精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第3回: 中学生時代①――明確に意識し始めた周囲との違い
2025/03/05

みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。
「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題までお話ししていきます。
第2回では、精神疾患の親をもつ子どもとして育った子ども時代のなかでも、幼稚園から小学校時代に焦点を当て、当時経験した孤独や葛藤、支えとなった出来事についてお話ししました。
第3回となる今回は、中学生時代に焦点を当てます。この時期は、周囲との違いを明確に意識し始めた時期で、さまざまな葛藤があった時期でもありました。
著者

平井登威(ひらい・とおい)
2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。
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気づいてしまった周囲との違い
中学生になっても、日々不安定で気の抜けない家庭状況が続きました。特に、数年前に結婚・出産をして家を離れていた姉が実家に戻ってきたのも大きな出来事でした。
父と姉の折り合いが悪くぶつかり合う毎日。姉がリビングに入るタイミングは空気が変わるのがわかるほどで、普段に増して「緊張スイッチ」が入りました。小さなきっかけから争い、怒鳴り声が絶えない毎日。中学生という多感な時期を過ごすなかでさまざまな葛藤を経験しました。
そんな苦しいなかでも日常生活は続きます。僕が入学した中学校は、3つの小学校の生徒が集まる学校。小学生時代に比べコミュニティが広がり、自分や周囲の成長に伴い日々広げられる会話の内容も変わってきて、いわゆる反抗期に入った周囲の「家庭の愚痴」が休み時間やLINEでの会話に出てくることも多くありました。
そのようななかで出てくる友人の家庭の愚痴は、友人本人にとってはとても大切な気持ちであると同時に、当時の自分にとってはとても平和なものに感じられました。また、友人の家族旅行の話や家庭内での会話の話、家族のグループLINEの話など、「家庭での幸せ」を連想するような話を聞いていて羨ましさを感じたこともありました。自分が話す順番が回ってきたときには、自分の家庭のことをどう説明すればいいのか悩みました。家族に関する会話をするときはできるだけ聞き役に回っていたと思います。
そんな会話を重ねるなかで、小学生時代から薄々感じていた「うちっておかしいかも」という違和感が明確な違いとして認識され、相談の選択を取るハードルがより高くなった記憶があります。
中学生になっても話せなかった家族のこと
他の家庭との違いを明確に意識し始めたものの、自身の家庭環境の周囲との違いに恥ずかしさを感じ、以前にも増して悩みを隠すようになりました。自分の本音を誰にも話せず、孤独感がさらに深まっていきました。
表向きはワイワイ友達と騒ぎ、時には問題行動をして先生に怒られるような問題児的な立ち位置の僕は、周囲からは「悩みとかなさそう」と言われるような生徒でした。でも毎日のように家庭では問題が起き、喧嘩に巻き込まれたり、物音に怯えて眠れなかったりする日もありました。
今振り返ると、家族で問題が起き、十分に寝ることができなかった日の翌日は問題行動が多かった気もします。そこで怒られ、先生と1対1になるときも悩みを話すことはできませんでした。
自分のプレーが家庭を左右する
また、支えであったサッカーにも、小学生時代に増して積極的に取り組んでいました。サッカーを応援してくれている両親は、毎日のようにサッカーの練習を見に来ていました。友人からは「とーいの親、いつもサッカー見に来てて仲良いよね」と言われるように、外向きでは仲良しで平和な家族で、周囲との認識のギャップの難しさも感じていました。
当時、僕のサッカーは父にとっては依存先の1つで、サッカーの調子が父の調子=家庭の状況を左右していました。大好きなサッカーでありつつ、自分のプレーが家庭の状況を左右するプレッシャーとしてのサッカーでもありました。
当時は、学校生活やサッカーをするときも、心のなかでは常に家庭のことを気にしており、完全に安心できる場所はどこにもありませんでした。
今にして思うと、相談だけでもできていたら心が楽になったり、状況が変わったりすることもあったかもしれません。でも、当時の僕には「どこかの支援機関に相談する」という選択肢すら思い浮かびませんでした。
改めて振り返って
中学生時代の僕は、周囲との違いを明確に意識したにもかかわらず、誰にも相談できませんでした。
現在、日々、支援活動をするなかで感じますが、子ども・若者がそもそも自身の状況を「自覚」して「客観視」して「言語化」して、「勇気を出して相談」するハードルはとても高いと思います。今振り返ると、当時の自分もそのいくつも重なる大きなハードルにぶつかっていたのだと思います。
次回も引き続き中学時代。「支え」になったことについて振り返ります。毎日が安全・安心の外の状況にあった中学時代の自分にとって何が支えになったのか振り返りたいと思います。
