13万人を超える受験者の中から晴れて介護福祉士になった皆さんに、仕事をしながら勉強を続けるコツや効果的な勉強法、受験を仕事に活かす展望についてうかがいました。
第15回 中島恵子さん
訪問介護事業所サービス提供責任者
中島さんが使った参考書
介護福祉士国家試験過去問題解説集
中央法規出版
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ユーキャンのテキスト
ユーキャン
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介護福祉士受験対策DVD 実技試験合格へのパスポート
中央法規出版
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中島さんの合格までの道のり
親の介護は勉強の基礎に
介護の仕事に就かれた方々にその理由をお聞きすると、ご自身の介護体験や身内の介護を間近にしたことが契機だったといわれることが多いものです。今回ご紹介する中島恵子さんが介護の道に進んだのも、お母さんがくも膜下出血で倒れ、その介護にあたったことがきっかけでした。
8年前のことです。一人暮らしをしていたお母さんから、2月の早朝、「どうもくも膜下出血したようだ」と電話連絡があり、急いで手配した救急車が到着したときにはすでにお母さんの意識はありませんでした。お母さんは大変に社交的な方だそうで、若い頃からスポーツに親しみ、老後はボランティア活動にも余念がなく、忙しい毎日を送っていたので、中島さんもお母さんの健康をあまり心配していませんでした。それだけに突然の介護が降りかかってきたのでした。
お母さんの病気は、自身が言い当てたようにくも膜下出血で、2か月間の昏睡状態ののちに手術したのですが、再び意識が戻らなくなり、一時は植物状態も覚悟したとのことです。幸いにして意識は戻ったのでしたが、後遺症として記憶野に障害が現れ、自分がどうして入院しているのか、また自分のこれまでの生活なども意識が曖昧になっていました。すぐに物事を忘れてしまうため、常に誰かが付き添っていないと、危なくて一人にしておくこともできません。特に排泄感覚が鈍くなっていて、気がつくと下着を塗らしてしまうといった状況でした。
医師は、高次脳機能障害であると宣告し、そこから中島さん一家の介護が始まります。中島さんは、介護の仕方をまったく知らなかったことから、まずは県が仲介して行われていた介護講習会を受講します。親の介護に合わせての勉強だったので、基本的な事柄が大変によく飲み込めたようです。
そうして学んだことの一つとして、中島さんは、たとえ排泄感覚がなくとも、母におしめをさせまいと思い、ポータブルへそしてトイレへと誘導し、とにかく上体を起こして排泄させようと、懸命の努力を重ねます。中島さんを駆り立てたのは、人の姿としての排泄をしっかりとしたものにしたいとの願いでした。その甲斐あって、医師も驚くほどにお母さんはやがて排泄感覚がかなりの程度戻ってきたのでした。以降、お母さんは全くオムツの世話になることなく、今日に至っています。
また、積極的に会話を交わし、お母さんの混乱する記憶にも、それを否定的に捉えずにつきあっていきました。それがまたお母さんの状態の改善に結びついたのでした。おそらく、脳の機能に新たな迂回路が形成されたのかもしれませんが、お母さんの状態は大きく改善しました。
しかし自宅に一人で暮らすことは困難であることから、弟さんが自宅を改装して、徹底的にバリアフリー化し、そこにお母さんを迎え入れました。当時は、高次脳機能障害についての介護の知識もなかったので、障害物がないことがお母さんの生活には望ましいとの考えでの改築でしたが、いまこうして介護の仕事に就いて学んでみると、従来の生活環境を一新してしまうことは認知症もそうですが、最も悪い方向だったと振り返っています。
いま、お母さんは案じた以上に回復が進み、時々は中島さんと一緒に買い物に出かけるのを楽しみにしています。現在も近時の記憶があやふやです。しかも車に乗っているときは、周囲の景色の移り変わりが速いためにものが二重に見えるとのことで、左右の眼でとらえた像が脳内で一つの形に統合されることができないようです。それでも歩く程度の速さならば支障はなく、現在は一定程度落ち着いて弟さん家族との生活を送っています。
8年前のことです。一人暮らしをしていたお母さんから、2月の早朝、「どうもくも膜下出血したようだ」と電話連絡があり、急いで手配した救急車が到着したときにはすでにお母さんの意識はありませんでした。お母さんは大変に社交的な方だそうで、若い頃からスポーツに親しみ、老後はボランティア活動にも余念がなく、忙しい毎日を送っていたので、中島さんもお母さんの健康をあまり心配していませんでした。それだけに突然の介護が降りかかってきたのでした。
お母さんの病気は、自身が言い当てたようにくも膜下出血で、2か月間の昏睡状態ののちに手術したのですが、再び意識が戻らなくなり、一時は植物状態も覚悟したとのことです。幸いにして意識は戻ったのでしたが、後遺症として記憶野に障害が現れ、自分がどうして入院しているのか、また自分のこれまでの生活なども意識が曖昧になっていました。すぐに物事を忘れてしまうため、常に誰かが付き添っていないと、危なくて一人にしておくこともできません。特に排泄感覚が鈍くなっていて、気がつくと下着を塗らしてしまうといった状況でした。
