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梶川義人の「虐待相談の現場から」

職業的共依存

 「私たちは、どこまで無理をして頑張れば良いのだろう」と疑問を持つ一方、「もし、私たちが手を引いてしまったら、Aさんは一体どうなってしまうのだろう」と心配になり、引くに引けない状態が続く。ところが、いずれまた「どこまで無理をして…」という疑問が頭を持ち上げる。対人援助職は時々、虐待の事例に限らず、こうした悩ましい状況に陥ります。

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 「逡巡する」とはよく言ったものですが、なかには、支援をしていることが仇となり、かえって問題を継続させていることがあるように思います。私が「職業的共依存」と呼ぶのはその典型です。
 共依存は、正式な学術用語というより、「特定の人間関係に囚われ、逃れられない状態」といったほどの意味です。たとえば、「妻に迷惑をかけずにおられないアルコール依存の夫と、夫を世話することに自分の存在価値を見出す妻」、「妻に暴力を振るわないといられない夫と、夫の暴力に耐え続けることに自分の存在価値を見出す妻」、「過干渉せずにいられない親と、そこに依存せずにいられない子ども」などです。
 こうなるのは、当事者の自己肯定感や自己愛が不足しているからだ、と説明されることが多いのですが、職業的共依存では、仕事上の関係に囚われて、逃げられない状態になります。そして、支援しているはずなのに、皮肉にも被共依存者の自立や回復の機会を奪っていたり、関係に巻き込まれてストレスを溜め込んだりします。
 確かに、支援を減らせば、一時的にAさんの病状は悪化するかもしれませんし、Aさんは「見捨てられた」と思うかもしれません。しかし、病状であれ経済状況であれ、ある程度悪化してから手当てした方が、予後が良いことは少なくありません。
 それに、対人援助職は、クライエントの来し方行末を見すえ、身の処し方を考える手伝いはできても、その人生を背負っていけるわけではありません。つまり、最終的にはクライエントに、自分の人生を自ら切り開いて行ってもらわないといけないわけです。

 面倒見が良い人ほど、心は引き裂かれるかもしれませんが、つまるところ、クライエントをあえて突き放して一定の距離をとることが、一番の支援となる場合があるのではないでしょうか。
 だからといって、職業的共依存を、「はっきり虐待だとはいえないから介入しない」など、支援を放棄する言い訳として持ち出すのは感心しません。それに、間違った認識のもとに「自分が共依存であるからいけない」と自らを追い込んでもいけません。「持ちつ持たれつ」という言葉があるように、誰かが誰かに依存することが不健康だというのではなく、展開している支援が、皮肉にも問題の解決や回復を阻害している場合に限った話だからです。
 いずれにせよ、熱き想いを持った対人援助職ほど、この職業的共依存に陥りやすいでしょうから、自ら判断するのではなく、是非、スーパーバイザーやコンサルタントなど第三者の専門家に助けを求めて欲しいと思います。
 対人援助職としてのさらなる高みに行けること請け合いです。


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プロフィール
梶川義人
(かじかわ よしと)
(仮称)日本虐待防止研究・研修センター開設準備室長、淑徳短期大学兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。
著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
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