全盲の人と音楽(日本編)――琵琶法師から演歌・テノール歌手へ
前回のブログに記した「日本的な旋律」は、どのようにして庶民に広まっていったのか?
主な日本の旋律には、雅楽の流れを汲む別の音階がありますが、庶民に親しまれた旋律は、前回のブログでご紹介した「五音長・短音階」でした。貴族の音楽を奏でる旋律とは異なる庶民の音楽を全国に広めていった起源は、全盲の僧であり芸能者でもあった琵琶法師だといわれています。
視覚障害を聴覚の鋭敏さで補う力は、古来から音楽の世界に生きる力として発揮されていたのです。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす」から始まる平家物語を、琵琶で奏でる旋律にのせて語り継ぐ「平曲」の担い手は、中世において全盲の人たちでした。
「小倉百人一首」の中に登場する「蝉丸」は、盲目の僧であり優れた琵琶奏者でもあった者として、多くの琵琶法師たちによって神格化された「人」だそうです。「音曲諸芸道の守護神」として崇められた中世の「蝉丸信仰」は、滋賀県大津市にある蝉丸神社に表わされています。
この「蝉丸」には、子ども時代の「坊主めくり」で記憶にある方が多いのではないでしょうか。私の子ども時代は、百人一首を和歌の「かるた遊び」で楽しむよりも、「坊主めくり」で遊ぶことが圧倒的に主流でした。「坊主」をめくって持ち札を吐き出し、「お姫様」をめくっては持ち札をせしめる。この一喜一憂の最中に「蝉丸」という子どもにとって大変覚えやすい「坊主」が一人いて、「あっ、蝉丸や~!」と落胆しながら札を差し出した思い出が多くの方にきっとあるはずです。
しかし、「これやこの いくも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関」と詠んだ蝉丸は、虚構の人物だという説が有力です。
自給自足に近い中世の農村社会において、盲目の人たちは村落共同体に定住して暮らすのではなく、宗教者・呪術者・芸能者の「遊民」として共同体を渡り歩いていたといわれています(加藤康昭『日本盲人社会史研究』1974年、未来社)。
琵琶法師と盲巫女たちは、農事の節目ごとに求められる祭礼を司るとともに、農民に芸能も提供しながら、暮らしのたつき(手段)を得ていたそうです。芸能と宗教の世界は、今も昔も流行り廃りがありますから、当時も暮らしの不安定さを避けることはできなかっでしょうし、「バリアフリー」の考え方のまったくない時代に地域を渡り歩いていたのですから、さぞや危険な目にも遭遇したでしょう。
そこで琵琶法師たちは、「蝉丸」という「帝との血のつながりをもつ」とする伝説上の人物を自分たちの守護神として奉りあげたといわれています。
近世に入り平曲は廃れましたが、全盲の人たちは、三味線と筝に新しい音楽の世界を切り拓き(石村検校等)、浄瑠璃節を完成させたり、当時の流行り歌や民謡も取り入れながら、今日の三味線・筝の源流を形成しています。
これらの担い手には、男性の座頭とともに瞽女(ぜこ)と呼ばれる全盲の女性も活躍していたそうです。明治時代の全盲の筝曲家で、「春の海」の作曲で有名な宮城道雄も、このような文化史の上に花開いた音楽家ではなかったのでしょうか。
このように、全盲の人たちの働く歴史的な世界は、何も「針・灸・マッサージ」という三療に限られていたわけではありません。
そして今、演歌歌手でテイチクレコードから『恋連々』でデビューした清水博正さんや、「天使のパン」や「さとうきび畑」で有名やテノール歌手の新垣勉さんがおられます。ジャンルは異なりますが、それぞれにすばらしい歌唱で、音程も声量もシロウト同然のアイドル歌手やジャニーズ系の歌い手とは別格の音楽だと思います。
それでも、この方たちがマスコミで紹介されるときや私たちの受け止め方の中に、「全盲であるにも拘らず歌がうまい」などという無理解の多いことがとても気になります。ある意味では、「全盲だからこそ」、わが国の歴史においてこの世と音楽の素晴らしさを庶民に脈々と伝えている人たちだということもできるでしょう。
コメント
こんにちは、初めてコメントさせていただきます。
障害を持つ方と音楽という視点に興味を持ちました。私は以前、“片手奏法”で演奏活動を再開されている舘野泉さんの演奏を聴いたことがあります。
