計画策定のポリティクス―(1)井戸端会議
計画策定につきまとう最大の困難は、なかなか協議の中心に障害のある人の現実が座らないことです。そして、議論のプロセスにありがちな問題点は、それぞれの委員が言いたいことを言い放つ会議に終始しては委員会が終盤を迎え、事務局からは「予算と時間の制約」を盾にされて、最終的に「議長と事務局に一任」するという茶番劇で幕を閉じるやり方です。このようなときにこそ、事務局の都合から「露払い役」としての「学識経験者」の登場する出番があるのでしょう。このような委員会は、関係者の「ガス抜き」がせいぜいの役割で、議長も「ガスぬき経験者」と呼称するのがふさわしく、「利用者主体」や「ノーマライゼーション」の具体策を創造する営みとは無縁ですから、開かない方がましでしょう。
ただ、障害のある人の願いや実情を中心に議論するには、それを実現するための特別な工夫が必要となります。その理由は、公の会議において障害のある人が中心にすわらない問題の根源に、自治体と障害者施策を複雑にとりまくポリティクスの問題があるからです(前回ブログ参照)。だから、そのような問題の克服を目指して、委員会や協議会のなしうる臨界点で障害のある人の計画策定への意見表明権・参画権を最大に実質化するためのポリティクスが肝要です。「ニーズ調査」も重要ですが、定量的な問題への対応にはすぐれているものの、質的な課題に迫ることには限界を持ちますから、生の声から地域施策のあり方を協議するプロセスは何よりも大切だと考えます。
そこで、私の考えたことは次の3点でした。
(1)委員と事務局職員の全員で地域の障害領域のフィールドすべてに足を運び、実地見分しながら実情や要望をヒアリングすること
(2)障害のある人の側から広く市民に問題提起や情報発信できるチャンネルをつくること
(3)新しい協議文化を基盤に、新しい地域施策を拓くこと
今回は(1)について詳しく書くことにします。手短に言えば、障害のある人とそれに連なる人たちの「井戸端会議」を組織することです。フィールドへの訪問は、事務局が市のマイクロバスを提供し、委員は「手弁当」で全員参加する形をとりました。
たとえば、「グループホーム」は、知的障害・精神障害の関係者にはなじみのある社会資源としても、肢体不自由・視覚障害・聴覚障害の関係者は実際どのようなところであるかご存じありません。すると委員会の中で、知的障害・精神障害の関係者がグループホームの改善を訴えても委員会全体の議論にはなりにくいのですから、委員会の共通認識に登らないままに、特定の委員と事務局だけのやりとりに終始します。
しかし、グループホームにみんなで足を運んでみると、そのような展開にはなりません。全盲の委員がホームの中の間取りや設備を手探りで確かめながら「ほ~っ、こういうところだったのですね、台所は使いやすそうだけれども、居室の方は広さがまちまちだし、部屋によっては使い辛いのではないのですか」と訊ねます。すると、世話人から「既存の物件をホームにするのでは限界があって」と説明があり、みんなで「なるほど」と問題の所在を確かめるようにうなずき合います。食事提供・朝晩の支援体制についての質問には、病人が出たときやトラブルがあったときなど「世話人一人体制」ではとても利用者の安心がつくれないことや、そのために親の会のメンバーが持ち回りで応援に入ったりしてきたことなどが話されました。精神障害の小規模作業所に行けば、精神だけ補助金が低く抑えられてきたことにみんなが不合理であることを実感するようになります。
また、身体障害のデイサービスの新設を考えて、それを引き受けてくれる可能性のある事業者を探すために、高齢者のある社会資源に訪ねたこともありました。当時は、介護保険制度のはじまりを前に、建設・土木の業界、農協、生協、NPO等のさまざまな出自の事業者が高齢者サービスの領域に新規参入していました。「民間」といえば主に社会福祉法人と考える障害領域の関係者には不安があったのです。訪問先は、ずっと農業を営んできた農家の方々が農業に区切りをつけて高齢者サービスに参入されたところでした。「はじめたばかりなので、地域の皆さんのことをもっと勉強しながら取り組みを進めていかないと」と切り出され、職員体制や経営・運営の現状を詳しくお話し下さいました。そこの職員と長の方々には、それはもうひたむきで向上心のかたまりのような熱意を感じました。ゴールドプラン絡みで新規参入した事業者の中には、このように真摯な人たちがいることも知り、ここなら身体障害のデイサービスにも責任を持ってやってくれるのではないかと、一同の期待を集めることができました。
どこに足を運んでもこのような光景が続きました。市内のフィールドをめぐっては井戸端会議をするのですから、「手弁当」とはいえ各回とも丸一日の仕事になります。しかし、皆さんのお立場や考えはそれぞれにあるとしても、フィールドにみんなで足を運んで一つひとつ現実を確かめていくと、具体的な改善課題の共通認識を培うことは間違いなく進みます。この訪問に参加した委員と事務局職員からは、少なくとも「予算が厳しいのだから、無理もあるだろうけれど頑張ってもらうしかない」などという発言や発想は消失しました。
コメント
ブログ拝見しました。
政策に当事者の声を取り入れることが必要、というのはよく聞かれるようになり、市民の声を聞くようなツールも多く登場しています。しかし、障害がある人にとってこそ大事な当事者の「生の声」を取り入れるところにはまだ至っていない、ということなんでしょうね。
また、「生の声」が少しあるだけでは足りない(全盲の委員がグループホームを訪問してはじめて共通認識を得た)というのも印象深いところでした。各々の抱える問題の違いを丁寧に扱わなければならないのだと改めて気づかされました。
自治体はなかなか積極的にサービスを実施しようとしないものだと思います。また、前回のブログの内容にもなりますが、職員の教育も進まないのが現状だと聞いています。取り組みが功を奏し、新しい協議文化や自治体の組織文化が芽生えるとよいなと感じ入りました。
市民の生活を第一にすべきであるはずの市役所等政府やら議会やら…。その上層部が福祉において知識だけにとどまった経験に乏しい人であるとこれほど辛いものはないと思いました。
とある実習の中で市民センターという施設にインタビューをさせていただいたのですが、そのなかで「頭は良くても実際の体験に乏しい人が多いから私たち経験者側は対応に困ることがある」と話してくれました。
実際に市役所や議会で働く人たちがどんな人生体験を積んできたかはわかりませんが求める利益が個人的な、独占的とまでは言わないけれど自分に戻る利益になっている気がしてなりません。どれだけ辛い体験・市民の生の声でも数が少なければ届かないのかと思えてしまうほどです。
失敗するかもしれないけれど成功するかもしれない、社会は絶えず変わっていくものなのであるから後々のバッシングを恐れるよりは今ある歪みを少しでも迅速に正して行きたいし、そのような心意気を常に市の役員たちには持っていてほしいと思います。
今回とその前後の前後のブログ拝見しました。
私は教育学部の学生ですが、正直な話子どもと関わる職に就くにあたり、卒業後も名前や顔を覚えていたり話をしたりする自身がありませんでした。先日のブログでの指導責任に関する考え方を読み、少し参考にしつつ自身で考えていきたいと思いました。
また、会議や子どもと接することが多いサークルに加入している自分としては、保護者の方々が自分たちに何を求めているのか、どのように接していくのが良いのかなど、大学生の推測や予想ではなく当事者間での意見交換が必要なのではないかと感じました。
また、役所関連の話を読み、まず関係ないで済まさないで欲しいと心から思いました。考えられる限りの実現可能なことをすることは必要だと思いますが、当事者でないとどうしても気が付けない事もあり、実際に足を運び目で見て、それから頭で考えることは欠かせないと思いました。
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