介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第128回 この世界を変えたいと決意して新卒で介護職へ
私を突き動かすのはあの時の「怒り」
最期までその人らしい生活を守るために私たちがいる
坂野悠己さん(37歳)
総合ケアセンター 駒場苑
副施設長
介護福祉士/介護支援専門員
(東京都・目黒区)
取材・文:原口美香
1か月でクビになった特養でのアルバイト
介護に関わるようになったのは、本当にすごい偶然で、大学2年の時、時給のいいバイトはないのかなと探していたら、すごくいいのがあったんです。施設のケアワーカーと書いてあって、それがなんの仕事なのか全く分からなかった。ただ、老人ホームでのお仕事ですとだけ書いてあったので、おじいちゃんやおばあちゃんとお茶を飲んだり、喋ったりするのかな、と。それでこんなにいい時給もらえるんだ、こりゃいい仕事だと、すぐに連絡して面接を受けたんです。
そこが特養老人ホームだったんですけれど、本当にひどい施設で、恐らく老人病院だったのを無理やり老人ホームにしているような感じで、まず、食堂がないんです。全員ベッドの上でご飯を食べる。基本的にベッドから起きない。起こしちゃいけないっていうのがあって、入所と同時に全員おむつになるんです。そのおむつを片っ端から替えるというのが私の仕事でした。交換も朝、昼、夜の1日3回だけと決まっていて。でも一律みんな同じ時間にうんちが出るわけじゃない。替えた後に出ているから、部屋に臭ってくるんです。それを替えてあげようと思ったら先輩に止められて「もう排泄の時間が終わったんだからやるな」と。「そんなのいちいち替えていたら、仕事まわらないよ」と言われ、結局その人はうんちが出たままお昼ご飯を食べて、次の交換でやっと替えてもらえたんです。そこそこ元気なおじいちゃんおばあちゃんは、ベッドが嫌だから起きてくる。起きてトイレに行こうとする。それが危険行為とみなされて、そういう人はベッドに柵を付けられたり、起きられないように手首をベッドの柵に縛ったり。要は身体拘束ですよね。私は初めて介護の現場を見て、ショックというか、同時にすごく腹が立って。人が亡くなっていく場所が、最期こんな便まみれになって、おむつも替えてもらえなくて、動いたら縛られて、こういう状況はおかしいと思ったんですよね。それで先輩たちに「なんで起こさないんですか?」「なんでトイレに行かないんですか?」とその都度どんどん聞いていったんです。それに対して返ってきた答えが「介護ってこういうものだから」「まだ若いから分からないのよね」とかで、また腹が立って。私は間違ったことは言っていない、仮にそれが出来なかったとしても、そうあるべきじゃないってことを認識するべきだと思って、入って2週間くらいだったんですけれど、直接施設長のところに行ったんです。「こんな状況はおかしいし、納得できない。変えた方がいいんじゃないですか?」って。施設長は「そうだよね」と聞いてはくれるんですけれど、全然改善しようとしない。その後も私は何度も施設長のところに言いに行ったんですけれど、全く変わらなくて。入って1か月のある日、出勤したら施設長に呼ばれて、「契約を更新しません」って。要は1か月でクビになっちゃったんです。
施設から出る時、振り返ったらその施設の理念みたいのが貼ってあって、こういう世界を変えたい、介護の内容を変えるためにこの仕事をやろうと思ったんです。
普通のお風呂に入れてあげたい
その後、2つの特養で働くんですけれど、それもやっぱりクビになっちゃうんです。
入浴介助のアルバイトだったんですけれど、そこは食堂もちゃんとあって、ご飯の時はできるだけ起きてもらったりもして、ただ、おむつの人はたくさんいて、お風呂は機械のお風呂を使っていたんです。自分で洗えるのに機械やリフトにセットされて、自動洗浄みたいな感じで。実際に機械のお風呂を怖がっている利用者の方もいて、普通の大きなお風呂自体あるんだから、普通に入れそうなのにな、と思ったんです。それを提案したんですよ。そしたら前の施設みたいな感じで、「何を言っているんだ? 介護のお風呂っていったら機械浴なんだよ」って、私は世間知らずみたいな扱いをされて。私からしたら、普通のお風呂を目指すべきだと思うし、結果できなくて機械のお風呂なら分かるけれど、入所したら機械浴みたいな決めつけは良くないと納得できなかったんです。何度か言ってみたんですけれど、全く聞き入れてもらえず、このパターンでいくとまたクビになるなと思って、機械浴が壊れてしまえばいいと思っちゃったんですよね。今考えれば飛躍した考え方だと思うんですけれど。それで実家から工具を持ってきて、夜中に施設に忍び込んで、懐中電灯で照らしながら機械浴とリフト浴の導線を切ったり傷付けたりして、作動しないようにしたんです。
次の日出勤したら、機械浴が壊れていると騒ぎになっていました。でもお風呂入れない訳にはいかないね、って話にもなっていて、私は「二人で介助すれば何とかやれるんじゃないですか?」って言って、私と職員さんの二人でやってみたんです。結果的には出たり入ったりを手伝えば、全員入れたんですよね。「気持ちいい」「久々に(ちゃんと)お風呂に入ったわ」って言う利用者の方もいて、自分で身体や頭を洗えたり、すごい発見がたくさんあったんです。施設長が「普通のお風呂でも入れるんだ」とボソッと言っていて、今後変わっていくかも知れないと期待しました。次の出勤の時、すぐに施設長に呼ばれ、部屋に入ったら、機械浴の業者のおじさんもいて、ものすごく怒っていました。修理をしていたら、中からドライバーが出てきたと。それには「6年2組 坂野悠己」と書いてあったんです。真っ暗の中で作業したので、置き忘れたことに気付かなかったんですね。それでまたクビになってしまいました。