舘野さんは、脳溢血に倒れ半身不随の身となっても、なお「左手のピアニスト」として復帰された方です。
私は、幼稚園の頃から高校生までピアノを習っていました。そのこともあって、よく日本フィルなどの演奏を聴きに行っていました。
舘野さんの演奏を聴くまでは、ピアノというものは、両手で演奏をする音楽だと思っていました。なので、片手での演奏を聴くということにとても興味をもちました。
実際に、舘野さんのピアノソロとオーケストラとの演奏を聴きました。舘野さんの演奏は、片手だと思わせないくらいに力強く、何層の音が鳴っているかのように感じるくらい心に響く音色でとても衝撃的でした。
芸術家や音楽家は、生まれ持った才能だといわれます。しかし舘野さんの演奏を聞いて、必要なものは、才能だけではなく、本人の信念や努力、周囲の支えというものが大きく関係していると思いました。
「障害があるにも拘わらず」という捉えかたではなく、「障害があるからからこそ」その人自身の演奏が、またその人自身から出るものがたくさんの人に感動を与えるのだと思いました。
初めてコメントさせていただきます。
とても興味深い内容でした。琵琶法師の方など、昔から視覚障害の人は音楽の面で活躍していたのですね。それなのに現代でも視覚障害者の人が奏でる音楽に、障害をもっているのに意外だと驚く人が多いということが不思議に思わずにはいられません。
『「全盲であるにも拘らず歌がうまい」などという無理解の多いことがとても気になります。』というところに共感を覚えました。昨年辻井伸行さんがヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したときも、マスコミは「全盲のピアニスト」として辻井さんの活躍を報道していましたが、私はその表現の仕方にとても違和感をもっていました。表現の仕方がすべてではないとは思いますが、障害は何をするにもハンディキャップになっているのだという印象を与えてしまうおそれを秘めていると思います。決してそうではなくて、むしろ障害は彼らの武器(音楽の才能)にもなりうるのではないでしょうか。
私たちは障害をもっているからできることは少ないという、かつてからのある種の固定概念で障害者の皆さんの可能性や才能を潰してはいけないと、そう強く思います。
私はよく百人一首をやりますが、蝉丸が全盲の僧であったとは知りませんでした。
私は小中高と部活で楽器をやってきて最終的には耳で音程を合わせたり、リズムを合わせることが必要だと感じました。
だから全盲の人は音楽に関してはほとんど障害はないと思います。「全盲であるのに…」と言うのは変だなと私は思いました。
また、音楽に関して大事になってくるのは表現だと私は思います。
ある学校の演奏をホールで聴いたとき、演奏者の体が変に動いているのが気になりました。
表現しようとしてるのはわかるけど体じゃなくて演奏で表現するのではないのかなと思いました。
その点で全盲者は演奏で表現しているのではないかと思います。だから全盲者の演奏は素晴らしいものになるのではないかと私は思いました。
僕は以前、新垣勉さんのコンサートに行って、勉さんの歌声を直接聞いたことがあります。そのコンサートのタイトルでもありましたが、まさに「魂の歌声」といえる心に染みる歌声でした。音楽の素人である僕ですが、深く感動したことを思い出しました。
また、全盲の三味線奏者を題材にした「NITABO」というアニメも見たことがあります。三味線の源流を形成したのが全盲の人だということをこのブログを見て初めて知りましたが、このことを考えると、このアニメは事実に近いものなのかもしれないと思いました。目が見えていても演奏するのが難しいように思える三味線を、ましてや全盲の人が弾きこなすなど信じがたかったのですが、むしろそういう方々が、音楽の歴史を作ってきたのだとこのブログで勉強になりました。
このように、身体的なハンデを背負いながらも音楽の世界で活躍している人のエピソードがいくつもあります。それを考えると「全盲なのに~」という表現があまりにも無理解だという意見に賛成です。障がいがあるから音楽的才能が開花する、とは言い過ぎかもしれませんが、音楽の歴史を見てみるとあながち間違いでもないと思います。少なくとも、身体の障害は音楽の障害にはならない。むしろ、健常者の障がい者に対する意識こそが1番の障害なのではないかと思います。
