したら、切り抜くなりコピーするなりして送り届ける。そのような知的サービスならたいへん歓迎されよう。
相手にこちらの情(なさけ)を報(し)らせることで、共に生きる相手の明日を思う心づかいを示していくことができる。つきあい方では、その技術以前に“心”がモノをいうものである。
むしろ自分の情報を求めながらその人に有益な情報を見出したら、切り抜くなりコピーするなりして送り届ける。そのような知的サービスならたいへん歓迎されよう。
相手にこちらの情(なさけ)を報(し)らせることで、共に生きる相手の明日を思う心づかいを示していくことができる。つきあい方では、その技術以前に“心”がモノをいうものである。
情感人は理屈やさんよりPR上手
口ベタだからと思いこんで、それでいつも損ばかりしている、というのは大いなる誤解だ。人づきあいではひと言少ないほうが、何かにつけてひと言理屈をつけたがる人よりも好印象を与えやすい。
口で足らざるところは、親しみのある表情で和やかなムードを出す、身ぶり手ぶりで感情にアクセントをつけるといったように、体全体で意思の伝達を補う。
このようにして情感を相手に感じさせていくほうが、血の通わぬ論理を展開されるより、裸の人間として自分を理解させようとする勇気とまごころがみられて、人の心を打っていくのだ。
口で足らざるところは、親しみのある表情で和やかなムードを出す、身ぶり手ぶりで感情にアクセントをつけるといったように、体全体で意思の伝達を補う。
このようにして情感を相手に感じさせていくほうが、血の通わぬ論理を展開されるより、裸の人間として自分を理解させようとする勇気とまごころがみられて、人の心を打っていくのだ。