医師は、高次脳機能障害であると宣告し、そこから中島さん一家の介護が始まります。中島さんは、介護の仕方をまったく知らなかったことから、まずは県が仲介して行われていた介護講習会を受講します。親の介護に合わせての勉強だったので、基本的な事柄が大変によく飲み込めたようです。
そうして学んだことの一つとして、中島さんは、たとえ排泄感覚がなくとも、母におしめをさせまいと思い、ポータブルへそしてトイレへと誘導し、とにかく上体を起こして排泄させようと、懸命の努力を重ねます。中島さんを駆り立てたのは、人の姿としての排泄をしっかりとしたものにしたいとの願いでした。その甲斐あって、医師も驚くほどにお母さんはやがて排泄感覚がかなりの程度戻ってきたのでした。以降、お母さんは全くオムツの世話になることなく、今日に至っています。
また、積極的に会話を交わし、お母さんの混乱する記憶にも、それを否定的に捉えずにつきあっていきました。それがまたお母さんの状態の改善に結びついたのでした。おそらく、脳の機能に新たな迂回路が形成されたのかもしれませんが、お母さんの状態は大きく改善しました。
しかし自宅に一人で暮らすことは困難であることから、弟さんが自宅を改装して、徹底的にバリアフリー化し、そこにお母さんを迎え入れました。当時は、高次脳機能障害についての介護の知識もなかったので、障害物がないことがお母さんの生活には望ましいとの考えでの改築でしたが、いまこうして介護の仕事に就いて学んでみると、従来の生活環境を一新してしまうことは認知症もそうですが、最も悪い方向だったと振り返っています。
いま、お母さんは案じた以上に回復が進み、時々は中島さんと一緒に買い物に出かけるのを楽しみにしています。現在も近時の記憶があやふやです。しかも車に乗っているときは、周囲の景色の移り変わりが速いためにものが二重に見えるとのことで、左右の眼でとらえた像が脳内で一つの形に統合されることができないようです。それでも歩く程度の速さならば支障はなく、現在は一定程度落ち着いて弟さん家族との生活を送っています。
家事、育児、親の介護の経験が役に立つ
さて、先の介護講習会を主催していた事業所では、ヘルパー研修の3級、2級も行っていました。その講師の先生に勧められて、ヘルパー講習を受けることにしたのが、中島さんが介護の仕事に就いたきっかけでした。その後、講習会を開いていた事業所に、縁あって就職することになっていくのでした。しかし、それも深く考えてのことではなく、声をかけられてやってみようかしらと、そのときの思いつきでの就職だったそうです。勉強熱心だった中島さんは、その後さらに1級のヘルパー研修も受けました。
中島さんの事務所はNPO法人で、主に訪問介護の仕事が中心です。実際の訪問の仕事に就いてみると、そこではただ利用者一人に対応すれば済むということはほとんどなく、利用者家族の人間関係の中にある程度は踏み込まないと介護の仕事が進まないことが多々ありました。そんなとき、家事・育児をこなし親の介護の経験などがある年齢層と、まだ結婚前の若い世代とでは、どうしても基本的な視点に大きな開きが出てしまいます。中島さんは経験のうえに介護の仕事を進めていくことができましたが、こうした経験がないと、それを補うとしたなら教育しかないと感じています。「教育による専門性の確立ということは最も大切なことであると同時に、また難しいことでもある」と中島さん。介護福祉士国家資格の勉強ということも、日々の介護と結びついているとの感想でした。
中島さんの事務所はNPO法人で、主に訪問介護の仕事が中心です。実際の訪問の仕事に就いてみると、そこではただ利用者一人に対応すれば済むということはほとんどなく、利用者家族の人間関係の中にある程度は踏み込まないと介護の仕事が進まないことが多々ありました。そんなとき、家事・育児をこなし親の介護の経験などがある年齢層と、まだ結婚前の若い世代とでは、どうしても基本的な視点に大きな開きが出てしまいます。中島さんは経験のうえに介護の仕事を進めていくことができましたが、こうした経験がないと、それを補うとしたなら教育しかないと感じています。「教育による専門性の確立ということは最も大切なことであると同時に、また難しいことでもある」と中島さん。介護福祉士国家資格の勉強ということも、日々の介護と結びついているとの感想でした。
模擬問題集で繰り返し勉強
さて、今回は受験勉強から少々離れて、中島さんが介護の仕事に就くきっかけからみてきました。中島さんの場合は、介護福祉士国家試験の受験勉強としては、ご自身の介護体験とその介護を補うために学んだヘルパー研修そのものが基本的な下地になっていて、制度についての勉強は、現在の仕事としてサービス提供責任者を務めていることから、「勉強していないと仕事にならないために自ずと身についた」ということです。試験について、あえて勉強したとすれば、「社会福祉の流れを築いてきた先人たちとその業績を覚えることが中心だった」と言います。
