脊髄損傷を受傷して
年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
- プロフィール松尾 清美先生(まつお きよみ)
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宮崎大学工学部卒業。
大学在学中に交通事故により車いす生活となる。多くの福祉機器メーカーとの研究開発を行うとともに、身体に障害をお持ちの方々の住環境設計と生活行動支援を1600件以上実施。
福祉住環境コーディネーター協会理事、日本障害者スポーツ学会理事、日本リハビリテーション工学協会車いすSIG代表、車いすテニスの先駆者としても有名。
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第59回 「第58回 これからがジャンプのとき」の解説
私は、胸髄を損傷し、上肢は動くがへそ下5cmから下肢は全く動かない対麻痺になって、大学に復学して卒業。そして、社会復帰し、総合せき損センターでリハビリテーションエンジニアとして働いて20数年経過した頃、丸山さんに会いました。この時、私のような対麻痺の身体機能であれば、「身体に障害があっても、たとえ歩けなくても車いすなどの福祉用具を活用し、住宅を改造すれば、生活や人生を楽しむことができる」と考えていましたが、丸山さんのように、上肢の手首と手指が動かない、四肢麻痺を呈する頸髄損傷者では、社会復帰は難しい場合が多いという経験上の見解を持っていました。
しかし、丸山さんの社会復帰の支援に関与してからは、「四肢麻痺があっても、障害を受容し、福祉用具と住宅改修を適合できれば、できることを増やすことができ、介助者の負担を少なくすることができる。そして、生活や人生を楽しむことができる。また、理解ある介助者が見つかれば、就学や就労も達成することができる」と、自信を持って言えるようになりました。
この考え方で最も重要な点は、たとえ四肢に麻痺があって、全く手足や体幹を動かすことができなくても、身体のどこかでスイッチを入れることができれば、電動車いすを操作できて、自分で自由に移動できるということや、衣服の着脱や排尿など一般的に上肢で行う動作は、四肢が麻痺していると自分でできないけれども、「本人の意思で介助者に介助してもらって目的を果たすこと=自律している」と言えるようになるということです。
丸山さんは、障害を得てから、幸いにも優れた「医療の支援」を受けることができ、生活用具等のいわゆる「ハードの面(道具など)での支援」にも恵まれ、四肢麻痺であるにもかかわらず、できることが増え、かつ介助負担が軽減されました。それにもう一つ、「日々の暮らしを支える」という支援が大切であり、在宅で生活するには必要だということをその体験から気づきました。それは、たとえ身体の機能が失われても、心配なく生きられるという暮らしの安心を保障するということです。つまり、排泄介助のような、一般的には恥ずかしいことであっても、何でも任せられるという安心のことです。また、在宅生活では、本人以上に家族が疲れている場合があります。ですから、本人だけでなく、家族への支援も必要で、それによって生まれる時間や心のゆとりがあってこそ、はじめてお互いに尊重し合える心豊かな生活が送られるということを身に浸みて体験していたのです。
また、奥さんも退院して地元に帰ってきてから50日間、たった一人で介助した辛い経験をしたことなどが重なって、営利を目的としない特定非営利活動法人(NPO法人)の介護事業所を立ち上げようと決断されたようです。