介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第64回 秘書代行から親の看病を経てヘルパーに
人が好きな私にとって天職です
盡田 康恵さん(57歳)
ファミリアーレ四葉 グループホーム
(東京・板橋区)
取材・文:進藤美恵子
病弱だった母
子どもの頃の夢は、幼稚園の先生になることでした。東京の目白通り沿いでガソリンスタンドを経営する父と母、私が4~5歳の頃に2歳半で亡くなった妹、7歳年下の弟の5人家族。当時は空気が悪く、喘息に苦しむ母を間近で見ながら、流し台の下に置いた台の上に乗って食器洗いをしているようなおチビちゃんでした。
一家は、空気のきれいな場所を求めて清瀬市へ。その後、練馬区へと戻りました。中学生の頃に、病弱な母を見ていた父は、ガソリンスタンド店から健康産業に転職。なかでも寝具が体に与える影響が大きいということで、寝具を考えるようになって。人間の根底は、骨、背骨ですから、背骨への影響によいものをと健康産業に入っていったようです。
近所の人と、子どもを一緒に育てていました
父の会社の社員の弟さんとほとんど見合い結婚のような形で結婚しました。主人の転勤で行った大阪での子育てが始まりました。子育てをしながら、子どもたちを集めてグループを作り、近所の方と共に子どもを育てるような環境づくりをしました。そこには指の欠損の子や、さまざまな子どもたちが集まってきました。
そうしているうちに主人が転勤になって、八王子(東京)の社宅に移りました。そこでも社宅の人たちと、子どもを一緒に育てているような意識でした。3人の息子たちと、どれがうちの子かわからないような状態で、子どもたちをお風呂に入れたり、ご飯食べさせたり・・・、とにかく人が好きなんです。
子育てが一段落してから、ファストフード店やダスキン、主人と同じ補聴器の店で働いたりしていました。補聴器は高齢者ですよね。人が好きだから、子どもから高齢者まで年齢を問わず、関わってきましたね。
存分に父の介護ができなかった悔しさ
秘書代行の仕事をしていた頃に父が病に倒れ、親戚の叔母たちにも具合の悪い人がいた。そうした中で、かけもちでお見舞いに行ったり、手伝いをしたりしているときに、自分には技術がないことを思い知ったんです。秘書の仕事を続けながらではあったのですが、しっかりと看病をしたいという思いが強く、秘書の仕事を辞めて介護に専念することにしたのです。
でも何はともあれ、存分に父の介護ができなかった悔しさや、父の気持ちに寄り添えなかったという、私自身の気持ちをほぐすこともできなかったんです。父の病状が進む中、父が奇行をすると、それに対して、怒ってしまうんですね。「どうしてそういうことをするの」って。今なら、なぜ、そうしたのかわかるんですけれども、当時は理解をしえなかった。
父にしてあげられなかったことを、人に返していきたい思いが募り、父の他界を機に介護職になりました。もちろん、自分の人生を、悔いを残さずにやりきりたい、自分がこれから先にそうしていきたいというのもあります。どっぷりと介護の世界に入って、10年経ちました。
長い人生で突き刺さったトゲ抜きをしてあげたい
人生長く生きてこられた方々は、たくさんのトゲを刺しているんですね。痛い思いをして生きてきているんです。そのトゲ抜きを自分ができるのであれば、その日その日を楽しいという思いで、残りの人生を過ごして欲しいんです。よく、「片付いた」という言葉の使い方をしますよね。とってもそれが失礼だと思うんです。一生懸命に生きてこられた人たちだから、「全うした」って言っていただきたいし、私たちができる限りのことを寄り添うことによって、いい状態で、「本当によかった」と言って上がっていただきたいというのがあります。
利用者さんと接していると、認知症の方でもふっとした瞬間に真顔に戻るんです。「本当にありがとう」って言われる、その言葉をいただけるのがすごくありがたいです。まだまだ自分がすごく未熟なんですけど、ほんのわずかでも寄り添う時間があって、その方が少しでも心地いいと感じていただける時間を過ごせるのであれば、逆に、救いがあります。自分がここに居てもいいのかなと言うのはおかしいけれども、寄り添えてよかったと、心の充実感や達成感がこの仕事にはあります。いろいろ関わらせていただいた中で意味のある瞬間かなと思います。