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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第104回 大学卒業後に父と起業 
都心部ならではの地域貢献をしていきたい

一井 圭さん(39歳)
アイム介護福祉支援センター(東京・港区)
代表取締役
介護福祉士・ケアマネ

取材・文:石川未紀

ディズニーランドのアルバイトで

 ディズニーランドでアルバイトをしていた大学生の時です。「あ、ゲストを喜ばせるって楽しい仕事だな」と感じたんです。できたら、将来はそういうサービス業をやってみたいなと。

 僕は、小学校から大学までエスカレータ式の私立学校へ通っていました。高校では物理を勉強したいと思って理系に進んだのですが、大学に入る直前に経済経営学部に変更したんです。当時、父が会社を経営していて、いずれ自分が継ぐのだから、そちらの勉強をしておいたほうがいいだろうと。担任の先生からは少し反対されましたが、僕が会社を継ぐのだろうという意識もありましたので、葛藤はそれほどなかったと思います。

 ところが、大学二年の時に父の会社が倒産して、継ぐ必要がなくなりました。
 そして、ちょうどそのころディズニーランドでアルバイトをしていて、サービス業に興味を持ち始めていたので、自分でやるならどんな仕事がいいのか、真剣に考え始めていたんです。
 ディズニーランドは、障がい者や高齢者の方もたくさんいらっしゃいます。そうした方が笑顔で過ごされているのを見ていたのも大きかったと思いますが、その当時は、介護保険が始まるころで、高齢者の方たちの手助けをして生活を楽しませることができたらいいなと。できるなら自分で起業したいという気持ちもありました。自分の中では、大企業などの組織は向かないなと思っていましたし、どうしても企業だと利益重視で、自由がきかないから、自分の思ったことができないかなと感じていました。

父とやりたいことが一致。二人で起業

 そして、そのころ、父も何かあたらしいことを始めようとしていました。やはり介護保険のことがあって介護の世界には興味があり、これまでの仕事とはちがうジャンルの仕事をしたいという思いもあったようで…。目的や思いは少し違っていたんですが、僕がやりたいことと、父がやりたいことが一致して、共同経営という形でこの会社を立ち上げたんです。

 だから、僕はいわば新卒からのたたき上げです。会社自体は、訪問介護、居宅介護支援事業、福祉用具のレンタル・販売です。僕は、最初は福祉用具専門相談員からスタートしました。
 そのころは、ケアマネと一緒に福祉用具の相談のために出かけることが多かったのですが、そのときにあこがれのケアマネがいまして、僕にとってはまぶしい存在でした。ご利用者の方と楽しくお話しつつ、その方の困っているところをちゃんと把握してプランを立てたりするわけです。相手とのやりとりが見事で、僕も絶対にケアマネになろうと思いを新たにしました。

 その後、ヘルパー2級、介護福祉士、そして2010年にケアマネの資格をとりました。

 現場にも、立ち上げ当初から出かけています。僕の父方の祖父母は、僕が物心つくころには亡くなっていて、母方の祖父母は大阪にいたので、祖父母との交流もあまりなかったのですが、高齢者や介護に対しての抵抗感はなかったですね。
 事業所がある赤坂・青山は、東京の中でも都心部にあり、わりと大きな都営住宅が建ち、住人も結構いらして、訪問先も介護度もさまざまです。僕自身、排せつ介助も入浴介助もいやだと思ったことはありません。喜んでいただけることの方が僕にとっては楽しかったですね。

誇りを持てる介護職を育てたい

 今では、ケアマネを指導する職能団体などにも所属していて、法定研修ではファシリテーターをやったり、高校へ行って介護の仕事のおもしろさを話したりもしています。
 厚生労働省は、ケアマネジャーの仕事は永遠じゃないみたいな言い方をしたりしますが、それはちょっと悔しいというかなんというか。もっと質を向上させたり、勉強会を開いたりして、専門職としてもっと確立させたいという希望を持って、そういう活動もしています。

 ここは地域密着でやっています。何かあれば、すぐに駆けつけられる距離がいいと思っています。ケアマネだけで8名いて、ヘルパーも20人ほどが常勤です。そのほうが質も確保できます。それに、ご利用者の方がショートステイや入院などで空きが出ると、非常勤の方の収入を確保するために、ほかの方のところへ行ってもらったりしなくてはならない。これでは非常勤の方も大変だけど、ご利用者の方も、いつもと違う人が来ることになってあまりいいことがないんですよ。だから、できるだけ常勤で雇いたいと考えているんです。

介護離職を防ぐための相談事業を

 これからも、この青山・赤坂地区の地域福祉のお手伝いをしていきたいと思っているんですが、実はこの地区ならではのことを考えておりまして。
 ここはとても法人が多い地域なんですね。そして、今、介護離職が問題になっていますよね。働いている方のご両親に介護が必要になって、どうしたらいいのかわからないで困っている方も多いと思うんです。もちろん、住んでいる地域で相談されるのもいいんですが、それには会社を休まなければならない。会社にいる間に、昼休みや朝夕などのちょっとした時間に相談に乗ることができればなと。僕たちがその会社に出向いてもいいし、この事務所に訪ねてきてくれてもいい。介護離職をしないで介護する方法を一緒に考えて、いろんな情報をお伝えしていきたいんです。そんなことを、今、ひそかに考えているところです。


【久田恵の視点】
 ディズニーランドのアルバイトは、ゲストファーストの精神を徹底して叩き込まれることで有名です。そこが、介護福祉への道を志すきっかけになったことに納得がいきます。若い一井さんのような方たちが、これからの介護の世界を希望の現場へと変えていってくれると思うと心強いですね。