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脊髄損傷を受傷して

松尾 清美(まつお きよみ)

年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。

プロフィール松尾 清美先生(まつお きよみ)

宮崎大学工学部卒業。
大学在学中に交通事故により車いす生活となる。多くの福祉機器メーカーとの研究開発を行うとともに、身体に障害をお持ちの方々の住環境設計と生活行動支援を1600件以上実施。
福祉住環境コーディネーター協会理事、日本障害者スポーツ学会理事、日本リハビリテーション工学協会車いすSIG代表、車いすテニスの先駆者としても有名。

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第53回 「第51回 退院直後のやりきれない経験」「第52回 帰宅後50日の葛藤」の解説

 退院した翌日のこと、帰宅できて嬉しいと思った昨日の歓迎会の笑顔の状況とは全く異なる涙の文章が続いています。それは、奥さんの庭仕事を部屋から見たり、愛犬がボールをくわえて遊びをせがむ状況などから、「俺はもう何もできなくなってしまった」と涙を流す丸山さんの様子、また、大学へ車いすで通い始めたとき、奥さんが「お父さん、また大学に来られてよかったね」と言ったら、「あんたが言うほどではない」と返したひと言からよくわかります。病院では車いすの人が多くリハビリテーションをしていますが、退院すると自分だけが車いすなのです。それよりも許せないことは、以前は何気なく行えたことが、四肢麻痺のためにできないことです。

 私自身も退院時には、障害を乗り越えたと思っていましたが、家に帰って生活を始めると、以前と全てが異なることに愕然としたことを思い出します。全てが車いすで動かなくてはならないのです。これには、かなりストレスを感じました。丸山さんの場合は、四肢麻痺で上肢も使えないので、手が使える私の比ではないことが想像できます。

 しかし、年度末や年度初めの会議、授業などで忙しくなって、それどころではなくなったと書かれています。つまり、会議や授業の準備などは、時間はかかるものの自分でできるし、しなければ責任は果たせないので、以前と異なることに悲しんでばかりいられなかったのではないかと想像しています。私の場合は大学への復学でしたが、同じような状況だったのです。毎日、一生懸命生活している間に、「できなくなったことも多いが、できることも多い」と気づいたのです。私は、きっと丸山さんもそのことに気づいてくれると思っていました。

 紹介してもらった病院へ、紹介状を持って行った時のことが書かれています。整形外科の医師が紹介状に目をやってひと言、「それで? ここでは何をしてもらいたいのですか?」とか、「藥のこととかも何も書いてないし・・」という言葉から、「この重度の身体機能で何ができる?」と言わんばかりの態度に感じますし、できることは薬を投与するしかないという考え方が読み取れます。頸髄損傷のリハビリテーションを知らないか、経験がないとしか思えない医師のそっけない態度や、患者を無視したような態度に苛立ちを感じる丸山さんの様子がよくわかります。それでも週3回のリハビリテーションに通うようになったのです。泌尿器科の医師も、本人とせき損センターの泌尿器科医師が決めた治療方針を理解しないで介助導尿を進めるなど、丸山さんと奥さんはこの病院の対応に失望している状況がわかります。

 退院して半月後に、丸山さんと奥さんの生活状況や住宅改修の出来栄え、そしてエレベーターの使用状況などを見るために、私は共同研究者であるエレベーター会社の方と一緒に訪問し、記録するとともに、これまでの経験から生活方法や生活の考え方などについてアドバイスさせていただきました。

 丸山先生が退院のご挨拶と御礼を、自分でパソコンに打ち込んだ文章が書かれています。「職場復帰を目指した準備をしていること、そのためのリハビリテーションに励んでいくこと、ひたすら自立を目指して新しい生き方に挑んでいくこと」などが印象的です。

 退院して50日経過した頃、介護を一人で行っている奥さんの介護疲労がピークになっていることがわかります。神経過敏、腰痛、落ち着きのなさ、自分のことができていないことなど、「腰が痛い。情けないほど、何でもつらい。モモの散歩、食事の準備、介助、ストーブに薪を入れるのさえ」、「疲れが心に現れている。自分でよくわかっている。朝起きてきても、彼は、腰の具合を尋ねてさえくれない。俺は『思っている』と言われても、言葉にしてくれなければ伝わらない」、「夜になっても、やってもやっても仕事が終わらない」などの文章によく現れています。どこに相談したらよいのかもわからない状況や、福祉課や介護会社に相談しても、なかなか思うような支援が受けられないことなどが書かれています。

 どうにか探し出して、ヘルパーが来てくれることになって、やっと保健師と看護師につながり、帰宅後50日過ぎたところで、「やっと救われた。先が見えて来た」と書かれています。

 障害者の日々の生活を支える支援には、相談窓口がきちんと整備されていることが重要で、そのシステムが周知されていることの重要性が書かれています。