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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第70回 “介護の仕事に巻き込まれた”のに、気づけば自分の就きたい仕事になっていった……

奥澤 聡さん(46歳)
社会福祉法人 すこやか福祉会
ファミリーケアみたて 芝営業所(東京・港区)
ブロック長 サービス提供責任者

取材・文:石川未紀

ある利用者の方の最期に立ち会って

 介護老人保健施設(老健)から、訪問入浴や訪問介護の部門に移ってしばらくしたころでした。事業所は下町風情が残る足立区にありました。在宅での看取りに力を入れていて、医療や看護との連携も充実していたので、当然、看取りのケースも多くありました。誰かが亡くなるたびに、仲間のヘルパーさんから、「あんたもあいさつに行こう」って誘われるんだけど、とても抵抗があったんです。いろんな理屈をつけては一年くらい誰のところにも行きませんでした。

 あるとき、担当した方が亡くなったんです。温かい家庭の方でね。なかば強制的に仲間のヘルパーさんに、そのおうちに連れて行かれたんです。そしたら、そこの奥さんが「お父さん、ヘルパーさんが来てくれたよ~」って明るく挨拶してくれて……。見るとすごいいい顔していたんですよね。遺影の写真も飾ってあって、こっちは元気だったころのその人の写真。どっちもすごくいい顔だった。

「ああ、死に様って生き様が現れるんだ」って、鳥肌立つくらい感動しちゃって。いや、感動というのもどうかと思うんだけど、ああやって、自宅で逝くのはいいなあと。そして、それを支える仕事っていいなあと。この経験で、一人ひとりの高齢者の方がどういう生き方をしてきたのか、どういう経験をしてきたのかという「生き方」に興味を持つようになりました。

向いてないと思うことにあえて挑戦するのも面白いかと……

 僕は小さいころからお調子者。高校時代もバイトに明け暮れて、それを当時流行っていたDCブランドにつぎ込んじゃうような若者でした。あのころは誰でも大学に入れるわけじゃなかったから、こんなプラプラしていて大学に受かるはずもなく……。浪人していたんだけれど、絶対に受かってやるとかという気概もなく、先輩に誘われた飲食関係の仕事に就いたんです。

 しばらくは楽しくやっていましたが、人間関係に疲れてしまい、30歳を前に辞めたんです。ちょうど介護保険制度が始まるころで、友人から「これからは介護の時代だ。だから一緒に資格をとりに行こう」と誘われたんです。〝えー? 僕が介護? 性に合わないな〟と思っていましたが、無職だったし、絶対合わないと思うことを、あえてやってみるのもおもしろいかなって、ヘルパー2級をとったんです。2001年のことです。

 特別養護老人ホーム(特養)の募集があったので、受けたら採用になったんだけど、配属されたのは老健。ポリシーも何もなかったので「まあ、どっちでもいいや」と……。

 やり始めてすぐに向いてないなあと感じました。一か月もたたないうちから、すぐに辞めようと思っていました。でも、たまたま年下の同期の仲間がみんないいやつで、年上の僕がみんなに相談したりしてね、そんな僕を気持ちよく受け入れてくれたんですよね。一緒に飲みに行ったりもしました。先輩もいい人が多くて、あれよあれよという間に夏が過ぎました。そのころから、あれ、やっていけそうかなと。

在宅の時のふわっとした笑顔がいいなと

 一年くらい働いたら、今度は訪問入浴と訪問介護をやっている部門に異動になったんです。最初は人様の家にあがるということに、ものすごい違和感がありました。でも、老健を利用されていた方が、自宅にもどられて入浴を利用されている時なんて、老健の時とは違う、ふわっとしたいい笑顔を見せてくれるんですよ。家にいる時の表情が施設にいた時とは全く違っていて、すごく感動したことを覚えています。

「ああ、在宅っていいな」と感じましたね。施設の時は、言い方はよくないかもしれないけど、流れ作業みたいに時間でどんどん回していかなくてはいけないけど、訪問はそれよりも時間がゆっくり流れていて、利用される方のペースでできる。それに、訪問入浴って大変なイメージしかないかもしれませんが、看護師、ヘルパー二人と回るんですけれど、移動中に世間話をしたりして、結構楽しかったんですよ。

 在宅の介護や看取りでの経験は、僕にとって発見が多かったですね。だから、自宅で逝きたいという人は最期まで支えたいなと思っています。

 6年前に港区に転勤になって、がらっと雰囲気が変わりました。大病院や有料老人ホームに入る人も多いけど、そんななかで、自宅で最期を迎えたいという人もいるんです。そういう人たちを、最期まで自宅で過ごせるようにしてあげたいなって思いますね。

介護の仕事に巻き込まれたんだけど、これが就くべきして就いた仕事なのかも

 何で僕みたいな性格の人が、こんなに長く介護の仕事を続けられているのか――。それは「介護の魅力にとりつかれた」なんて爽やかなモンでは無くて、元々やりたくて始めた仕事ではないので「介護の仕事に巻き込まれた」んだと思っています。でも、気づくと自分の仕事として機能していて、今、思うと就くべくして就いたんだなと。

 社会人対象のある調査で、「自分のやりたい仕事に就いているか」という質問に対して、3割位の人しか自分のやりたい仕事に就いてないそうです。

 そういう意味では、きっかけはどうであれ、やっていくうちに巻き込まれて自分の就きたい仕事になっていったんだと最近つくづく実感するようになりました。

 だから、介護の仕事と、これまでもそうしてきたように、これからも自然体で向き合っていきたいと思っています。

現場の仕事が好きなんです

【久田恵の視点】
 そうなんですね。奥澤さんは、介護の仕事に巻き込まれたのですね。なんと味のある言葉でしょう。人生は、仕事でも、結婚でも、子育てでも、自分では思いもしなかったことに巻き込まれて、あれよあれよというまに展開していく。そして、ある時、思うのではないでしょうか。これは、奇跡のような、まるで、図られたような出会いだった、と。