メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第139回 大手介護会社から地元密着型の在宅サービスへ 
地域住民のために「いいこと、しようぜ」

赤星良平さん(39歳)
ホームコム 医療機関支援・介護事業
代表取締役
東京都介護保険居宅事業者連絡会会長
むさしウェルビーイング協会副理事長
(東京都・東久留米市)

取材・文:毛利マスミ

デイに併設されたカフェが地域の集いの場に

 医療と介護を通じて地域活性を目指し、訪問看護からリハビリデイ、居宅介護支援、デイサービス、訪問介護など多角的に在宅サービスを運営している会社の代表取締役をしています。今年2月に開設したデイサービスアルゴ参番館は、6000人ほどが暮らす団地に隣接する商店街にあります。この団地は高齢化率50%、平均年齢70歳という超高齢化社会の縮図ともいえるようなところです。

 私は高齢者の方々、商店街、地域の皆さんと一緒にがんばっていけたら面白いかなと思っています。たとえばデイの開設の際に、こだわったのがカフェの併設です。施設の目の前はスーパーなので、買い物ついでにふらりとお茶を飲みにきていただけたら、うれしいなと。地域には元気なのに行く場所がない高齢者の方がたくさんいらっしゃるんです。カフェは、子どももペット連れもOKで、100円でコーヒーが飲めると評判なんですよ。

 「年を取ったら、どうなるか不安」「デイサービスでは、お遊戯をさせられる?」そんな風に思ってらっしゃる方も大勢いらっしゃいますよね。でもお茶を飲みに来たカフェで、デイの様子を見ていただけたら、そんな不安も解消されるのではないでしょうか。

 私が介護の道に入ったのは、本当に偶然のことです。たまたま読んだ雑誌で、介護福祉業界は就職率100%と書いてあったんです。ちょうど就職氷河期と言われていた頃でしたし、「人の役に立つ仕事」と印象もいいので、親を説得して高校卒業後に専門学校に進学しました。卒業後は、民間の在宅介護の会社に就職し、配属された訪問入浴の現場で5年間働いた後、専門学校時代に取得した社会福祉主事の資格で、デイの管理者、生活相談員兼センター長になりました。

 そこで私がどうしても抵抗があったのが、レクリエーションです。ご利用者さんの前で歌ったりすることがどうしても嫌だったんです。そんなとき、私の上司になったのが『大逆転の地方ケア』(中央法規)や〈けあサポ〉のコラムでも知られる和田行男さんです。このときに和田さんから、デイは私が思っているような「幼稚園みたいなところ」ではないということを人として教えていただきました。

 その後は、地域密着型複合施設の立ち上げに関わるなど、仕事はやりがいもあり順風満帆だったのですが、漠然と「介護業界しか知らなくていいのか」と不安になり、30歳で会社を辞めて保険会社に転職。またさらに翌年には、「この仕事は俺じゃなくても誰も困らない。やはり介護業界が自分には向いている」と、業界に戻りました。

「ビジネス介護」が性に合わずに、現職に

 再々就職した会社では、介護予防型のデイを全国展開する事業が進んでいました。ちょうどデイのシステムをフランチャイズ化して展開するのが流行りかけていた時期で、その先駆けだったんです。4年間で180店舗を展開するなど事業はとんとん拍子に進み、私は35歳で代表取締役になりました。でも、私はそうした「ビジネス介護」に、「正しいことをしている」という実感が持てず、仕事を続けていくことができませんでした。それで、「大手でガツガツ働くのはもうやめよう。地元に根差して、地域のためにやりたい」と転職を決めました。

 今の会社には、「僕のことを雇ってくれませんか?」と理事長の医師に直接売り込みました。そして介護事業の統括として就職したのが、37歳の時のことです。

 介護というと、おむつ交換や食事や入浴の介助というイメージが湧くかもしれませんが、これは介護のほんの一部でしかありません。在宅介護サービスは「この町に暮らし続けることを、みんなで応援しようぜ」ということの形です。そこにはドクター、ナース、ケアマネ、ヘルパー、地域の町内会、民生委員、ご近所さんなどみんなが関わります。私は、介護の究極は「町づくり」「地域づくり」だと思っています。ですから目の前の人に、ただサービスを提供すればいいだけの仕事ではないという視点を、特に管理者、生活相談員、サービス提供責任者といった役職についている人は、絶対にもたないといけない。そして業界全体、そして周囲も巻き込んで意識を変えていきたいと思っています。

 うちのデイでは、毎日ご利用者さんと、昼ご飯を一緒につくって食べているんですよ。メニューも当日の朝、みんなで一緒に考えて、地元の商店に買い物も一緒にいきます。そして包丁で野菜を切る、味付けもしてもらいます。とってつけたようなレクやリハビリをするより、よほど機能訓練になっているのと思うのですが、いかがでしょうか。

 デイは生活の場です。買い物をとおして地域との関わりもできることで周囲の見る目も変わってきます。一般的にはまだ介護施設というと「何やっているのかわからない、得体のしれないところ」という印象があるかもしれませんが、こうしたイメージも変わっていくと信じています。

地域のなかで循環する介護のシステムづくり

 介護職は、どういう生き方 死に方したいのか、本人の意向を確認しながら支援していく仕事です。言ってみれば、「人生そのものをプロデュースする」──そんな仕事ではないかと思っています。人の人生に深く関われること、人生に影響を与える仕事は、そう多くはありません。

 また、町づくり、地域づくりという視点からとらえると、介護は壮大でおもしろい仕事です。私は本職について今年の夏で3年ですが、地域包括からケアマネ、役所、地元の方々など、みんなで築き上げてきたものが少しずつ形になってきていると感じています。たとえば、行政が決めた施策を地域に根付かせた例として評価されている取り組みがあります。

 うちの施設では、市の委託事業で介護予防の養成講座と実習を行っています。その講座修了者の方には、基準緩和で地域住民も運用基準に含められるようになった総合事業のA型通所サービスのスタッフとして参加してもらっているのですが、そのスタッフさんが中心となって、地域の人たちによるミニデイB型通所サービスを自主的に立ち上げることにつながったのです。そのB型通所サービスには、要介護認定を受けていない高齢者の方々がたくさん集まってきてくださっていて、町の姿を変えたという自負もあります。また今後は、たとえば元気な高齢者の方とおせっかい隊のようなボランティアを組織化することも考えています。

 とにかく業界のことをよく知っていただいて、興味を持っていただかないと、市民の方々も困るのではないでしょうか。私はせっかく縁あって東久留米市でやっているんだから、地域のためにできることは、何でもやりたいな、そういう気持ちでいるだけなんですよ。

昼食の準備を進める利用者さん。「もう少し大きめに切る?」「ちょうどいいよ」調理中の会話も弾む。

【久田恵の視点】
 元気な高齢者と介護の必要な高齢者が順繰りに支援し合える関係を作ることで地域を豊かな場所へと耕していく、それが新しい介護のあり方として共有されていく時代へと確実に向かっているように思います。