介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第83回 新しいことに挑戦できる場所がここにある
鈴木 賢仁さん(31歳)
株式会社 ケンブリッジ
施設事業課長
デイサービスセンターえみふる管理者
取材:石川未紀
介護にはやりがいのある業務がいっぱいある
僕は、小さいころに父親を亡くしまして、父の亡きあとは、母の実家がある新潟の出雲崎町で暮らしていました。地元の工業高校を卒業後は、自動車の整備士になりたくて、専門学校に行って…と思っていたのですが、当時、特別養護老人ホームで働いていた母から、「人がたらないんだって。受けるだけでも受けてみたら」と勧められて、高校卒業と同時に採用試験を経て特養で働くことになったんです。そんな経緯だったので、採用当初は、介護の知識も全くないし、あまりやる気もなく、バイトみたいな意識がありました。
4月からの採用でしたが、同期十数人と3月に研修を受け、4月から現場に出ました。
食事介助、排せつ介助、移乗介助…。特養なので、重度の方が多く大変でしたね。特に「排せつ介助」にはすごく抵抗があって、しばらく、いやでいやで仕方なかったんです。2か月くらいしたとき、もう辞めようかなとまで思いました。それで、ある日、先輩に「排せつ介助、いやじゃないですか?」と聞いてみたんです。するとその先輩は「いやな時もあるけど、僕たちは仕事でやっていて、それでお金をもらっているんだ。楽な仕事なんてどこにもないだろう。そこは割り切っているよ。介護には他にやりがいがある業務がいっぱいある。排せつ介助がいやなだけで、介護の仕事を辞めるのはもったいないんじゃないか」と言われたんです。なんかその言葉がすとんと自分の中に入ってきて、「そうだな。仕事なんだ。それに介護には確かにいっぱいやりがいのある仕事がある。それを捨てるほどのことかな」と思えるようになってきたんです。職場環境がよかったというのもありました。特にその年は同期が多くて、ふつうの会社の新入社員みたいに、横のつながりもあったから、お互いが悩みを言い合ったり、気の合う仲間と休みを合わせて遊びに行ったりして気持ちを切り替えることができました。その後、副主任となりました。
「この人たちに介護してもらえてよかったな」と思われるように
特養では、亡くなる方ももちろんいらっしゃる。僕が最初に看取ったのは、僕の個別担当した方だったんです。担当の方はやはり親しくなるし、思い入れがあるので、ショックでしたし、つらかったですね。でも、家族の方から「うちのばぁちゃんが孫のように思っていたあなたに、最期、看取ってもらえてよかった」と言っていただいたんです。なんだかすごく救われたというか、そうか、介護というのはこういう仕事でもあるんだなと感じた瞬間でした。人は絶対死にます。それは逃れられないことですよね。でも、だからこそ、後悔のないように介護して、最期に「ああ、この人たちに介護してもらってよかったな」と思ってもらえるように頑張ろう、と思いました。それ以来、自己満足かもしれませんが、日々の介護に悔いのないよう接していこうと努力して働いていました。
特養時代の経験が、若かった自分を支えてくれた
ケンブリッジに移ったのは、新しく施設を立ち上げるから、一緒にやらないか?と先輩に誘われたから。2011年10月に開設前の準備室に入り、翌年4月に介護付有料老人ホームえみふるがオープン、介護リーダーとして働き始めました。当時25歳でしたからね。年上の方や僕より経験年数が多い方もいて、やりづらい部分もありました。でも、介護に対する知識や技術、思いでは負けないという自負も一方でありました。キャリアの最初に、特養を経験しておいてよかったと心から思いましたね。とにかく特養はありとあらゆる介護がつまっています。たとえば通所介護だと、何年経験を積んでも、利用者の方の状態によってはまったくおむつ交換をする場面がなかったり、食事介助も必要とされないということもあるんです。その代わり、通所介護には違う部分での知識や技術が求められるので、違う難しさもあるんですけどね。でも、特養は、一通りの介護すべてを経験できる。もしかしたら、働き始めの頃こそ意識は高くなかったかもしれないけれど、逆に言えば、先入観や強い思い入れがなかった分、現実を直視して、きちんと仕事としてこなしてこられたかなとも感じています。もちろん、年上の方や経験を積まれた方には尊重するところはきちんとしました。でも、自分の思いは伝えなくてはいけないことはありますよね。そんなときは、特養での経験が自信となり、大きな支えになりました。
この地域で何ができるか。それを日々妄想しているんです(笑)
今はデイの管理者です。リハビリに力を入れているので、遠方からもよくなりたい、これまでの生活を取り戻したいという強い気持ちを持っていらっしゃる方も多く通われています。年齢も若い方が多い。「機能訓練」として行う時間だけがリハビリではありません。デイにいらっしゃる間は、あらゆる時間がリハビリとなるように、何でもこちらがやるのではなく、お声掛けしながら、一人でできないことを手助けする感じですね。ここでは、身体介護というよりも精神的なケアも大事だなと思うので、接遇には気を付けています。
ここは商店街の真ん中にあって、アクセスしやすい場所なので、恩返しの意味も込めて、地域の皆さんに介護技術を一緒に学べるようなイベントを開きたいなと思っています。教えるのは結構得意なんですよ。家族で介護されている方に、ほんの少しアドバイスするだけでも、体の負担を軽くできるし、腰を痛めない方法も教えて差し上げられますから。同時に、介護の悩み、家族の悩みなんかを気軽に話していただいて、憩いの場みたいになったら、理想ですね。また、高齢者福祉に限らず、児童福祉や障がい福祉にも興味があるので、この地域で何が出来るのか、何が求められているのか、日々、色んなことを妄想しています(笑)。
「気負わず、でも挑戦し続けたい」
- 【久田恵の視点】
- 介護現場を体験するなら、まず「特養ホーム」で働くといいよ、そこに介護の基本的な仕事のすべてがあるからと、よく言われますね。誰でもどんな仕事でも現場に直面し実際に汗をかき、格闘して、「身体で学んだこと」こそが本当の知識となるのですね。そのことを熟知している鈴木さんのような方が介護現場のリーダとして活躍する時代が来たことに、未来への希望を感じます。