回り道を惜しまない
「学識経験者」という呼称をめぐる当惑(前回ブログ参照)をゼミの学生たちに話したところ、ゼミの掲示板に「宗澤氏は『誤用学者』か?」と記されてしまいました。この表現には破顔一笑、「山田君、座布団一枚やっとくれ!」と感心しました。が、円楽(当時。現在は歌丸)じゃあるまいし、感心している場合じゃない、私としては委員会や協議会の運びを考えなければなりません。
障害者計画・障害福祉計画の策定が未開拓な領域であるとすれば、この世界の「社会的権威」は未だ存在しないはずです。どこの誰が座長におさまったとしても、あるいは大同小異の計画になるかもしれない。そこで、これまでの学識や経験の範囲内では計画策定の結論がありきたりなものにしかならないのであれば、ここは新しい境地を切り拓く回り道を惜しまない、自身のフィールドワークと位置づけるほか道はなかろう、と「誤用学者」こと不肖宗澤は考えました。
計画策定が実際にはじまってみると、なかなかに大変です。
まず、庁内体制をつくる困難があります。あるとき、計画の担当課が全庁的な障害者計画の取り組みを進めるために、庁内すべての課に障害者施策に関する各課の課題をたずねるアンケートを実施しました。
すると、「本課の所管する障害者施策の該当事業はない、したがって特に課題はない」というような類の回答が大多数を占めていました。これはつまり、障害のある人を直接的な事業の対象とする制度を所管しない課であるのだから、「うちの課は別に関係ありませんよ」と回答しただけのものです。私は口をあんぐりし、担当課の職員はがっくりと肩を落としています。事業対象に「障害者」が明記されるものでなければ、「形式要件」の上で無関係だと考えるのが行政機関職員の習性なのでしょうか。障害者計画の守備範囲は、「揺籠から墓場まで」のあらゆる政策領域にまたがっているため、医療、保健、教育、福祉、労働、街づくり、防災、広報等々、自治体の障害者施策に無縁な課などありえないはずです。それでいて、財務の担当課からは障害者計画を担当する課に「先走りはしないように」と横槍だけはきっちりと入ることがあるのですね。
次に、委員会や協議会が、なかなか「協議の場」にならないことです。限られた範囲の利害から「自治体に交渉する場」との無理解もないわけではありませんし、障害種別や各事業者の事業範囲を超えた面的な地域施策の改善に資する発言を耳にすることも、残念ながら多くはありません。
三つ目には、議会にも障害者計画への関心があまり高くないという現実があるように思えることです。これは、福祉領域の3計画が高齢者・児童・障害者のいずれも、議会の承認事項ではないという事情にも由来します。しかし、計画に盛り込まれた「大きな箱物づくり」の予算については、審議の対象になるものの計画全体には積極的な関心をもたないような傾向には、「地方自治の本旨」からはどうしても疑問を禁じ得ません。会派を超えて不勉強な印象をなかなか払拭することができないというのが、率直な感想です。
それでは、計画策定の営みの当初に直面した以上のような現実を前に、どのようなフィールドワークの方針をもつことができるのでしょうか?
(次回に続く)
コメント
私は以前宗澤先生が北九州市立大学にいらっしゃった折に、先生の講義を受けさせていただいた者です。
先生の講義を受けて、私は初めて障害者への虐待が当事者の方々だけの問題なのではなく、日本における地域社会や家庭の在り方、さらには教育や文化的または歴史的な背景にまで関係がある大変深いものであることを知りました。そして、この問題を解決するためには法制度の整備や様々な支援が必要であることも学びました。
しかし、この記事を拝見していると、まだまだ自治体の障害者への関心が薄いということがわかりました。先生がこの記事でおっしゃっているように、障害者に関する問題というのはあらゆる領域に関係のある重要視すべき問題だと思います。
一刻も早く、自治会は障害者の方々が健常者と同じように社会的などの面で豊かに過ごすことができるような政策や支援をしてほしいと思います。
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