中島さんの受験勉強といったら、1冊の模擬問題集を自分の弱点に特化して徹底的に繰り返し解くことで、苦手を克服するようにしたこと、またその問題集で全科目を数回解いて、出題傾向のおよその傾向を把握したといったものでした。1次試験については、これで通らなければ仕方がないと割り切って臨んだそうです。ただ、誰しもそうでしょうが、何度も受験する気にもなれないので、できれば1回でクリアしたいとの思いはあったそうです。
中島さんの受験勉強といったら、1冊の模擬問題集を自分の弱点に特化して徹底的に繰り返し解くことで、苦手を克服するようにしたこと、またその問題集で全科目を数回解いて、出題傾向のおよその傾向を把握したといったものでした。1次試験については、これで通らなければ仕方がないと割り切って臨んだそうです。ただ、誰しもそうでしょうが、何度も受験する気にもなれないので、できれば1回でクリアしたいとの思いはあったそうです。
2次試験対策には工夫が必要
中島さんは、1次試験の1か月前には、民間事業者が行っている模擬試験も経験し、試験の雰囲気もつかんでいました。1次試験は各事業者が提供している解答速報で正誤を自分で調べてみて、およその得点ができていたため、すぐに2次試験の実技試験対策に取りかかりました。これには、先に試験を受けた人からDVDの実技対策物を借りて、それを観て勉強しました。また実際の雰囲気を仕事仲間に手伝ってもらい演出して、対策を練りました。
しかし2次試験本番では、中島さんは一部の課題に気付かないまま、試験を終了してしまいました。そのときの実技試験の問題は、利用者に入浴までの介助を行うというものでした。居室から浴室までは車いすで移動し、脱衣室で入浴の用具などを利用者に渡して、浴室への移動までを確認するというのがその年の課題でした。
中島さんの実技で抜けていたのは、脱衣室で、利用者に入浴用具を選択してもらうということでした。中島さんは「利用者の選択」というところに配慮がいかず、用具一式をそのまま利用者に渡してしまったのでした。そのことに気付いたのは、試験が終わり、当日受験した他の人たちが自分の解答を振り返っての話をしているのを聞いたときでした。さすがに、「これは落ちたかもしれない」と諦め気分で、3月末の発表を待ちました。
しかし意外にも合格通知が届いたのでした。おそらく他のチェックポイントは正確にできていたのでしょう。減点の幅が少なくて済んだのではと中島さんは分析しています。
ところで、介護福祉士国家試験の2次試験は、介護技術講習会を受講すれば、試験は免除になります。中島さんは講習会のことは知っていたのでしたが、受講希望者は多く、自分が望む日時で申し込むことができませんでした。無理に受講すれば職場の同僚の仕事の日程に支障が出てしまいます。そのあたりの調整が付かないままに、2次試験を受けることになってしまったので、もう少し技術講習会の日程など、幅を広げてもらえたならと感じています。
しかし2次試験本番では、中島さんは一部の課題に気付かないまま、試験を終了してしまいました。そのときの実技試験の問題は、利用者に入浴までの介助を行うというものでした。居室から浴室までは車いすで移動し、脱衣室で入浴の用具などを利用者に渡して、浴室への移動までを確認するというのがその年の課題でした。
中島さんの実技で抜けていたのは、脱衣室で、利用者に入浴用具を選択してもらうということでした。中島さんは「利用者の選択」というところに配慮がいかず、用具一式をそのまま利用者に渡してしまったのでした。そのことに気付いたのは、試験が終わり、当日受験した他の人たちが自分の解答を振り返っての話をしているのを聞いたときでした。さすがに、「これは落ちたかもしれない」と諦め気分で、3月末の発表を待ちました。
しかし意外にも合格通知が届いたのでした。おそらく他のチェックポイントは正確にできていたのでしょう。減点の幅が少なくて済んだのではと中島さんは分析しています。
ところで、介護福祉士国家試験の2次試験は、介護技術講習会を受講すれば、試験は免除になります。中島さんは講習会のことは知っていたのでしたが、受講希望者は多く、自分が望む日時で申し込むことができませんでした。無理に受講すれば職場の同僚の仕事の日程に支障が出てしまいます。そのあたりの調整が付かないままに、2次試験を受けることになってしまったので、もう少し技術講習会の日程など、幅を広げてもらえたならと感じています。
人材不足の介護業界
ところで、近年の訪問介護の仕事では、医療を必要とする利用者が確実に増えてきていると中島さんは感じています。そのたびに利用者と家族から介護への要望も増えていき、介護の専門性との線引きが問われる事態に遭遇することも出てきます。医療・看護との連携に必要な知識も補っていかなければならず、訪問介護の課題は増していくばかりです。中島さんの所属するNPO法人は、自己研鑽を勧めていて、勉強の機会には恵まれているといいます。しかし限り有る人材ですべての要求に応えていくことは困難です。幸いにして中島さんが所属する事業所では人材不足に陥ってはいませんが、中島さんは最近、仕事の疲れを感じることが多くなってきました。仕事には面白さを覚えてはいても、体力が続かないという状況では、限界があります。介護福祉士資格と人材の供給とがうまく折り合っていけるとよいのですが。