計画策定のポリティクス―(2)障害のある人を市民として、主権者として
フィールドに足を運び皆さんで議論を重ねることは一つの手立てに過ぎません。そのポリシーは、障害のある人とそれに連なる人たちの観点から、地域の実情を知りあい、望ましい施策とサービスのあり方を考えていくことにあります。それは決して「事業者とそれに連なる障害のある人」の観点からのものではありません。
昔から、長屋には井戸が必ず一つあり、たとえば新参者を井戸端会議に引き入れては、「顔見知りの関係」から「お互いに関心を向け合う関係」を培い、ともに暮す地域社会をつくってきました。今日においても、このような回り道を省いたままで地域を共にする暮らしを築くことは不可能なことだと考えています。
そして、もう一つの大切な点は、障害のある人を施策形成の過程においてエンパワメントすることです(前回ブログの(2)についてです)。これは未だ十分に達成されていないのですが、いつでも、何とかして実現したいと願い続けてきました。
障害者計画・障害福祉計画の策定を考える際に、私たちは障害のある人をもっぱら「支援の対象」と捉えがちです。しかし、ただそれだけの発想では「共に生きる」地域社会の実現は永遠の彼岸に置かれたままになってしまいます。福祉の支援が「今ここで」のニーズに応えるものであるならば、それとまったく同じように、障害のある人も「今ここで」「あるがままに」支援サービスの担い手や一般市民の何らかのニーズに応えることができる存在です。私が昨年のブログに「ある介護体験から」(昨年11月13日)と題して考えたかったことは、まさにそのような関係についてでした。
そのような関係にもとづく営みには、わたしたちすべての幸せに通じる問いかけ、万人が苦しみを分かち合うべき課題へのつぶやき、障害のある人から学び受け取る支援などのさまざまが含まれます(昨年10月16日からのブログ「全盲の人と音楽」のシリーズにもそのような一例を示しています)。毎年の秋頃にある「障害者スポーツ大会」のイベントや12月のルーティンである「障害者週間」の啓発活動等で、障害のある人への偏見や特別視をなくしていこうとするような発想のものではありません。大切なことは、「顔見知りの関係」から「互いに関心を向け合う関係」への運びを、地域全体の日常的で自主的な取り組みにおいて実現していくことです。
このような取り組みの王道一番手は、何よりも障害のある人の働く取り組みです。地域社会の必要に応じるモノやサービスを、確実に、日常的に提供することです。植村牧場の取り組み(昨年4月10日のブログ参照)、宮城県は蔵王すずしろの豆腐・大豆加工製品(武田元著『豆腐づくりは夢づくり』、萌文社、ksブックレット)、栃木県足利市はこころみ学園のワイン、北海道十勝平野は共働学舎のチーズ(宮嶋望著『みんな、神様をつれてやってきた』、地湧社)等の提供するモノとサービスは、多くの人たちを魅了しています。これらは立地条件・販売ルート・利ざや等に何らかのアドバンテージがあったのではなく、それぞれが提供する特定のモノ・サービスに対する信念と情熱から品質を追求し、経営のセンスと能力を不断に高めていった営みに共通点を見出すことができます。私は、地域の力を結集する計画策定ならではの、このような取り組みを地域に起こすことができないかと切望し提案もしてきました。しかし、残念ながらなかなか前進することができません(真意が伝わらないのでしょうか……)。
もう一つは、バリアフリーやユニバーサルデザインに関する不断の問題提起に取り組むことです。たとえば、今から15年ほど前までは車椅子をデザイン化した国際シンボルマークのついたトイレを「車椅子障害者用トイレ」などと表記していましたが、今では「多機能トイレ」としてあらゆる困難・不自由に対応しうる「万人のトイレ」になりつつあります。トイレの使用に最も困難のある人の利便性を考慮してデザインの工夫を重ねていけば、万人の利益にかなうトイレになっていったという訳ですから、生活上の不自由・不利益・困難を抱えやすい障害のある人だからこそ、市民を代表して課題提起をする意味と資格があるというべきでしょう。たとえば、側溝の蓋の粗い網目を改善を提起することは、車椅子だけでなくベビーカーや老人車の使用者はむろん、杖を一時的に使う傷病者にとっても、地域社会への全面参加に資することだからです。
和光市障害者計画の策定過程では、市内全域のバリアフリー調査を実施して改善箇所を詳細に記した報告書をつくりました。和光市の市域があまり広くないことにも着目した成果ですが、このときには在宅生活を余儀なくされている身体障害のある方や民生委員・市民ボランティア等、総勢200名近くが参加する取り組みになりました。
その他にも、地域の実情に応じたアイデア次第で取り組みには無限のバリエーションがあると思います。障害のある人が市民・主権者である事実を、「未来のあるべき姿」としてではなく「今ここで」共有することのできる弛まない営みにおいて深めることは、自立生活を共にする地域社会づくりに必要不可欠なことだと考えます。
コメント
先日先生が講義中に指摘されていた工学部のトイレの「多機能トイレ」の国際シボルマークのマークに「誰でも利用できます」が書かれているのを発見しました。これは先生が大学側に指摘なさった結果ですか?
その講義中に大学内の段差、車いすの人が濡れてしまう通路、多機能トイレ内に置かれたトイレットペーパーの入ったダンボールなど、身近にそんな事例があったのかと悲しくなりました。
まだまだ多機能トイレには「障害者トイレ」という考えて方が一般的だと思います。私は将来建設系の技術者を目指しています。この正しい知識を建物設計の際に依頼主に伝えていけたら良いなと思いました。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。