【vol.4】私は小花柄の布団がないと眠れないんだ | 私はミューズとゼウスのケアラーです
2025/05/07

韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学
激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
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そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』『こんなに泣いて疲れたでしょう』『東京因縁』)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア三部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。
「嫁に面倒を見られることが恥ずかしくて、しぶしぶここに来ました。結婚したばかりなのに、姑の私が彼女を憎んでいると知られてはまずいでしょう。
若い時、どうしてそんなに私を殴ってたのですか? 私は今も、あなたが近くにいると殴られるのではないかと怖いです。見てください。あなたが喜んだときに手を上げるだけでも、私の体は反射的にビクッとしているじゃないですか。
本当に嫁さえいなかったら、今日来たくなかったです。私はもうあちこち痛いのに、あなたが食べるピーナッツキャラメルやカステラがなくなったと連絡が来て、私のリハビリテーションの予約を延ばしてきたのよ。今からでもリハビリを受けに行きたいのですが、何も知らない嫁が起きようとしませんね。あなたが『もう帰っていい』と言ってくれればいいのに」
ご主人のお見舞いに来ると、いつもある程度の距離を保って離れて座る夫人がいた。後で知った事実だが、若い頃から夫に殴られて暮らしていたらしい。夫である「ゼウス・キャプテン」の体が不自由になり老人ホームの暮らしが始まった。嫁の前で姑が殴られているのは見せられないので、できるだけ離れて座るようだ。実際、全身に入れ墨があるゼウスをケアする私たちも、事情はたいして変わらない。
今日はゼウスがお風呂に入る日。先週、ゼウスを洗った同僚は、体を洗ってあげる途中、頭を一発拳で殴られたという。朝から私は慌ただしい。右側の麻痺で体が不自由なゼウスをベッドから車椅子に移し、再び入浴椅子に移した後、車椅子に移すのは大変なことだ。 2人1組で動くとはいえ、1人が入浴を担当する間、1人はベッドシーツと布団を交換し、着替えも準備しなければならないため、負荷が大きい労働になることが多い。忙しい療養保護士を思って、ゼウスが声かけに従って、順調に着替えるかというと、そうはいかない。
「今日は私がお風呂に入る日なんだ。不便な体で気が進まない。お風呂に入るだけでも腹が立つんだよ。部屋から浴室まで車椅子で移動する時、居間で見知らぬおばあさんたちが、私が通り過ぎるまで見物をするので面倒だ。昔、私がどんな人間だったのか知らないのだろうか。パジャマ姿で車椅子に乗って、女性たちの前を横切るなんてたまらない。ほらほら、いったいあの女は何が面白いんだ。私の顔を見て笑っているじゃないか。この手のひらほどの毛布じゃあ、膝しか隠せないだろう。よせよ、その手を。私が車椅子でお風呂の椅子に移動できないと思うのか。あれ、おかしいな、なんでしきりに手が滑るんだ。あ、私のベッドに戻らないと。方向を変えてくれ。まいった、またリビングを通らなければならないというのか。考えただけでも本当に死にそうだ」
「すぐに洗ってあげますから」 ゼウスの表情をうかがいながら話しをかける。優しく洗わなければならないが、と同時に几帳面に洗わなければならない。ほっそりとした頬をカミソリが通ると、舌でふっくらさせてくれる。
「私が剃りやすいようにそうしてくれるんですか?」と言って、私が笑う。
ゼウスも首を横にして、にっこりと笑う。「いや、笑おうとしたわけではない」。急いで口元を引っ張るゼウスの姿が面白い。
「まず服を脱いてから、次にシャンプーをします。目を閉じてください。片方の手は動けますので、せっけんでここを洗ってください。」不便ではあるが、動くほうの手が触れる部分は、自分で洗うよう待ってあげる。
「すっきりしたでしょう」
「……」 答えがなければ、「イエス」という意味だ。
また同じことが繰り返される。ゼウスをお風呂の椅子から車椅子に移して、車椅子からベッドまで移動させると、額に流れた汗が目に流れ込んで痛い。何事もなくゼウスの入浴時間を終えたと安心するのはまだ早い。ゼウスが愛する小花柄の布団の行方を尋ねる。
ベッドシーツを交換し、新しい布団を用意した同僚が布団の行方を告げる。
「洗濯中です」
「早く私の布団を持ってこい、私の布団」
「洗濯中なので乾いたらお持ちします」同僚が言う。
この時、ゼウスの拳がベッドを叩きながら、パンパンという音を出す。 ゼウスの腕にあった龍の尻尾も一緒に動く。遠く離れて座っていた妻が椅子を後ろにそっと移す。同僚はおやつの準備に励んでいる。
一日中、小さな花柄の布団を腰に巻いてベッドの上に座って過ごすゼウスが、赤ちゃんのように小さな花柄の布団をしきりに探している。
「私は小花柄の布団がないと眠れないのだ」
著者紹介
イ・ウンジュ 이은주
1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、