黒田官兵衛
NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映が開始されました。私自身、歴史が好きなので黒田官兵衛の書籍も読みました。その中で、下記の書籍は事業所の会議の運営などにも参考になると感じますので、ご紹介します。
「黒田官兵衛―知と情の軍師」童門冬二著(時事通信出版局)
明治維新まで続く黒田家は「異見会が政治を誤らせなった」と言われています。
異見会=会議(ボトムアップ式)
P309より抜粋
異見会は確かに黒田家の政策を誤らせない装置ではあったが、あまり異見会の存在が強くなると、トップはどうしても決断力を失う。
すべて合議に委ねてしまう。
それを心配した如水は死の直前に(跡取りの)長政に自分が散々履き古した下駄を片方と草履を片方残した。「これが形見だ」といった。
長政には何の事だか分からなかった。
しかし、死の直前に父が残してくれたものだからおそらく深い意味があるのだろうと思い腕を組み考え抜いた。
それを見て死の道を歩き始めていた如水がニヤリと笑った。
「長政よ、お前は又、この草履と下駄について何か思いを巡らせているのだろう?」
「さようでございます。日本一頭脳が鋭いと言われた父上が、いまわの際に下さったお品でございます。下駄が片方、草履が片方ではございますが、おそらく深い意味がございましょう。考え当てて、最後の親孝行をするつもりでございます。」
「やめなさい」
「は?」
「それがおまえの悪い癖だ。異見会の悪しき影響を受けている。つまり、何の意味もないものに対しても、意味を求めようとする。異見会をそういう使い方をしてはならぬ。決断すべきは、黒田家においてはお前一人しかいない。決める時は決めなさい。もし、決めかねる時は、その下駄と草履を出して、父が死ぬ間際に何を言ったか思い起こせ。この頃のお前は少し決断力が鈍くなっている」
「おそれいりました」
この武士の時代でも、役職についていない武士の意見を吸い上げていこうという姿勢があった事に驚きでした。
ここでいう、長政は組織の長、社長、部長、等の何らかの部署の決定権のあるポジションと考えると理解しやすく感じます。
私は社長として、会社で会議を行う時があります。意見が出ない、自分の立場を保守するための意見ばかりで、思いきった意見が出ない時も稀にあります。
意見を出やすくする工夫がない時、配慮がない時、自分一人が熱くなってしまっている時ほど、意見は出ません。
もどかしい気持ちになります。決断するには勇気が要ります。そこには甘えは許されないのです。なぜなら、責任はすべて自分で被ることになるからです。
しかし私は、そこに経営者としてのやりがいと価値があると感じます。良い方向に向かったら協力してくれた皆のお陰、失敗したら自己責任。
綺麗ごとのように聞こえますが、現実はそうなります。
・意見に耳を傾けること=傾聴
・その意見を取り入れていくかどうかの決断をすること=決断と行動
そういったスタンスは常にもっていきたいと思います。
忘れていけないことは、意見を言った人の気持ちをくむことも大切だと思います。
意見なのか?愚痴なのか?文句なのか?想いなのか?攻撃なのか?
それをしっかり考えていくことが大事だと思います。
意見には、ここが問題で、自分はこうすべきと感じる、という主張が伴うはずです。意見は必要ですが、愚痴を言ってはいけないと思います。愚痴、文句には発展性はありません。
攻め合い!も責任の転嫁です!責任の押し付け合いです!
しかし、攻められるのも大事な時があります。それをしっかり受け入れていかないと「裸の王様」になってしまいます。
会議を有意義にするためにも、長は何が有っても自己が責任を持つ!というスタンスを持って行くことが大事だと思います。
黒田如水を読んで、「決断する事から逃げてはいけない」、「決断の大切さ責任」を痛感しました。決断するには自信がないときもありますが、自分のビジョンに協力してもらうためには、周りを安心させる工夫が大事だと思います。
何でも皆で、という形態が良い時もあります。それで、いつも順調であればこんなによいことはありません。しかし、一歩誤ると仲良し倶楽部です。誰かがしっかり「決断」をするからこそ、組織にしまりができてくるものだと私は思います。
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