このブログを読み、ある意味で全盲の方達が日本の音楽を発展、広めていったのだという意見に深く共感しました。
私は三味線や能など日本ならではの芸能を習っていたことがあるのでよく分かるのですが、昔の日本の音楽というものは基本的に楽譜というものがありません。西洋ではしっかりと音を定め楽譜に記しその楽譜に従って演奏しますが、日本ではひたすら人が演奏するのを耳で聴いて覚えていくのです。
そこには健常者も障害者の壁もありません。むしろ代わりに他の器官が優れていると言われることのある全盲の方達にとってはとても親しみやすい分野であったかもしれません。特に三味線は昔から全盲の弾き手が多く、まさに日本の音楽を発展させていった担い手であったのでしょう。
音楽というのはテクニックのみならずその感受性というのが大きく問われるものだと思います。音楽は健常者であるかではなく演奏者の心の豊かさなのです。その点目が見えずとも全身で世界を感じ世界と関わろうとしている人が素晴らしい演奏をできないはずがありません。
音楽において障害者の存在が異質ではないこと、障害者も健常者もないのだということを今回このブログを読んで多くの人々に理解してもらいたいと思いました。
障害を持つ方と音楽という視点に興味を持ったのでコメントさせていただきます。
このブログを読み、ある意味で全盲の方達が日本の音楽を発展、広めていったのだという意見に深く共感しました。
私は三味線や能など日本ならではの芸能を習っていたことがありません。高校生のときに三味線を少し触ったことがあるくらいですが、その時に、これらには基本的に楽譜がなく、演奏者それぞれの解釈で演奏されるということを知りました。全盲の方は目が見えないためその他の機関が発達しているといわれています。このような点で、全盲の方は身体に障害のない方よりも感受性が強く、三味線など素晴らしい演奏をできるのではないかと考えました。
このような点を見ても、身体に障害があるからと言って、一概に差別を受けてしまうことはおかしなことであり、健常者の方にもこのことを理解してもらいたいと思います。
本文の終わりに述べられた
>それでも、この方たちがマスコミで紹介されるときや私たちの受け止め方の中に、「全盲であるにも拘らず歌がうまい」などという無理解の多いことがとても気になります。ある意味では、「全盲だからこそ」、わが国の歴史においてこの世と音楽の素晴らしさを庶民に脈々と伝えている人たちだということもできるでしょう。
というのは、むしろ当たり前のこととしてすべての人々が共有していなければいけないものであり、無理解な人がいるということに驚いています。
障害をもっているとされている方々がある環境下で不利になるか否かということは当人が判断することが原則ですが、一切の補助がなければ生きづらさを感じてしまうでしょう。
そして、障害に限らずある部分で周りよりも劣っているものがあると感じている人の方が、1つの物事に没頭しやすい傾向があるのではないかというのが持論です。特に昔は、障害をもった方は迫害に近い仕打ちを受けるかまたは一芸に秀でる割合が幾分多かったと認識しておりますが、それもこの持論をもとに解釈しております。
しかし、障害のために苦しんでいてそこから抜け出せずにいる方が現在も多いことも事実です。本来ならば、すべての人々が自分の思う通りの生活に近いものを営むことができて、その上で各個人の能力が開花されるような世の中が理想なのでしょう。
「障害をもっているからこそ」というよりもさらに1歩進んだ環境を作れるように努力していきたいです。
以前筝の歴史を調べたことがありましたが、そのときに驚いたことは、貴族が文化の担い手から外れてから、筝の歴史は盲の方の歴史であったということです。
今でも残る曲を作ったのは、文明開化以前は皆検校さんのようです。開化以降も有名な作曲家さんは盲の方が多く、晴眼者が活躍し始めたのは、つい最近のようです。私の祖母も、全盲の方に筝を習ったといっておりました。古臭いからという理由で顔をしかめられることはあっても、盲ということで難色を示されたことはなく、むしろ全盲の方が筝を教えるのは普通のことであったと認識しているようでした。
