介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第66回 大手介護施設長から医療・介護ライフコンサルタントとして独立。
「介護とお金」の正しい知識を広め、介護心中をなくしたい
木村 誠さん(33歳)
医療・介護専門ライフコンサルタント
介護福祉士・介護支援専門員・ファイナンシャルプランニング技能士
全国ケア実践者ネットワークLinkチーム天晴れ代表
(東京・練馬)
取材・文:藤山フジコ
祖母の認知症がきっかけで介護の道へ
介護施設で10年勤務した経験を生かし、今年、医療・介護専門ライフコンサルタントとして独立しました。医療・介護専門ライフコンサルタントとは、医療・介護にに特化した個人を対象とする資産運用・形成などの総合的なプランを設計、提案するファイナンシャルプランニングの専門家のことです。
大学は法学部の政治経済学科でした。親が教員だったこともあり、教職が取れる大学に進みました。大学2年のとき、教職課程の一環として特別養護老人ホームで介護の体験をしたとき、ささいなことでも「ありがとう」と言ってもらえたことが嬉しかったですね。その頃、祖母がアルツハイマー型の認知症を患っていて、認知症特有の被害妄想に家族中が振り回され、もっと認知症について知りたいと思うようになったのです。そこで冬休みにヘルパー2級(現在・介護職員初任者研修)を取得するため特別養護老人ホームへ実習に行きました。担当のベテラン職員から「今日のメニューよ」と献立表を渡され、見終わって無意識にテーブルに置いたら「こんな所に置かないでちょうだい!この人が食べちゃうでしょ!」と車椅子に座っているおばあさんを指さしながら怒鳴ったんです。確かに認知症の人は紙を食べることもあると聞いたし……。だけどそんな大きな声で怒鳴っておばあさんに聞こえてもいいのかな……。認知症だから分からないのかな……。僕はすごく混乱しました。その職員がいなくなったら、おばあさんがボソッと「食べるわけないじゃない」と普通に言ったのです。認知症の方だってちゃんと理解しているんだ。そのことを担当の職員は分かっているのだろうかと憤りを感じました。それから色々な施設を調べてみると、このような対応が決して特別なことではないと分かったんです。こんな現実があるなら変えていきたいと新卒で大手有料老人ホームに介護職員として入社しました。
今はもの凄いピンチだから、これは凄いチャンスなんだ
2年半後、会社が新しく作る有料老人ホームに移動になり、副主任として立ち上げから参加しました。新しいホームなので理想的な介護施設を作るんだという意気込みばかりが先走り、そのしわ寄せが全部職員にいき、離職率が30%にもなりました。一生懸命やる人ほど疲弊して辞めていく状況で、何度も上司に訴えたのですがなかなか聞きいれてもらえませんでした。半年で10人以上が辞めていきホームも崩壊寸前。そんな中、施設長も急に辞めることになり、僕が後任の施設長に抜擢されることになったのです。次の施設長として逃げるのか立ち向かうか、本気で悩みました。僕は野球選手のイチローのファンなんですが、彼の本に「ピンチとチャンスは日本語に直すと両方とも機会になる」と書いてあったんです。「今はもの凄いピンチだから、これは凄いチャンスなんだ。よし、やろう!」と腹を括りました。
2014年当時の施設は、職員120人、130床もある大規模施設で、30歳になったばかりの僕は、連日職員と膝を突き合わせて話し合い、出てきた問題点を、一つひとつ皆と解決していきました。そして施設長として明確な評価の基準を3つ決めたんです。① 明るく元気よく挨拶する。② 無断の遅刻、欠勤をしない。③ 前向きな言葉を意識的に使う。これだけです。この3つを守ってくれたら、評価すると。リーダーも全員、若くやる気のある職員を抜擢しました。僕の熱意は職員に伝染していき、30パーセントだった離職率が7パーセントにまで下がりました。
これからは地域全体で認知症に取り組まなくてはならない時代になる
施設大改造のさ中、認知症の知識を広めるキャラバンメイト(認知症サポーター養成講座の講師)の資格を取り、外部の人に向けて認知症サポーター養成講座の講師としての活動も始めました。認知症サポーターとは、認知症を理解し、認知症の人や家族を見守る人のことです。60~90分ほどの講座を受ければ誰でも認知症サポーターになれて、講座の終了後にサポーターの証としてオレンジ色のリストバンドが渡されます。厚生労働省が2005年度から事業を始め、2016年現在、全国に804万人のサポーターが誕生しています。
2025年問題と言われていますが、その頃は認知症の人が爆発的に増えるのに介護職員は圧倒的に足りない状況です。これからは地域全体で認知症に取り組まなくてはならない時代になってきていると切実に感じます。
「介護とお金」の正しい知識を広めたい
認知症サポーター養成講座で市民の方とお話すると「介護とお金」に関する相談が多くよせられます。介護保険制度の仕組みが分からず、うまく利用できていなかったり、業者に言われるがまま多額なお金を支払わされていたり……。無知が苦しい状況をまねいていると痛感します。そのような状況を見るにつけ、介護に直面する前から「介護とお金」について正しい知識を身につけておくことが大切だと思いました。
僕はこの頃からNPO法人Link・マネジメントの研修などに積極的に参加して介護業界のネットワークを広げてきました。現在は全国ケア実践者ネットワーク「チーム天晴れ」の代表もしています。自分が培ってきたネットワークを繋いで、行政とは別のアプローチで介護やお金の問題を抱えた人達を助けることができればとの思いで医療・介護専門ライフコンサルタントを始めました。
2006年、京都で認知症の母親の介護で生活苦に陥った息子が、母親を同意のもと殺害し、自分も自殺を図ったが生き残ったという悲しい事件がありました。自分の大切な人を手にかけてしまった息子さんの気持ちを思うとやりきれないし、切ない。行政以外の繋がりや知識が息子さん本人や周りの人たちにもっとあれば助かったのではないかと胸が痛み「介護とお金」の正しい知識を広めることで介護心中をなくしたいと強く思いました。
介護職に就いたことがステータスになる時代
今後、介護職に就いたことがステータスになる時代がくると思うんです。国際社会だから英語を学ぶのと同じで、これからの高齢化社会では介護は全ての仕事に繋がるはずです。例えば建築関係や飲食関係といった異業種でも介護の仕事に携わっていたことが必ず役に立つ気がします。学生さんでも介護のアルバイトを経験しておけば、その後どのような仕事に就いても経験をいかすことができるはずです。
まずは僕が仕事で成果を出し、後輩たちの手本になりたい。そして、自分と同じ志を持った人たちを増やし、ネットワークを繋げ、医療介護専門ライフコンサルタントとして新しい道を切り開いていきたいと思っています。
※木村さんへのお問い合わせや講演依頼は、ja.zoo1004@gmail.comで受け付けています。
- 【久田恵の視点】
- 日本はすでに「超高齢社会」。現在4人に1人が高齢者、20年後には3人に1人が高齢者になるといわれています。全ての仕事が、介護の仕事につながってしまう社会。20代、30代の若い世代が、中枢を担うことになるというのは、そう言う社会です。木村さんの視点は、的を得ています。介護の仕事に就き、介護について学び、考える、ことは、若い世代が、未来を見据えて自分の人生を切り開いていくためには欠かせないことですね。