介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第106回 人生に無駄な経験は無し
観光に特化した観光介護タクシーを広めたい
伊藤浩一さん(55歳)
大型自動車第二種・ホームヘルパー・国内旅程管理者
(北海道・札幌市)
取材・文:進藤美恵子
「北の国から」に憧れて移住先で出会った仕事
今からもう30年以上も前になりますが、20歳の頃に流行っていたTVドラマ「北の国から」は、東京生まれの俺にとって、すごいところがあると、とにかく驚きでした。加えて、当時、バイクが趣味だったこともあり、ライダーの聖地だった北海道にあこがれがありました。何度も北海道にツーリングに出かけましたがそれでも物足りず、10年近く継いだ実家の酒屋から旅行会社に転職。北海道担当の添乗になり、年間十数回は行きましたが、それでも満足できません。
親や収入のことを考えて実行に移せなかったけど、もう後がないと30代半ばで会社に辞表を出し、親にも北海道に移住すると伝えて北海道に移住しました。まず、大好きな北海道を回るために、大型自動車第二種免許取得して大型観光バスの運転手になり、それから複数の観光バス会社で働きました。
その中で、全車リフト付のバスを運営する会社で働いた時のことです。このバス会社は、養護学校や老人ホームなどのリフトを必要とするお客さんを対象にしていました。いろいろな人を乗せたけど、特に少人数の家族やグループのときにやりがいを感じました。坂道があれば手伝ったり、案内をしたり。お互いの顔が見え会話も弾む、そんな関わる密度が濃い関係におもしろさを感じたんです。
原動力は「やってあげたい」「おもしろい」
あるとき会社から、「伊藤さん、あまりお客さんにサービスしないで」って言われ、意味が分からなくて「何で?」って聞いたら、「ほかの人がやりづらくなるから」と。お客さんにとっていいことをしても周りはいい顔をしない。これは介護ヘルパーもそうだと思うけど、一生懸命やると余計なことをするんじゃないと怒られてしまうことがあります。
人それぞれの考えや熱意があり、サービスの質もそれによって全く変わってきます。やってあげようという人がいる一方で、早く一日が終わればいいという人もいます。志なく仕事をしていると、当たり前ですが、おもしろくなくなってしまうんです。
旅行中にもしかしたら死ぬかもしれない…
重度障害の方を乗せることになったとき、上司に「もしかしたら、この方は旅行中に死ぬかもしれない」と言われました。けど、死ぬってそんなのおかしいでしょ。俺の仕事中に死なれたら困るよ、絶対にそんなことはさせないと思いました。
その方は40歳過ぎくらいの女性でした。生まれたときからずっと施設で暮らしていて、酸素ボンベが付いた特注のストレッチャーにずっと寝たきりで過ごされてきました。見た感じも低身長で発する言葉も「あー」「うー」という感じ。だけど「北の国から」が好きで、「富良野に一度行ってみたい」という思いで来られたそうです。
旅行当時は、高齢の親の代わりに施設の人が付き添いで来られました。はじめは表情もなく、笑いもなかったけれど、観光を楽しみ、最後に美瑛の丘で一緒に記念写真を撮って無事に帰られました。
旅行後、その方のお母さんから連絡があり、「あの子が笑うんですね。40数年間であんな顔は初めて見ました。ありがとうございました」と。その方は1年後に亡くなられました。このときの経験が起業につながりました。
観光専門の介護タクシーを起業
観光介護タクシーというのは、観光もやりますというんじゃなくて、観光を専門にする介護タクシーです。病院の送迎や身近な移動を専門とする介護タクシーはたくさんありますが、観光を専門とする観光介護タクシーは全国を捜しても未だないんじゃないかなと思います。
実はすんなり起業できたわけではなく、認可されるまでに時間がかかりました。保有する車両はマイクロバスですが、日本で一番大きい介護タクシーです。普通はハイエースや軽乗用車が使われるので、陸運局で登録する際に、全国で前例がないということで時間がかかったんです。
起業してよかったことは、たくさんあるけど一番は「自由にできる」こと。自分がやりたいようにサービスができることです。予約が入れば実際のコースを回り、トイレの場所や広さをリサーチします。ちょっとでも不安があると下見に出掛けます。大型観光バスで行くところは定番の場所ですが、個人旅行になると、希望の場所に行きますので、下見が必要になるのです。
お金儲けなら、1年目で廃業しています
起業して6年目になりましたが、1年目でこの先10年、20年やっても食べていくのは無理だと思い女房に、「辞めようと思う」と言ったことがあります。普通の介護タクシーなら、「明日、空いてますか」という感じで予約が入りますが、観光介護タクシーは、3か月も前から予約が入るので先が見えるんです。
介護福祉士の資格があり、同行することもある女房が、「お客さんたちがみんな涙を流して喜んでいるじゃない。ありがとう、ありがとうって。すごい費用がかかるのに2年連続で来る人もいるのよ。誰もやってないんだし、みんなあんなに喜んでいるんだから、頑張ろう。なんとかなるから」って。そう言ってくれた女房にはとても感謝しています。
女房とは、北海道で出会いました。女房にとって、介護の仕事は天職で、介護保険制度が始まる頃、それまで勤めていた百貨店での高級服販売の仕事から介護職に転職しています。施設で介護福祉士として働いていましたが、今は洋服を販売する仕事の傍ら、俺の観光介護タクシーを手伝ってくれています。
これまでの経験が一つ欠けても今はない
観光バス会社では大型バスで運転技術向上と安全運転に努め、最後に勤めた会社では、リフト付きの介護タクシーのおもしろさを知りました。旅行会社での添乗業務、実家の酒屋を継いだときも接客業でした。格好つけて言うなら、今の仕事はこれまでの経験を活かせる集大成。どれか一つ欠けても今の仕事はできないと思います。観光介護タクシーの仕事は、観光バスに10年乗ったからできるわけではないし、介護職を10年やったからできるわけではないんです。これまでの流れの中でこの仕事にたどり着いたのかなと思います。
この仕事の最大の魅力は、お客さんと接しているときにあります。大型観光バスにはない、一家族という少人数だからこそ得られる、濃い密度でお客さんと関われることが一番の醍醐味。空港での別れ際も社交辞令ではなく、心底から「ありがとう、ありがとう」「まさか北海道に来られて、こんなに楽しめるとは」という言葉をいただいています。
あたりまえに旅行を楽しめる日常をつくりたい
介護旅行やバリアフリー旅行は未だハッキリした定義はないけれど、誰がやっても採算の取れない仕事だと思うし、ましてや積雪や気候に左右される北海道では難しいです。誰かがやっているわけではないし、ライバル社があるわけでもなく、そういう意味では寂しいなと思います。
あるようでないのが観光介護タクシー。もっと世に広めたいし、北海道だけではなく全国どこでもサービスが受けられるように定着してほしいです。あきらめずに、当たり前に旅行を楽しめるような日常をつくりたいと思います。
観光介護タクシーふくろう
TEL:090-9752-3023(au)/090-6442-1133(ソフトバンク)
FAX&TEL:011-781-3330
※電話受付時間 8:00~22:00
- 【久田恵の視点】
- 仕事はそれぞれの人生そのものと言えます。自分の情熱と愛を注げる仕事に出会えた人は幸せです。しかも伊藤さんは、そういう仕事を懸命に追い求めて自ら獲得したのですから、素晴らしい。車の鮮やかなレモンイエローは、「幸せのタクシー色」。北海道の旅をしていて、この観光タクシーに出会えたら幸運が訪れそうですね。