生田流を創始した生田検校、山田流を創始した山田検校は筑紫筝曲を学ぶために筑紫まで旅行したそうです。江戸の、お伊勢参りが人生一度の大旅行だったような時代に、生田検校は京都から、山田検校は江戸からはるばる筑紫までいったということだけでも驚きましたが、後々になって、彼らは検校、つまり全盲であったのだと気づいて愕然としました。
六段の調は音楽の教科書にはほぼ必ず載っている有名曲ですが、八橋検校作曲とはいわれても、検校という言葉の意味を教わることは無かったと記憶しております。授業の中で大きく取り上げることは難しいでしょうが、彼らの文化的な活躍について、多少の説明は入れるべきではないかと思いました。
私は以前からマスコミの「全盲『なのに』音楽の場において活躍しているのはすごいことだ」という表現に疑問を感じていました。
音を認識することについて、晴眼者は視覚障害者の足下にも及びません。確かに楽器を用いるには、晴眼者が鍵盤や弦の位置を目で確認しながら覚えるのに比べると、視覚障害者の方が基本をマスターするには多少時間がかかるかもしれません。楽譜を覚えることもまた然りです。
しかし、古来盲目の琵琶法師や三味線奏者が演奏によって生計をたててきたように、音楽の場において視覚障害は決してハンディではありません。晴眼者も音を注意深く聞こうとすれば自然と目を閉じます。音に視覚は必要ないのです。
それでも今日の音楽の場では、視覚障害がハンディのように扱われます。これは視覚障害者が日常生活を送るときに不自由な場面が多いためだと思います。しかし不自由な場面が多いのは、誰もが住みやすい環境づくりをしていない健常者や行政に問題がある気がしてなりません。
『障害』を『障害』たらしめているのは、健常者の認識の方だと思います。認識を変えるためにも「障害者『なのに』」という表現は改められるべきではないでしょうか。
身体的に障害がある人が音楽の世界で活躍するという話は私もよく聞きます。障害を持つことが必ずしもその人にとって悪いものではなくその人のとらえ方次第でよくもなるし、悪くもなるということを考えさせられました。人生考え方次第だと思います。
よく全盲の人が音楽関係で活躍している話を聞いたことがあります。このような人は聴覚が発達すると聞いたことがあります。全盲の人は健常者よりも技術を身につけるのは、かなり大変だと思いますが、そのような環境の中で全盲の大変さを乗り越え、また全盲によって発達した聴覚という能力を活かして活躍しているというのは、とても素晴らしいことであると思いました。
身体的障害があってもこのように世界で活躍する人はいるし、身体的障害があるからこそそれを自分の個性として自分を発揮できるのかなと思いました。私たちはただでさえ、五体満足で生まれてきて恵まれているのだから、自分の個性を発揮せずに人生を送るのはもったいないことだと感じました。なんだか自分が励まされた気がします。
私は以前、新垣勉さんのドキュメンタリードラマを見て、とても感動したのを覚えています。音楽をはじめとする「芸術」の世界で、障害を抱えた方が数多く活躍されています。それぞれの技術を高めていける可能性は誰にでも等しくあり、あとは個人の興味・関心と努力によるものだと思います。そういった意味で「全盲だから」というような壁は決して存在しないのだと改めて感じました。
記事の最後の方で「全盲だからこそ」という表現をなさっていますが、「全盲であるにも拘わらず」と言うのと、「全盲だからこそ」と言うのとでは、結局のところ全盲であることを意識しているという点で両者は同じなのではないか、と私は考えてしまいます。
音楽をやるということにおいて全盲は何の障害にならないのなら、そもそも全盲であることを取り上げるのはその人を正しい見方でとらえられていないのではないか、という疑問を抱いてしまうのです。そう考えたとき、自分の中にある差別意識に気づいてうんざりしてしまいます。
障害のある方が歌を歌ったり楽器を演奏しているのを聴くとき、「障害を持っている人が」という眼鏡を通して鑑賞してしまう人が私を含めて少なからずいるのではないでしょうか。このような場面において、障害があると知らず知らず差別をしてしまうのは良くないと分かってはいるのですが、障害を関係なしにその人の能力のみを見るというのは中々難しいことだと実感しています。
「障害を持っているのに」素晴らしい演奏ができるという見方ではなく、誰からも「一人の人物が」素晴らしい演奏をしているという見方をされるようにしていくべきだと思います。
