介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第118回 恋人をきっかけに知った介護の世界
長生きがリスクになっていることを知り、介護の仕事を志した
横山正彦さん(25歳)
ケアリッツ・アンド・パートナーズ
ケアリッツ代々木
ヘルパー
(東京・渋谷区)
取材・文:毛利マスミ
「彼女のことをもっと知りたい」気持ちが、介護職への道を拓いた
訪問介護のヘルパーをしています。介護業界には、新卒で入りました。じつは明日、学生時代から付き合っている女性と籍を入れる予定なのですが、僕を介護職へと誘うきっかけになったのが彼女でした。
彼女は中学時代の同級生で、成人式で再会したのをきっかけに付き合うようになりました。彼女は、高卒で特養に勤めており、当時すでに社会人2年の先輩でした。これから社会に出ようとする僕と、すでに社会で経験を積んでいる彼女。そして、「もっと彼女のことを知りたい」という僕の気持ちが、これまで、縁もゆかりもなかった「介護」に目を向けさせました。
大学は商学部マーケティング学科で、僕は金融か会計関係の会社への就職を目指していました。簿記やファイナンシャルプランナーの資格も取得し、大学3年で公認会計士を取ることを目標に、勉強も入学当初からがんばっていました。そんな金融・会計一筋の僕に、介護の世界を語ってくれたのが彼女でした。
彼女との出会い以後、これまでの自分なら読み飛ばしていたはずの新聞やテレビ、雑誌で伝えられる様々な介護問題がやたらと目につくようになってきました。そこには、介護で追い込まれてしまう家族のことや、介護する家族も介護される本人も気持ちが落ち込むような現実ばかりが報じられていました。日本は世界でもトップクラスの長寿国です。長生きはめでたいものだと信じて生きてきましたが、だんだんと長生きすることがリスクに、年を取ることがネガティブに思えてきてしまったのです。
そんな僕がなぜ? と自分でも思うのですが、「介護をなんとかできないかな。いや、なんとかしたい」と思うようになっていたのです。「彼女のことを知りたい」という気持ちから始まった介護への関心ですが、「超高齢化社会を乗り切るには、介護は必要不可欠。専門職として価値ある仕事だ」と、僕自身もいつの間にか介護の道に進むことを決めていました。
生きることの意味を見出した、ゴミ屋敷での介護
介護職に就いてまだ3年目ですが、仕事は楽しく、日々やりがいを感じています。でも昨年、訪問介護の新規事業所の責任者を任されたときは大変でした。メンバーは、僕と先輩スタッフ2人の計3人です。地域に縁もゆかりもないので、当然仕事はゼロからのスタートです。
訪問介護の仕事は、ケアマネさんに利用者様を紹介してもらわないと始まりません。ですからケアマネさんのいる居宅介護支援事業所への営業が欠かせません。でも、見ず知らずの若造が「仕事ください」といっても、この人に本当に任せられるのか、信用できなくて当たり前です。何度も足を運んで関係性を築き、困難事例から少しずつ仕事を振っていただくようになりました。腕前拝見、といった感じだったのでしょう。テレビで観るような、いわゆるゴミ屋敷の仕事もたくさんいただきました。近隣住民から立ち退きを求められている方もいらっしゃいました。
そのなかで、僕が直接担当したのは3年ほど引きこもっておられるおじいさんでした。ドアの外にも異臭が漂うほどのお宅でしたが、ご自身は今の環境が大変なことだと感じておられませんでした。
こうした事例は最初がとても肝心で、悪い印象を与えてしまうとそれで終わりです。いきなり「捨てます」では、衝突するだけです。少しずつ家に入らせてもらうことから始めて、介護の手が届く環境づくりを目指しました。具体的には週2回の訪問で、掃除と食料品を届けること。それと、入浴介助です。
初めてお会いしたころは、肌は垢というか表皮剥離のすごい状態でした。入浴介助をしたら、僕の手も真っ赤にかぶれたくらいです。でも洗って、すっきりした感じを思い出してもらえたようで、気持ちよく過ごしたいという思いを持っていただけるようになりました。お風呂は当初、月1回でいい、とおっしゃっていたんですが、週1回ではどうでしょう? 嫌なら月1回でもいいですよという風に、相手の希望に寄り添いながら、暮らし方の提案をしていきました。
1年経ったら、見違えるほどふつうのおじいさんになりました。今でも外出は、ちょっと大変なのですが、持病の治療のために病院にも通おうという、前向きな気持ちも持っていただけるようになりました。ちょうど桜の季節に出かけたときには、「きれいだな」なんて話になって、そういう感情を残していてくれていたことが、本当にうれしかったですね。
介護の仕事は、排せつ介助や入浴介助だけをするのではありません。つまり、ゴミ屋敷に垢まみれで引きこもっている方に、外に出て、花が咲いているのを見て美しいと感じる心を思い起こさせたのが、入浴や清潔に暮らすことだったわけです。そのお手伝いを通して、生きることの意味を見出せたような気がして、すごくやりがいを感じました。
父も友人も親戚も介護の仕事にスカウトしてます
新規事業所の責任者という仕事は魅力的でしたが、経験不足を痛感することも多く、現在は、管理者を降りてヘルパーとして働いています。いまはまだ、自分の基盤づくりをする時期だと思ったからです。来年1月には介護福祉士の資格を取得し、将来的にはケアマネや社会福祉士の資格も取って、トータルに介護を考えられるように、仕事の幅を広げていきたいと考えています。
僕が彼女に介護の仕事に巻き込まれたように、今は僕が昔のバイト仲間や同級生、親戚に「介護職は楽しいよ。一緒にやろうよ」と誘っています。実際に介護職に就いた友人もいるし、じつは僕の父も退職後の第二の人生で、近々デイサービスでお手伝いを始める予定です。資格にも挑戦中なんですよ。父は僕に介護の世界に巻き込まれちゃったんです。
僕は介護に向かない人はいないと思っています。話下手でも寡黙な職人肌でも、合う人は必ずいます。利用者さんの好みも百人百様ですから。仕事を探している人がいたら、介護の仕事はどう? と、僕はすぐに声をかけてしまいますね。かつての僕のように、介護職にネガティブなイメージを持つ人も多いからこそ、そうではないよ、魅力的な仕事だよということをどんどん伝えていきたいのです。
- 【久田恵の視点】
- 誰にでも差し伸べられる手の必要な時があります。その手があれば、生き直せるのだということを、介護職は実感させてくれる仕事なのですね。なんと希望に満ちた仕事なのだろう、と思います。