脊髄損傷を受傷して
年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
- プロフィール松尾 清美先生(まつお きよみ)
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宮崎大学工学部卒業。
大学在学中に交通事故により車いす生活となる。多くの福祉機器メーカーとの研究開発を行うとともに、身体に障害をお持ちの方々の住環境設計と生活行動支援を1600件以上実施。
福祉住環境コーディネーター協会理事、日本障害者スポーツ学会理事、日本リハビリテーション工学協会車いすSIG代表、車いすテニスの先駆者としても有名。
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第39回 「第38回 万感の想いでメールを発信」の解説
5か月過ぎたゴールデンウイークに、訪ねて来た二女の感想によく現れています。
「2か月目のとき以来に来たけど、左手でご飯を食べたり、車いすを操作したり、自由にものを食べたり、行きたい場所に行けるようになって、だいぶ生活のレベルが変わってきたね。左手だけでも動くことができて本当によかったね。こんなに違うんだもの」
丸山さんの毎日のリハビリテーション訓練は、私には筋力トレーニングに見えていました。毎日毎日、リハビリテーション訓練の台の上で、セラピストの指示通りに上肢や下肢を動かす訓練、あるいは砂袋を引っ張ったり、デルトイドエイド(三角筋を鍛えるため前腕を吊って、上肢を動かす訓練装置)などを使った単調な筋力トレーニングが続けられたのです。その結果として、左手で電動車いすのジョイスティックレバーやリクライニングスイッチのレバーなどをコントロールできるようになったのです。また、食事もスプーンやフォークをホルダーに付けて、自分で口に運ぶ練習と食事へとつながっていったのです。
上肢での文字入力が難しいので、スプーンなどと同様に左手に付けた棒状のスティックやマウススティック、ヘッドスティック、マウスやトラックボールなどの入力装置でのパソコン操作を開始し、奥さんも操作することができるようになっていく状況が書かれています。
「夫にパソコンが不可欠だったということは、私にもそれは必要だということでした」などと書かれていますが、やはり奥さんは丸山さんの環境の一つに組み込まれようとしています。
総合せき損センターには、職業訓練施設が併設されており、そこのパソコンでインターネット通信ができるようになって、初めてのメールを大学の学長あてに送られたことに本人は、「万感の想いでメールを発信」と書いており、奥さんはヘッドスティックやトラックボールを使って、一生懸命に入力されている姿を「万感の想い」で、こんなことまでできるようになったと思われており、復職への期待も感じることができます。
お二人は、着実に将来の生活や復職に向かって準備を進められていることがわかります。