犯罪と刑罰
7月10日のブログにお二人の方からコメントをいただいていたのですが、なかなかお返事できなくて申し訳ありませんでした。簡単にお答えできるものではなく、遅くなってしまいました。今回のブログが、藤さん、くぼたさんへのお返事のかわりになればと思います。
私たちがなぜ、受刑者支援をしているのかということについて、ブログの第一回目で簡単にふれましたが、今回はもう少し詳しく書こうと思います。
まず、刑務所の中での受刑者の生活の様子についてですが、私自身に受刑体験はないので、関係する法律や規則と受刑者からの手紙から、わかる範囲で紹介します。
受刑者は、一般的に平日は朝起きると舎房の掃除をし、朝食をとったあと、1日8時間工場などで刑務作業に従事します。薬物依存離脱や暴力団離脱などの改善指導プログラムを受講する必要がある場合は、刑務作業時間内に参加します。それ以外に、原則毎日の運動と1日おきの入浴、工場から戻ってからは余暇の時間もあり、読書をしたり、手紙を書いたり、学習したり、みなさん思い思いに過ごしているようです。
「受刑態度が良好」な場合には、 テレビの視聴やクラブ活動への参加も可能で、さらに月に数回開催される慰問コンサートや映画の上映会などにも参加できます。この「受刑態度が良好」というのは、明確な判断基準がないため、意地悪な刑務官にあたってしまうと、とても恣意的に判断されてしまい、それが受刑者のストレスとなってしまいます。監獄人権センターにも、自分の処遇区分について納得できる説明が受けられないという相談がたくさん寄せられます。
昼も夜も独居室の受刑者は、刑務作業は自分の舎房の中で1人で行い、運動も入浴も1人で行うことがあります。
このように1日の様子を書き出すと、受刑者は三食屋根付きの良い暮らしをしていると思われがちですが、想像してみてください。工場での作業中は許可なしに他人としゃべることができないこと、トイレに行くこともできないことを。そして、食事の時間、新聞を読む時間、手紙や面会の回数など生活のありとあらゆることを法律や規則で決められ、制限されていることを…。
このような生活の中では、テレビ(決められた番組)やコンサートなどを観る時間は、受刑者にとってほっと一息をつくことができる瞬間ではないでしょうか。
チェーザレ・ベッカリーアというイタリアの法学者が、18世紀のフランス革命直前、『犯罪と刑罰』という論文を発表しました。日本語訳は岩波文庫から発売されています(ベッカリーア著、風早八十二、五十嵐二葉訳『犯罪と刑罰』1938年、岩波書店)。
ベッカリーアの時代は、まだ身体に直接的に暴力を加える刑罰が用いられていました。しかし、ベッカリーアはこの著作の中で、どのような行為が犯罪で、それに対してどのような刑罰が科せられるのかということはあらかじめ法律で定められていなければならず、定められた範囲を超えた刑罰を科すことは違法であること、刑罰の目的は、犯罪を犯した人がそれ以降、社会に危害を加えないようにし、周囲の者を犯罪から守ることであるため、必要以上に苦痛を与えてはならないことなどを主張しています。
話が少し遠くなってしまいましたが、受刑者も私たちと同じように人間であるため、基本的人権は保障されなくてはなりません(ただし、有罪と認定され判決により刑務所に収容されたとき、その収容の目的を達成するために、たとえば居住の自由や移動の自由などは制限されます)。
悪いことをした人だからといって必要以上の苦痛を与えたら、受刑者は反省するどころか、社会に対して恨みを持ってしまうかもしれません。
受刑者自身が自分の犯した罪をしっかりと振り返り社会復帰をすること、そして、私たち外の社会で、出所した人たちが再び犯罪を犯さないように受け入れ体制を整えること(就労や住居の支援)が社会にとっての利益につながるのではないかと思います。
受刑者はやがて社会に戻ってくる人たちであるため、他人ごととは考えずに、みんなでどうしたら良いのか考えていきたいと思っています。
コメント
秋山さん、ありがとうございました。
バッチリ理解出来たといえば言えませんが、なるほどでした。
実は、私の弟は受刑者です。想像以上に過酷なのだろうと思いと、家族やヒトサマに多大な迷惑をかけているのに、ファッション誌や車の雑誌を姉の私や親に要求?希望?してくるのに違和感、苛立ちを感じていました。弟に直接聞くのも大切なのでしょうが、トゲトゲしくなるようで、、、。真っ当な社会人に復帰してくれるのが一番なのですよね。
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