その後、3か所目の特養に入浴介助で入るんですが、そこも機械浴で何度提案しても聞いてもらえなかったんです。その時は機械浴を壊すことは考えてなかったんですけれど、前回は、もしドライバーが見つからなかったら上手くいっていたんじゃないかと。それでまた同じことをしちゃったんですね。次の出勤の日、機械浴が作動しないので騒ぎになり、また普通にお風呂に入ってもらっていたら、すぐ業者さんが来て修理を始めたんです。その時、業者のおじさんが「あ!」と言って、パッと私と目が合ったんです。そしたら大声で「またおまえか!」と。それで3か所目もクビになりました。
※このエピソードに対する坂野さんのコメント(2023年4月18日追記)
「この2施設とはその当時、話し合いを行い、解雇というかたちで処罰を受け、この件については和解が成立しております。ただし、行った事自体は、理由はどうあれとても悪い行為ですので、それを推奨している訳ではありません。自分自身当時、反省をし、このような武力行使等ではない、他のいろんなアプローチを勉強、試行錯誤していくきっかけとなりました。この話は、単にこんな事をしたという武勇伝ではなく、こんな事をしてしまうような人間でも、反省し、その後、試行錯誤を繰り返して、施設のケアを仕組み作りなどで変えていけるようになったという、成長の過程の話の1つとしてお話をさせて頂きました。」
もう一度、特養にチャレンジ
3軒連続クビになって、動機は「普通のお風呂にいれてあげたい」というものだとしても、やっぱり私がしたことは良くなかったなと反省しました。頭を冷やして、ちゃんと勉強して、資格も取ってその上でもう一度特養にチャレンジしようと、今度は、機械浴のない有料老人ホームを探して、そこでアルバイトすることにしたんです。大学卒業と同時にそこに就職しましたが、お金持ちのおじいちゃんやおばあちゃんの楽しみに関わることが多かったので、どこかで違うなと思いながら働いていました。私は、そうじゃない環境でおむつや、寝たきりにさせられている人たちをどうにかしたいと思っていたんです。2年くらい働いて辞め、今度は横浜にある特養に移りました。
その頃は、ある程度勉強もして経験も積んでいたので、施設のケアを変えるには自分がえらくならないとダメだと思ったんですよね。上になって変えられる立場になればいいんだと。それで頑張ってフロアリーダーにさせてもらったんです。権限を持った上で、まずはフロアから「おむつをやめよう」「機械浴をやめて普通のお風呂にしよう」という取り組みを始めました。
三好春樹さんとの出会い
そんなある日、三好春樹さんから手紙が届いたんです。一言「噂は聞いています。今度飲みましょう」と書いてあって、「介護の専門性とは何か」という本が1冊。私はその頃まだ三好さんを知らなくて、本を読んでみてまた衝撃を受けたんです。私がおかしいと思っていたことを、ずっと前から言っている人がいる。それで三好さんに会いに行ったんです。三好さんは私が機械浴を壊したことも知っていて、これまでのこともいろいろ話して。今の施設でやっている取り組みも「ある程度形になったら、『オムツ外し学会』で話してみなよ」と言われ、それから1年くらいは改革をやったんです。その後フロアリーダーから副介護長になって、施設全体の改革を始めました。その様子を話し始めた頃から、講師としてのオファーがくるようにもなりました。
駒場苑で7つのゼロをめざす
ある時、三好さんの懇親会で駒場苑の職員さんと一緒になったんです。その時に「駒場苑でも改革をしたいが、全然出来ていない」っていう話を聞いて、今度は駒場苑で改革をしようと移ってきました。9年になりますが、今の駒場苑はおむつの人はいませんし、トイレに座るのが難しい方でも、綿パンツにパットなんです。通気性の問題もそうですが、本人の受け取り方も全然違うんですよね。「おむつになったら死んだ方がマシじゃ」というおばあちゃんに、介護をしていると結構出会うんですけれど、そういうところにもあえてこだわっています。
駒場苑で実施している7つのゼロ(おむつ、機械浴、誤嚥性肺炎、脱水、拘束、下剤、寝かせきり)は、実は、私が最初にアルバイトした施設で全部あったことなんですね。あそこまでひどい施設はもうなくなっているかも知れないけれど、それに近いことをやっている施設はまだまだある。そういう介護がまだ行われていることに、また腹が立って。セミナーの後やツイッターで、多くの介護職の方から相談を受けることがあるんです。だからやっぱり、駒場苑でそういう発信をして、「介護ってこういうものなんだよ」と広めていかないといけないなと思っているんです。プラスにしたいというよりは、マイナスをゼロにしたい。駒場苑でもそれを維持していきたいし、いろいろな施設さんにも分かってもらえて変わっていってもらえたら。今はそれが一番のやりがいです。
あたりまえの生活を取り戻す。
ヒノキのお風呂で、気持ちのよい入浴。
「人生、最期をどう過ごすのかで変わってきます。不快な思いなく、穏やかに生活をしてもらいたいという思いだけなんです」と坂野さん。
- 【久田恵の視点】
- 介護の現場は、そこで働く介護者の方たち、実力行使ももろともせずに戦った坂野さんのような方によって変わってきたのですね。その強い意志と志に打たれます。