介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第107回 認知症だって、ええじゃないか。ありのままのその人を受け入れる介護にたどり着くまで。
嶋川智也さん(34歳)
宅老所 いしいさん家(ち)
介護福祉士
(千葉・花見川区)
取材・文 藤山フジコ
インディーズでバンドデビュー
中学生のとき先輩がギターを弾いているのを見て「カッコイイ!」と憧れ軽音楽部に入部。そこから、どっぷりと音楽漬けの生活を送ってきました。大学卒業後、中学、高校の同級生と組んだパンクバンドでインディーズデビュー。
お台場にある観覧車を運営する会社でアルバイトをしながら、音楽で食べていくことを目指してライブハウスなどで精力的に活動していました。そんな生活が3年たった頃、アルバイト先から社員にならないかと話があり、バンド活動を諦め就職しました。音楽で生きていくことはできなかったけれど、音楽は一生好きでいようとそこで気持ちを切り替えました。
観覧車の仕事をしていると、よくヘルパーさんが車椅子のおばあちゃんや障害を持った子どもを連れてきてくれて、自分も力になれたらいいなと漠然と思っていました。ただ当時は福祉の知識がなかった為、どうしていいのか分かりませんでした。
介護の世界に入るきっかけは三好春樹さん
ある日、本屋さんで平積みになっている三好春樹(注:1)さんの本を偶然手にとったのです。読んでみたら内容の面白さに衝撃を受けて、そこから三好さんの出しているブリコラージュという雑誌を定期購読するようになりました。次は介護の仕事に就きたいと思っていたとき、「ただいま~それぞれの居場所~」というドキュメンタリー映画を観て、今、働いている「いしいさん家」の代表、石井英寿を知りました。映画には様々な事業所が紹介されていましたが、介護の仕事をやるからには、「いしいさん家」で働きたいという思いを強くしました。
ちょうど三好春樹さんと石井英寿の講演会があり、親睦会にも参加しました。これは、チャンス!と思い石井の隣に座り、勢いで「社員募集していますか」と聞くと、運良くひとり募集していたのです。観覧車の仕事を辞め、3ヶ月準備期間として、障害者のホームヘルパーのアルバイトを経て「いしいさん家」に就職しました。
ピック病を患った利用者さんとの出会い
介護の仕事を始めたばかりの頃は、おじいちゃん、おばあちゃんのお世話が楽しくてしかたありませんでした。BPSDのある利用者さんでも、僕が接すると穏やかになったりして、「ああ、俺はイケるな」と仕事に自信がもてたのです。ですがピック病を患った男性利用者さんの介護は、それまでとは全く違うものでした。
この病気はルールを守ったり、他人に配慮したりすることができなくなり、周りの状況にかかわらず、自分が思った通り行動してしまいます。こだわりが強くなり毎日決まった時間に決まったことをするといった症状が起こります。早朝からその利用者さんと2時間同じコースを歩くのですが、市役所の銅像の頭に毎回触れないと気が済まなかったり、赤信号でも渡ってしまったり、急にお腹が痛くなり道端で排便しようとしたので慌てて止めたらパニックになって大騒ぎになったり……。こんな症状の人もいるのだと勉強になったし、どんなことがあっても動じなくなりました。すごく鍛えられましたね。
「いしいさん家」では、このような、他の施設で断られた利用者さんも多いのです。病気がどんどん進行していき、どんなに大変な状態になっても生きていかなければいけない。医療ではどうすることもできず、やるせない気持ちになり落ち込んだこともあります。ピック病は最期、嚥下機能が衰えて衰弱していくのですが、年齢も若く身体は元気なので利用者さんの辛い状況が続きます。
こんなとき “生きていくってなんだろう”と答えのでない問いに考えすぎてしまうことも度々あります。今年で介護職に就いて6年になりますが、新人の頃は、ただただ楽しいだけでしたが、今は利用者さんにとってどの選択が幸せなのか、迷うことはずっと増えましたね。この仕事は、“生きる”という重いテーマと常に向き合っていくことなのだと思います。
認知症だって、ええじゃないか
認知症の人の行動は、僕ら介護職の常識をはるかに超えてきます。僕たちはその行動を「だめ」という言葉を使って、何とか常識の枠内に収めようと躍起になる。ぼけを抱えた人はなぜ「だめ」なのか分からない。行き詰ったその先に、ぼけを抱えたその人も僕も暗い顔になってしまう。そんなときは、「突拍子もない行動でも、ええじゃないか。あなたがそうしたいと思ったのだから、それでええじゃないか。何より、あなたがここにいてくれること。それだけでええじゃないか」と念じればスッと心が楽になります。
仕事を始める前、介護職は崇高な仕事だと思っていました。現実は綺麗事では割り切れないことばかり。最初から高い理念を持って、介護とはこうあるべきのような価値観を持ってしまうと、現実と理想のギャップに苦しんでしまいます。また、自分を認められたいがために介護をする、誉められたい気持ちが強い人も長続きしないですね。介護の仕事って、(賞賛は)返ってこないしマニュアル通りにもいかないことの方が多い。けれど、毎日一緒に過ごす中で、小さな奇跡……例えば、動けなった人がちょっと手を動かせたり、笑ってくれたり。そんな小さな奇跡が仕事のモチベーションに繋がります。
今年、ケアマネジャーの資格を取得したのですが、改めて介護の勉強をしたことで、違う視点で介護を見直す良いきっかけとなりました。
夢は、福祉と農業の組み合わせ
若い頃は何でもチャレンジしてみるといいと思います。経験は無駄にならない。観覧車の仕事をしていたとき、「アトラクションで働く意味は、お客さんを乗せたり降ろしたりという仕事だけでなく、事故が起きかけたとき、速やかに対応することこそ、本来の意味だ」と教わりました。介護の仕事も、同じだと思います。
結婚には全く興味がなかったのですが、この仕事に就いて、家族っていいなと思うようになり、縁があり結婚しました。奥さんが有機農家をやっているので、ゆくゆくは、「いしいさん家」の近くに畑を借りて、障害を持っている人たちと共に畑仕事ができたらいいなと思っています。夢は福祉と農業の組み合わせです。
地域の福祉のイベントで歌わせてもらうこともあります。さまざまな人が関わり地域で障害を持った人たちを支え合う横のつながりの大切さを実感しています。自分が得意とする音楽を介して、どんどん地域に貢献していきたいと思っています。
*注:1 介護・リハビリテーション(理学療法士)の専門家。生活とリハビリ研究所代表。「オムツ外し学会」や「チューブ外し学会」を立ちあげ日本全国で「生活リハビリ講座」を開催し、介護に当たる人たちに人間性を重視した老人介護のあり方を伝えている。
出演していたおばあちゃんと
右:いしいさん家代表 石井英寿さん 左:嶋川さん
- 【久田恵の視点】
- 介護の現場で、身体を通して得た介護観は本物ですね。