精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第30回:親と縁を切る

2026/04/30

 みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。

 

 「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題についてお話ししていきます。

 

 第13回から、CoCoTELIの活動を通して感じている当事者の子ども・若者を取り巻く課題感とそれぞれができることについて、あくまでも現場で活動する一人の実践者としての視点で書いています。今回は、当事者の子ども・若者が誰かに相談したとき、返ってくることのある「言葉」をテーマに書いていけたらと思います。

 

著者

平井登威(ひらい・とおい)

2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。

 

NPO法人CoCoTELI

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「親と縁を切ったほうがいい」という言葉

 精神疾患の親をもつ子ども・若者が誰かに相談したときに返ってくる言葉の中に、「そんな親なら縁を切ったほうがいい」というものがあります。

 

 言う側に悪意はありません。むしろ、親身になって言ってくれていることが多く、「あなたがかわいそうだ」「そんな環境にいる必要はない」という思いが、その言葉の背景にあります。

 

 でも、支援にかかわっていると、この言葉がどれほど当事者に届かないか、そして、時にどれだけ傷つけてしまうかということを、強く感じます。


「縁を切る」とは、どういうことなのか

 そもそも、「縁を切る」とは何を指しているのでしょうか? 連絡を絶つことなのか。家を出ることなのか。法的に親子関係を解消することなのか。よく聞く言葉、よく使われる言葉ですが、その中身は曖昧であることが多いように思います。

 

 実際には、親子の縁を法的に切ることは制度上きわめて難しく、仮に物理的な距離をとったとしても、戸籍上のつながりは残り続けます。親が生活に困れば子に扶養の責任が生じることもあります。「縁を切る」という言葉が想像させるほど、現実はすっきりとはいかないことが多いはずです。

 

 そんななか、「縁を切ったほうがいい」という言葉を受け取る側の子ども・若者にとって、それはどう響くでしょうか? 具体的な方法も見えないまま、「縁を切ること」だけが正解のように提示されますが、その曖昧で一方的な言葉が、当事者の心をどれほど揺らすのか。言った側が想像している以上に、大きいと思います。


親子関係は、0か100ではない

 精神疾患の親をもつ子ども・若者にとって、親との関係は「ずっとしんどい」だけではありません。

 

 親が調子の良い時期がある。子どもの頃、楽しかった記憶がある。元気なときの親の姿を知っている。病気になる前、あるいは症状が落ち着いているときの親との時間が存在していることも多くあります。

 

「縁を切ったほうがいい」という言葉は、親との関係全体を「悪いもの」として評価し、「だから切り離せばいい」という、複雑さをまるごと無視している言葉のように感じます。

 

 でも当事者にとって、親との関係はそんなにシンプルではありません。怖い気持ちがある。しんどい。でも、楽しかったときのことも知っている。親を責め切れない。「縁を切れ」と言われても、そうするための感情的な準備が整っていない。というより、そもそも「縁を切ること」が正解だと思えていない。

 

 そんな葛藤や難しさがあります。


「割り切れない」ことへの罪悪感

 「縁を切ったほうがいい」という言葉が当事者に与える副作用の一つに、「なぜ自分は自分を大切にするためにそうできないんだろう」という自責があります。

 

 周りの人がみんな「縁を切れ」と言うなかでそれができない自分は、弱いのか、間違っているのか。そういった問いが生まれることがあります。

 

 親への複雑な感情をもちながら、それを「正しくない感情」として扱われる経験は、当事者をさらに孤立させ、「こんなことを思っている自分はおかしい」という感覚が、本当のことを話すことへの壁になっていってしまいます。

 

 この「割り切れなさ」を、解消すべきものとして扱うのではなく、「そういうものだ」として受け止めること、感情の矛盾を正そうとするのではなく、その矛盾ごと受け取ることが、まず必要なことだと思います。


「答えが出ない時間」のそばにいること

 周囲の大人には何ができるのかを考えてみます。

 

 今の関係がしんどいことと、親との縁を切ることは、別の話です。距離をとることと、関係を終わらせることも、別の話です。そんな中で当事者が自分のペースで、自分の感情と向き合いながら、関係のあり方を考えていける環境をつくることが、周囲の大人に求められることだと思います。

 

 でも、そんな答えを出すことは簡単ではないと思います。「縁を切ったほうがいい」も「切らなくていい」も、外から渡せる正解ではありません。本人にしか出せない答えだし、本人もすぐには出せないことのほうが多いです(もちろん、緊急性が高く、ただちに安全を確保する必要があるケースでは別だと思います)。

 

 大切なのは、その「答えが出ない時間」を一緒に過ごせる大人がいることなのではないでしょうか?

 

 結論を急かさない。沈黙を無理に埋めようとしない。「こうしたほうがいい」と言いたくなる気持ちを抑えて、ただ、その人が考えている時間のそばにいる。それは何もしていないように見えるかもしれない。でも、答えの出ない問いに向き合っている人にとって、隣に誰かがいるということは、それだけで意味があると思います。

 

 そして、その大人の存在自体が「環境」になります。過度な肯定も否定もせず、ただ安心して考えていいのだと伝わる空気をつくること。そういう大人がそばにいれば、親との関係を自分自身の問いとして、安全に考えることができる場が生まれると思います。

 

 所作や態度は、言葉よりも先に届きます。どんな表情で聴いているか。どんな姿勢でそこにいるか。子ども・若者は、そういうところをよく見ているはずです。


善意の言葉が届かないとき

 「縁を切ったほうがいい」という言葉は、善意から来ています。だからこそ、「それは違う」と言いにくい面もあります。

 

 でも、善意であれば何を言ってもいいわけではないはずです。当事者の複雑な感情の中に踏み込むとき、「あなたのために言っている」という気持ちは必要条件であっても、十分条件ではありません。

 

 「縁を切ったほうがいい」という言葉が出そうになったときには、少しだけ立ち止まってみてほしいです。その言葉が届くかどうかよりも、今その人が何を必要としているかを、もう一度考えてみることが出発点になると思います。


関連書籍

 中央法規出版では,『精神疾患のある親をもつ子どもの支援』という書籍を発刊しました。参考にしていただければ幸いです。