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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第67回 ジャズピアニストから介護の世界へ 
この業界を知らなかったからこそ、いろんな発想ができました

水口かずみさん(57歳)
(株)ケンブリッジ
有料老人ホームえみふる・デイサービスセンターえみふる
(新潟・柏崎市)
取締役施設長

取材・文:石川未紀 

「こだわらない」性格が介護にはプラスに

 元来、こだわりがない、執着しない、だから腹も立たないという自分自身の性格。この介護という世界ではとてもプラスに働いているなと――。

どこで暮らしてもなじめる自信があるんです

 小さいころから、住まいを転々としてきました。幼少時は、養父母のもとで静岡で。養父が亡くなると実父母がいる群馬へ。進学で東京に出るも、バイトで始めたジャズピアニストとしての活動のほうが忙しくなって、大学を中退。東京で活動中に新潟で音楽活動をしていた実兄に誘われて、新潟へ。その後も、仙台、群馬、アメリカと…。
 わりとどこででも生きていけるタイプなんです。

 帰国後、群馬でふらふらしていたら、特養で働いていた高校時代の後輩に「とにかく人が足らないから、とりあえず受けてみてくれ」と言われて、行ったら即採用。バイトのつもりが正社員で…。でも、「それならそれでもいいか。まあ、やってみようか」みたいな気分でした。資格もないし、知らないことだらけ。でも、介護の世界がわからないから、却って何でも受け入れることができましたね。余暇活動で、ピアノを弾いたりして楽しかったんですよ。

この仕事は自分自身を“ケアマネジメント”できないとだめだなって

 執着しないこの性格がよかったんじゃないかと思ったのは、平成大合併で混乱していたころ、群馬・沼田市の社会福祉協議会でケアマネとして働いていた時ですね。ケアマネは当時二人体制でしたが、あの辺りは山間の集落が多く、困難事例が多くありました。しかも、限界集落に近いところもあり、ケアマネに対する依存度も高かった。このままでは、共倒れになってしまう、という危機感を持ちましたね。この仕事はやり始めたらきりがない仕事。どこかで節度を持って割り切って仕事をしなければ、自分自身がバーンアウトしてしまう。思い入れが強すぎて、辞めていった仲間を何人も見てきましたが、この地域を目の当たりにして、「しっかり仕事はしても、全部を引き受けるのではなく、たくさんの引受先を確保することのほうが大事。自分自身のケアマネもしなくちゃダメなんだ」と感じました。

 集落からも離れた独り暮らしのおばあさんをどうするかというときも、介護の世界の常識とかこだわりがない分、クリニックや訪問看護ステーションはもちろんですが、派出所とか、消防団まで声をかけて、巻き込んで、一日一回は訪問できる体制を整えました。

音楽で広がった介護の世界の人脈

 プライベートなことですが、群馬にいたころに離婚して、それでまた新潟に移ってきたんです。新潟の三条市に川瀬神経内科クリニックという認知症の研究で有名な先生がおられるところでリハビリデイのケアマネになりました。院長が音楽好きで、僕がジャズをやっているというと、「学会に花を添えてくれよ」と言われて、そこで演奏させてもらいました。人脈もひろがりましたし、臨床の場面でも認知症や脳梗塞などの後遺症についての知識を得ることができたのは大きかったですね。

 仕事は順調だったのですが、ジャズ仲間で、新潟・柏崎市で薬局を営んでいる薬剤師の真理子さんに、「知人が柏崎で有料老人ホームを作るので人を探しているんだけど、一度、責任者と会ってみない?」と誘われまして、今は、この柏崎の有料老人ホームで施設長として働いています。

介護の世界にとらわれない自由な発想でやっていきたい

 僕はちょっと変わっていると言われているんですけれど、障がい者雇用にも積極的なんです。毎日フルタイムで働けなくてもいいし、集中できる時間、できることをやってもらえばそれでいいかなと。そこらへんはファジーでいいと思っているんです。特別支援学校の職場体験や研修も積極的に受け入れています。入居されている高齢者の方も面倒を看られている、介護されているという立場だけというのはつらいんですね。障がいのある子どもたちを見守ることで自分も、面倒をみているという意識を持ってもらうことも大切なことなんです。

 それは障がいのあるないだけでなく、たとえば、スタッフ同士で子どもの話をしていたら、「おしゃべり」だけれど、入居者の方を巻き込んで話していたら、それも立派な仕事と言っています。「子どものことで心配事があるんです」と言えば、高齢者の方は、人生経験が豊富ですし、そこで何かアドバイスすることで、自分は必要とされていると思える。そこの部分はとても大事かなと思っています。

 これから、やりたいなと思っていることがいくつかあって、一つは接遇に関する冊子のような本を作りたい。一流ホテルマンが持っているようなポケットに入れて持ち歩けるようなマニュアルの本です。たとえば、「わかりました」という一言でもイントネーションや表情で全然違う印象ですよね。初対面の利用者の方に「わかったよ」と言ったらとても失礼だけれど、親しくなった方に「承知しました」では慇懃無礼な印象になってしまう。いろんなパターンを見せながら、これをスタンダードにそれぞれが考えて対応していってもらいたいと思っています。もう一つは、障がい者親子採用。障がい児のお母さんも子どものことで就職が難しい。だったら、いっそのこと、親子で採用してしまおうと。別フロアでそれぞれ働いてもらって、終わったら子どもを迎えに来てもらう。車で送迎する必要もないし、お互い程よい距離にいるから、安心でしょう。

 僕はこだわりがないって言ったけど、あんまり前例とか常識とかにこだわらないっていうのかな。おもしろいなと思うことを、提案するんです。そのほうが、働いていても楽しいでしょう。この施設の名前は「えみふる」。とにかく、職員も利用者の方も一日一回は笑ってもらうような雰囲気がないとね。

 地域の音楽イベント「音市場」では、ここも会場になりました。地域の方々が来てくださるので、交流もできます。僕自身も、地域のイベントで演奏できるのを楽しみにしているんですよ。

イベントでピアノを弾く水口さん(左)

【久田恵の視点】
 スタッフ同士で子どもの話をしていたら、ただの「おしゃべり」。けれど、入居者の方を巻き込んで話していたら、「介護の仕事」と、水口さんは言います。仕事の中で、人生豊富な高齢者に敬意を持ち、アドバイスに耳を傾ける気持ちを自然に持てるかどうか、それは、介護士の資質を示す重要なキーワードですね。