介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第87回 パッチワーク中原の挑戦!
中原美代子さん(59歳)
株式会社アーチメディカルサポート 代表取締役
介護付き有料老人ホーム「ハッピーシニアリビング上田」
指定通所介護・介護予防通所介護事業「おひさま」
指定訪問介護事業所「はっぴーヘルパーステーション」
指定居宅介護支援事業所「しあわせ」
指定通所介護事業所「ハッピーデイサービス」
(長野・上田)
取材・文:藤山フジコ
理学療法士ってすごい!
30歳を過ぎた頃、仕事中の怪我が原因で大きな手術をしました。半年入院し、1年間毎日リハビリに通う日々。やっと回復したと思った矢先、今度は交通事故に遭い、一生松葉杖が手放せなくなると言われ、また入院。3か月後、別の病院へ転院し、そこで出会った理学療法士との関わりが今の自分の原点になっています。
転院した頃は歩くことができませんでした。もう普通に歩くことは無理だとその病院でも宣告されたのですが、まだ若い理学療法士の彼は、自分の時間が空くと直ぐにリハビリ室に呼んでくれて、2時間、3時間と治療をしてくれました。帰り際も部屋まで来てくれ、「じゃ、30分でもやろうか」とリハビリに付き合ってくれたのです。そんな生活が2か月続いた頃、絶望感でいっぱいだった自分が「こんなに良くしてもらって、歩けないわけない!」と気持ちが変わり、朝6時から1人でリハビリをするようになり、歩けるまでになったのです。
ドクターから、普通に歩くことはもうできないと言われ諦めていた気持ちを、理学療法士の彼が突き動かしてくれた。この出会いが、機能訓練特化型デイサービス「おひさま」を立ち上げるきっかけとなりました。
東京から長野へ
長野県上田の出身です。親の敷いたレールを歩み、大事に守られて育ちました。大学に進学するため上京する際も親戚中が集まって会議をするほど。炊飯器や洗濯機もさわったこともない箱入り娘でした。
それが在学中主人と出会い学生結婚。当時はお風呂もないアパート暮らし。かぐや姫が歌う“神田川”の世界そのものでしたね。大学を卒業して働き出すと、すぐに1人目の子どもが生まれ、その後、年子で2人目が生まれると目の回る忙しさ。仕事をしながら家事育児もこなし、そこらへんから肝が据わるというか、逞しくなっていったのだと思います。
3人目の里帰り出産で長野へ帰省しているとき、主人から「会社を辞めたので、そっちに引っ越すから」と突然電話があり、27歳のとき、10年過ごした東京を離れ、家族全員で上田へ戻りました。
パッチワーク中原
じっとしていられない性分で、3人の子どもを育てながら営業の仕事で飛び回っていました。そのとき、先ほどお話した仕事中の事故で入院し、次に交通事故、そして癌になり、30歳過ぎから40歳半ばまで入退院を繰り返していました。
癌の手術をし、3年近く入院生活を送りました。あまりの痛みに病院の7階から飛び降りる!と騒ぐほどでした。この経験で“痛い”ってどういうことなのか、身を持って知りました。もう自分の先は長くないと悟り、主人に「子ども達をお願いね」と話していた矢先、なんと急性心筋梗塞で主人が急逝してしまったのです。悲しみに暮れ、毎日泣いて過ごしていたその頃、今度はベッドから落ち、首の手術。上半身は、合わせて12か所切り刻まれ、友人曰く「パッチワークの中原」だと。
もう、これ以上入院するのは嫌だと、強い薬でコントロールしながら、営業の仕事に復帰しました。大黒柱を失い、働かねばならなかったのです。
機能訓練を提供する、リハビリ特化型のデイサービスを設立
自分のクライアントに医療保険を使った訪問マッサージの仕事をされてる方がいて、中原さんも代理店になったらどうかとお話をいただき、副業で訪問マッサージの代理店の営業も始めました。本業が休みのとき居宅介護事業所や介護施設をまわり、必要に応じて国家資格のあるあん摩マッサージ指圧師を派遣します。2足のわらじで1年ほど働いていたら、今度は転んで肋骨にヒビが入り、動けない状況に。結局、体力的に2足のわらじは無理なので、副業を本業にシフトして、本格的に訪問マッサージの代理店に力を注いでいきました。
最初は1人きりからの出発。そこから娘婿や従業員などが増えていき、あん摩マッサージ指圧師の先生も直雇用できるまでになりました。目の不自由なあん摩マッサージ指圧師の先生を毎日車で送迎し、一緒にさまざまな環境の高齢者のお宅に伺いました。そこで現状の不満などをお聞きするうちに、あの辛かった自分の闘病生活と重なり、理学療法士や作業療法士がオルジナルな機能訓練を提供するリハビリ特化型のデイサービスを作ろうと思ったのです。その後、介護付き有料老人ホーム「ハッピーシニアリビング上田」、指定訪問介護事業所「はっぴーヘルパーステーション」、指定居宅介護支援事業所「しあわせ」、指定通所介護事業所「ハッピーデイサービス」と事業を拡大してきました。
人間の死に時
リハビリ特化型のデイサービスでは1対1で利用者さんの状態に合わせ個別の機能訓練と運動を行っています。その方の在宅生活や社会生活での自立支援を最大の目標としているからです。ただ、私は人間には“死に時”があると考えています。どんなにリハビリをしても老化は避けられません。自立した生活が無理になり食事を摂ることができなくなったときには過剰な医療や延命措置を受けることなく、穏やかに人生を終えてほしいと願っています。もちろんご本人の意志やご家族の気持ちを尊重しますが、パッチワーク中原と言われた私だからこそ、その方らしい自然な姿でご家族にお返ししたいと思っているのです。
会社を創立して8年たちました。これまで、いろいろな方に支えられ、がむしゃらに走り続けてきました。私が笑っていなければ職員も笑うことはできない。職員が笑えば、利用者さんも笑う、利用者さんが笑うと私も笑う……。そうやって笑いが輪のように還元されていくのだと気づきました。
人生に無駄なことはない
これからは医療機関と連携し、複数の診療科が1カ所に集積した医療モールをつくれたらと思っています。中心静脈栄養や鼻チューブによる経管栄養などの無理な延命をしなくて済む“自然な看取り”を、介護医療として取り組みたい。
10年前、自分がこうしているなんで想像もできませんでした。だんだん老いてきて、身体が思うように動かなかったり、病気の辛さ、やるせない気持ちは自分の経験を通して痛いほどわかります。利用者さんの心身の痛みに寄り添いつつ無理のない自然な介護を目指したいと思います。
人生、本当に無駄なことって、ひとつもないのだなと、しみじみ感じます。これからも、まだまだ現役で頑張っていこうと思っています。
アーチメディカルサポートでは、介護スタッフを募集しています。
お問い合わせはinfo@archms.comまでご連絡下さい
個別機能訓練デイサービス おひさま
- 【久田恵の視点】
- 自分に振りかかった過酷な体験を、次々と生きる力に変えてきた中原さんの人生ドラマに圧倒されます。身体に刻むようにした得た介護を考える視点、そしてその実践力とスキルは、本物ですね。介護の世界を見ていると、「すごい人」としか言いようのない方に出会ってしまいます。