私の世界、あなたの世界、そして私たちの世界
最近、アルバイト店員による悪ふざけ画像のツイッターへのアップロードが社会的な問題になっています。いろいろな議論がありますが、ここでは、虐待問題との関連で考えてみたいと思います。
私達は、さまざまな人間関係のなかで生活しています。ですから、これらをうまく統合する中心的な立場が必要になります。一般に、発達段階の順に、以下の第1の立脚点から獲得していきます。そうしないと、安定化と優位化が図れないからです。
第1は、自分だけが分かる領域(個人内領域)での「自己中心」の立脚点です。最も原初的なレベルのものであり、いわゆる主観的な立場のことです。自主的、独立的で自由ですが、一人よがりの自己流で、ときに自己矛盾にも陥ります。
第2は、他者と分かり合える領域(共有領域)での「共有中心」の立脚点です。共有領域は、一人では生きられない場合、さまざまな要求を充足したり、統制を受けたりするのに必要不可欠となります。しかし、領域を共有する個体間に力の優劣があると、支配・服従関係や葛藤関係が生じたりします。
第3は、対象を客体的にみる「客観中心」の立脚点です。他の生物との生存競争や天災など、厳しい自然環境を生き抜くのに必要な、より強い統合の力と機能と感覚を得るためのものです。いわゆる自然科学的な視点とほぼ同義で、普遍的なモノサシを基準に物事をみます。
第4は、「共感中心」の立脚点です。親子、同胞、夫婦、恋人など、愛する者の実体に触れようとして、第3までの立脚点を超えねばならないときに成立します。たとえば、愛する者を救うために捨身になるなどです。主観を離れる点では客観中心と同じですが、相手の安定化、優位化を第一に考えます(対象を主体的にみる)。長所として、個別的な存在である相手の実体をみつめるのですが、短所として、他の立脚点が影響しやすく純粋にこの立脚点を保つことが難しくもあります。
第5は、「実現主体中心」の立脚点です。他の4つの立脚点では解決しえない「生、老、病、死」という囚われから脱し、生きとし生けるもの、さらには無機質の世界にまでわたって、創造的に生かしあおうとします。
日常生活では、これらの立脚点を適宜移動します。いわば、「私の世界、あなたの世界、そして、私達の世界」を行ったり来たりするわけです。しかし、虐待の当事者は、何らかの囚われから、立脚点が偏向・固着して、十分に移動しなくなっています。悪ふざけ画像云々の当時者もまた、同様の状態にあったのではないでしょうか。そして、ツイッターは共有領域だから「ウケるか」と思いアップロードしたら、客観中心の立脚点の者も多くいるネット社会なので、批判等が続出したように思います。
7月25日のブログ「対人援助モード」でご紹介した「ホットな心」は第4の立脚点、「クールな頭」は第3の立脚点を指します。本来、対人援助職に第5の立脚点も必要不可欠なのですが、その獲得は容易ではありません。小説やドラマではよく、主人公の医療従事者がこの境地に辿り着くのに、大いに苦悩する姿が描かれます。
こう考えると、人を育てるときに力を注ぐべきは、マニュアルに従って何かをできるようにするというより、立脚点を適切に移動できることであるような気がしてきます。
コメント
梶川様
本ブログの内容とは直接関係ないのですが、現在準備しておられます「(仮称)日本虐待防止研究・研修センター」とは具体的にどのような組織(組織化される時期,業務内容等)を目指しているのでしょうか?
梶川です。
コメントをありがとうございます。
(仮称)日本虐待防止研究・研修センターは、特定非営利活動法人として設立します。時期は、一日も早くと思って願っておりますが、本年内に認証を受けれらればと思っております。
特徴としては、児童虐待、DV防止、高齢者虐待、障がい者虐待の専門家の参画を得て、実践と研究と教育と連携の活動の柱に、人が人を虐げるという事象の防止と支援に寄与する活動を展開する点です。
具体的には、以下の5事業を柱に活動展開しようと考えています。
1.実践事業:相談事業、支援事業(当事者支援プログラムの実施)など
2.研究事業:虐待及び人権福祉に関する調査研究及び情報の収集と提供、対応方法の開発と普及など
3.教育事業:啓発や啓蒙に関する印刷物の作成と配布、シンポジウム・講演会・研修会等の開催と講師紹介など
4.連携事業:アドバイザー等の紹介、他団体とのネットワーク構築とその運営など
5.企画事業:自治体等からの委託事業(指定計画相談支援事業等)など
変更はあり得ますが、現時点ではこのように計画しております。
梶川様
9月7日付けでコメントをした者です。
ご回答ありがとうございました。
今後のご活躍をお祈りいたします。
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