【vol.5】青年が老人ホームに入った途端、天井が低くなったような気がした|私はミューズとゼウスのケアラーです
2025/05/14

韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学
激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
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そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』『こんなに泣いて疲れたでしょう』『東京因縁』)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア三部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。
青年が老人ホームに入った途端、天井が低くなったような気がした。180cmをはるかに超えて見える。「ミューズ25」は1925年生まれである。昔は戸籍を1、2年くらい遅らして登録したらしい。となると、「ミューズ25」の年齢はおそらく95歳以上だ。そんな彼女の元には毎週青年がやって来て、おばあさんの話し相手になってくれる。シナモンのキャンデーを買うといったおつかいに出かけたりもする。先日はちょうど夕食を始めようとしたところに、その青年が来た。私は、若い人が老人ホームにいる祖母をよく訪ねるのにとても感心して、その日の自分の分の夕食を青年に譲った。おばあさんが孫に温かいお膳立てをするという気持ちで。青年が手を振って断る。
「おばあさんの毎日食べているご飯がどんなものなのか、どうぞ楽しんで。一緒に食事をしながら、おばあさんがおかずを残さず食べるよう、手伝ってあげるのはどうでしょうか」
彼が私の提案通りに食事を終える間、時計は、平均的な孫の滞在時間より20分も進んでいた。
私は訪問ノートに署名する彼に尋ねる。
「本当におばあさんのことがお好きですね。私もお母さんが働いていたから、おばあちゃんっ子でした」
彼はまばたきしてまつげを動かしながら、うれしそうに私に尋ねる。
「おばあさんに育ててもらったんですか? 私もおばあさんに大きく育ててもらいました。うちのおばあさんは最初、おむつをするのが大嫌いでした。とてもきれい好きなんです」
私は会話を続ける。
「そうです、考えてみてください。一日中おむつを付けていたら、どんなに息苦しいか。おむつを交換するたびに、きれいに拭いてからローションとメンソレータムを混ぜて背中に塗り、マッサージしてあげると、とても喜んでくれるんです」
訪問ノートへ記入した後、青年は普段なら面会が終わったら急いで帰るのだが、その日はかばんをゴソゴソとかき回して、ドリンクを取り出した。そのドリンクは現在、私のデスクに堂々と置かれている。
遠い将来、私の孫も老人ホームにいる、私に会いにくるだろう。自分の祖母をよろしく頼むつもりで、飲み物をスーパーで買ってくるかもしれない。野球帽をかぶり、長身の腰をかがめて、訪問ノートに署名をしてから私の前に座るだろう。去る前に孫が恥ずかしそうな笑みを浮かべて、私の頬を撫でてくれればありがたい。
著者紹介
イ・ウンジュ 이은주
1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、