自分の身内には視覚に障害を持った方がいます。しかし、自分が全くその方に対して全盲であることを忘れてしまうかのように多くの趣味をその方は持っています。そして、いつも自分に対してその趣味について熱く語ってくれます。盲目であることを不利にせず、自分の出来る可能性を最大限に広げている姿には自分も励まされます。
障害を持っていることをつい意識してしまうことはあることだと思いますが、そのことを前向きに捉えていくことが私たちに必要とされることだと思います。
私は、高校時代音楽の授業で筝を演奏する機会があり、そこで私は八橋検校の存在を知りました。彼が作曲したといわれる「六段の調」を初めて聞いたとき、日本独特の雅な音楽に聴き入ったことを覚えています。そして、曲を聞いた後に彼が盲人であったことを知りました。
音楽などの芸術は時代をこえて人に感動を与えられるものだと私は思います。それはクラシック曲が日々の生活に溶け込み、歌舞伎や落語が今も多くの人々に愛されている現状からみても感じられることです。そして、この感動を主体的に生み出す人、その感動を受け取る人はどのような人であってもいいのだと思います。
現在も辻井伸行さんなど障害をもちつつも世界的に活躍している日本人たちがいます。彼らの活躍を拝見すると彼らだからこそ作れる世界を楽しんでいるようにも感じられます。そのような人たちの生き方に誇りをもって私たちは接していくべきなのではないかと思います。
障害をもった方と音楽という関係に興味を持ちました。
琵琶法師が全盲の人が多かったというのは、学校の歴史の授業で習うため多くの人が知っていることです。しかし、日本の伝統的な楽器である三味線・筝の源流を形成したのが全盲の人々であるとは、知らない人が多いでしょう。
障害をもっていることは、音楽への可能性には何の影響もなく、聞く人が感動する音楽というものは、演奏する人の情熱や強い思いといったものではないでしょうか。
音楽専修で、一応声楽を専門に勉強しています。
盲目のテナーと言えば、アンドレア・ボッチェッリも有名ですね。僕は、大学から音楽を学び始めたも同然ですが、小さいころからピアノを弾きつづけているという人の音を音程でしか捉えられていない人の多さに脅かされました。絶対音感といわれる能力のある人も、そのほとんどは基音の判別にしか意識しておらず、倍音一つ一つの音にはほとんど気を配れていません。そもそも倍音に音を集中させることのできる演奏者は一流の演奏家にしか多くないので、そもそも一流の演奏を聴くことが少ない人は、大げさにいえば基音こそが音楽のほとんどを占めていると勘違いしているのでしょう。
声楽においては、正確な音程よりも良い声(人間が最も敏感な周波数を出している)ということが重視されます。良い声は、単音でありながら様々なハーモニーを聴くことができます。
声の演奏者にとって視覚障害ということによっておきるメリットも多分にあるでしょう。
まず、楽譜が読める必要がない。
「盲目のテナー」として名が売りやすい。
同じ音程の音でも、譜面上の音でなく、曲上のつながりとして響きとして意識しやすい。
演奏における、視覚的な効果が期待されない→音楽のみで評価される。(少し不思議な振る舞いをしても減点されにくい)
ときどき、盲目であるからという理由で盲目でない人のほうが上手い場合もあるのにメディアに取り上げられることもあります。そう考えれば、歌手には、なにか特徴がなければならないのかもしれません。
盲目というのも、立派な特徴ですね。
「目が見えない」ことを気にしているのは、本人ではなく周りの人間ではないかというのが一番の感想である。困難はあるだろうが、それによって聴覚などの視覚以外の感覚器が発達したからこそ、素晴らしい演奏や芸ができるのだと思う(もちろん、障害がなくてもできる人にはできるのだろうが)。それでも、障害のある人の演奏などは、特別に感動することがある。それはその演奏ができるまでに困難がたくさんあり、そしてそれを乗り越えてきたからこそだと思う。メディアでは「障害があるのに」「目が見えないのに」というキャッチフレーズで紹介されるが、「障害があるから」「目が見えないから」このような素晴らしい演奏ができるのではないだろうか、と思った。
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