サッカーのルール「第18条」に学ぶ
従事者による虐待の防止マニュアルや研修テキストを見ていると、「不適切なケア」という言葉を散見します。ケアの場面ごとにありがちな事例の並ぶ、使いやすそうなチェックリストもあります。研修や講演でも、よく不適切なケアに関するご質問が出ますし、きっと虐待と不適切なケアの境界が気になる方が多いのでしょう。
しかし、個別具体的な判断を下すための明確な基準はありません。ですから、多くの事例を積み重ねることで、判断の精度を高めていくほかありません。つまり、帰納法的な推論をしていくわけです。しかし、現に多くの人々が悩んでいるのに、「今後に乞うご期待」というのでは、ちょっと酷な気がします。
そこで、演繹法的な推論に注目したいと思います。この方法は、帰納法とは反対に、普遍的な前提から個別的な結論を得ようとしますから、普遍的な前提が分かれば、個別具体的に適切か不適切か判断できるわけです。私は、プロの場合、「不適切なケアは、もはやケアではない」を前提にすると良いのではないかと考えます。
もちろん、不適切か適切か線引きする難しさは残ります。しかし、従事者の意識は「ケアを提供するはずのプロがケアを提供していない」ことに向いて、不適切なケアを駆逐する原動力になると思います。
少なくとも、乱暴な言葉遣いや介助について、「親しみを込めた」とか「忙しかったから」といった合理化に惑わされずとも済みます。「乱暴ないし雑な言葉遣いはケア?」、「乱暴ないし雑な介助はケア?」と問われ、胸をはって「はい、ケアです」と答える人はそう多くはないでしょう。
以前、介護職員がトイレ介助の様子を、利用者本人の同意なしに動画撮影してネットに投稿した事例が、社会問題化したことがあります。この場合も、「こうした行為はケア?」と問えば、容易に判断できます。「○○の行為はしてはいけません」という、具体的で分かりやすくても応用がきかない規制と比べ、時にずっと実践的だとさえ思います。
サッカーのルール(競技規則)は17条だけしかなく、シンプルなことで有名ですが、ルールにないことが起こったときには、明文化されていない「第18条」で判断することでも有名です。つまり、「コモンセンス(良識や常識)」で判断するというのです。ケアの現場も同様に、「不適切なケアは、もはやケアではない」という考えが、第18条として浸透するように期待します。
そのためにも、ケアの前提となる目的や原理・原則をよく知っておく必要があります。確かに、概念的になりやすので、建前や名目程度に扱われやすいのですが、教科書やマニュアルを「魂のない仏」にしないためにも、きちんとした考え方を体得できる工夫をしたいものです。
そして、個人の経験のみに頼った独善的なケアではなく、ケアの目的や原理・原則に対するしっかりとした考え方が、代々受け継がれてはじめて、より良いケアの現場が実現できていくように思います。
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