精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第4回: 中学生時代②――当時の自分を支えてくれたのは何か?
2025/03/19

みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。
「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題までお話ししていきます。
第3回では、精神疾患の親をもつ子どもとして育った子ども時代のなかでも、中学生時代に焦点を当て、当時明確に意識し始めた周囲との違いとそこに対する葛藤についてお話ししました。
第4回となる今回も、引き続いて中学生時代に焦点を当てたいと思います。この時期は、多感な時期でもありさまざまな葛藤に頭を悩ませた時期でもありました。
著者

平井登威(ひらい・とおい)
2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。
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小さな物音がストレスだった毎日
第3回でも振り返ったように、当時の我が家は喧嘩が絶えない毎日で、周囲との比較に頭を悩ませていました。そんななか、中学生だった僕はいわゆる反抗期に入りました。
今までの積み重ねからくる親への負の感情も強くあり、親の歩く音や話し声、ドアを閉める音など、小さな物音まですべての生活音にストレスを感じる毎日。
そんな生活音は一緒に暮らしていれば当たり前にあるので、本当に常にイライラしていた気がします。
家は安全・安心でなく、心が落ち着かない場所でした。
しかし、そのイライラや怒りに対して反抗したら親の調子を崩してしまう。そしてそれは家庭の状況が悪化することを意味する。でもイライラする……。そんな葛藤を日々繰り返していました。でもやっぱり、中学生の自分は勢いで反抗してしまうときもあり、その先に待っている地獄を経験するたびに、我慢することができなかった自分を情けなく思い、後悔、自己嫌悪に陥るループを繰り返していました。
学校は自分にとってとても大切な場所だった
学校では家のことを隠すために、明るい問題児キャラで過ごしていましたが、そんな学校での生活は当時の自分にとって、サッカーと同じくらいとても大切な場所でした。
「閉鎖的な家庭」という空間、当時の自分にとってのストレス要因だった「親」から離れられる時間は、学校に行っている時間とサッカーをしている時間でした。もちろん、どちらの時間も常に親のことは頭にチラついていましたが、やっぱり物理的に距離を取ることができる時間というのは、当時の自分にとってとても大切な時間でした。
アホなことを言って友人と笑い合う時間。体育で身体を動かす時間。授業中に友達とふざけ合って騒いでいた時間。前日の家庭トラブルの影響であまり寝れなくて授業中に寝た時間。授業をサボって遊んでいた時間。サッカーが休みの日にできるだけ家に帰るのを遅らせたい一心で、放課後に教室に残って友達とワイワイした時間。すべてが今振り返ると、自分にとって大きな支えになっていたんだと思います。
そんな時間のなかには、友人と悪さをしたり、授業中にワイワイ騒いだり、寝たり、と世間一般的にみて良くなかったり、周囲に迷惑をかけてしまったりしたこともあるかもしれません。
しかし、当時、周囲に家庭のことを相談できない自分にとって、そんな世間一般的に見て良くないことくらいしか自分を守る方法がなかったことも事実です。周囲に迷惑をかけてしまったことも多く、今振り返ると大きな反省があり、とても苦しい気持ちもあります。でも、傷つけてしまった相手からしたらそんなことは関係ありません。そして同時に、「当時の自分はどうすれば良かったのか?」は今でもわかりません。
「もしかしたら、問題行動・攻撃性の高い行為をよくするあの子は、その裏で何かに苦しさを感じているのかもしれない。その苦しさをぶつける手段がそれなのかもしれない」
子どもの周囲にいる大人がそんな視点をもつことが、苦しさを吐き出す手段が加害として表出することにつながることを防ぐきっかけとなり、結果的に子どもを守ることにつながるのかもしれません。
改めて振り返って
中学生時代の自分にとって、「学校が支えだった」という結論になったのは正直意外でした。
勉強が嫌いで、友人に家族のことは隠さないといけないために近づき過ぎないようにしていて、悪いことをして怒られることも多くて、当時はそんな毎日を繰り返していたため、「学校」が支えになっているなんて考えたこともありませんでしたが、今振り返ると、確かに支えでした。
最近、居場所づくりや支援について考えるなかで、「支え」や「居場所」は、後から振り返って「あのときのあれって支えだったな。居場所だったな」と、後から気づく時間差があることも多いのではないかな? と思ったりもしています。
また、「居場所」「支え」と感じる(決める)のは本人であるからこそ、僕たち大人にできることは、「居場所づくり」ではなく、「居場所になりうる場/空間/環境づくり」だと思います。そしてそのなかで、「世間一般の良い」「期待する子ども像」という当たり前に縛られすぎず、「居場所と感じ得る場所をどう増やすか/可能性を上げるか」ということに向き合っていくことが大切なのではないか? と思ったりもしています。
第4回は中学生時代の支えについて振り返りましたが、次回はよりサッカーに熱中した高校生時代について振り返っていけたらと思います。
