介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第53回 介護と踊り「いのちといのちのやりとり」がそこにある。
赤の他人だからこそ、自分にどこまでできるのか、何ができるのか試されている。
山田有浩さん(33歳)
府中市在宅障害者の公的介護保障を求める会「ブルーコーヒー」(府中市)
自薦ヘルパー・ヘルパー2級
取材:あくつようこ
自分が生きてくなかで一貫して問い続けていきたいこととつながるようなこと
学生時代に、水俣病とかハンセン病とか難民問題に関心があったんです。社会的に声を上げることが困難だったり、歴史からなかったことにされていく人たちとか。障害の有無ではなくて、その存在自体に不思議と惹かれるところがありました。それと、大学では「なにを学ぶか」よりも、最初から就職を考えていくような流れがあって、既存のスタイルで働くっていうことに実感がわかなかった。
2011年から、踊りをやっています。舞踏家の「室伏鴻」らの作品に出ながら、国内外でソロ活動を行ってきました。自分にとって踊りでやろうとしていることの根幹は、「いのちといのちのやりとり」をすること。ほかのアルバイトしながら踊りをやっていたんですが、踊りで探求していることと、アルバイトで仕事をしていることにすごく溝があった。段々ときつくなってきて、「このやり方だと、とてもじゃないけど続けられないな」と思って。ただ、それでは当然食べてはいけない。「なにかしらの仕事はやらなきゃいけないけど、自分が生きてくなかで一貫して問い続けていきたいこととつながるようなことじゃないと、ちょっときついな」と思っていました。
いのちが踏み出した一歩を引き受けてなきゃいけない
新宿駅の地下構内、ものすごい人が溢れている通勤ラッシュの時間帯に東口改札から西口改札までの長い距離を、盲目の方が杖をトントントンやりながらゆっくりと、でも立ち止まることなく一人で進んでいるんです。この人の波のなかを、杖一つでそこに入っていくっていう孤高の姿が、自分にとっては「事件」のように感じられた。彼にとってはいつものことなのかもしれないけど。
たとえば、人類以前の生物が初めて海から陸に上がって行くってことは、過酷な環境にあえて身をさらす覚悟を持って、命がけで陸の上に出て行ったということ。最初は足なんてなくて身体を引きずって這うようにして出て行ったはず。踊りの一歩って、その、いのちが踏み出した一歩を引き受けてなきゃいけないと思っているんです。新宿駅の、ものすごい人の波のなかを、なかば平然と向かって行くその孤高の姿……。彼が引き受けているものに、自分にとっての踊りの一歩に近いモノを感じたんです。
踊りでやっていることと介護が自然につながっていた
2011年から1年間、知人の農家で農業をやっていました。農業は自分が踊りで探究していることと連動してできていたんだけど、制度化された生産システムに乗って作物を扱わないと成り立たない。それは自分が感じるような「いのちの扱い方」ではないな、というのが、やっていくにつれて見えてきた。もしやるとしたら別のカタチでやるほうがいいんだろうけど、今の自分にはまだそこまでやれない。
そこで、介護の仕事は、資格を取らなきゃいけないし、最初は選択肢としてなかったんだけど、たまたま時間のある時期があって、やってみようと。
2013年、ヘルパー2級を取るとき、研修で老人ホームに行きました。老人ホームでおじいちゃん・おばあちゃんと接していて、おじいちゃんの、ふとした身振りに見入ってしまった。一人ひとりの方がそれぞれに重ねてきた歳月、歓びや哀しみ、たくさんの記憶や想いがそれぞれの身体に集積していて、そこから無意識にスッとこぼれ出てきちゃう身振りがある。そのピュアな身振りが、すごく愛おしく感じる瞬間があった。それが自分にとっては惹きつけられるところで、自分が踊りでやっていることと介護が自然につながっていった。
介護には、人生のレッスンみたいなところがある
訪問介護で週に2日行っていたおじいちゃん、江戸っ子のじっちゃんで、気の合わない介護者は切っていっちゃう人だったけど、僕には信頼を寄せてくれていた。
ある冬の寒い日の朝、いつものように訪問しても返事が返ってこなくて、「あれ?」って思いながら入っていったら、亡くなっていたんです。僕が第一発見者。もちろん、そういう状況だったから急いで電話して、救急車やケアマネジャーさんが来るまでの間、心臓マッサージしたり。救急車とケアマネジャーさんが来るまで20分くらいあったのかな……。その彼と一緒に過ごした20分が、自分にとってはものすごく深くてかけがえのない不思議な時間で。心臓マッサージとかはしたんだけど、もう無理だなってなってから、そっと手に触れてなにか語りかけていたのか、語りかけていなかったのか、あまりよく覚えていないけど。カーテンが揺れていたのは覚えてる。そのとき、すごく優しい、穏やかで静かな20分を一緒に過ごした。
今にして思えば、亡くなる前あたりから、特にことばで説明しなくとも、ただそばにいるだけでなにかしらのコミュニケーションができていたような時間があったのが、とても大きい。いまだに、自分のなかにそのじっちゃんがいるという感じ。身寄りも、親戚もいなかったから、はっきり言って孤独死ということになるんだろうけど、僕が来るときに亡くなってくれていたのが、なんかすごく嬉しかったんですよ。勝手だけど、自分にとっては孤独死じゃないように感じられて。
人のためになにかをやってあげるとか、そんなものは偽善だと思ってる。そのじっちゃんと過ごした20分とか、人との関わりのなかで愛おしく感じられる時間だったり、受け取るもののほうがすごく大きい。そういう意味でいうと、あまり仕事だと思ってないかもしれません、僕は。踊りの稽古とか、人生のレッスンみたいな感じがある。自分が生きていて知りたいこととか、なんか分からないけど触れてみたい瞬間とかが、そこにあるっていうこと。
人間を信じられなくとも、それでも信じなきゃ生きていけない
高齢者介護では、頑固で、どう手をつけていいか分からないような人とのやりとりも、いかに面白みを見出してできるかな、と思ってやってます。たとえば戦時中から思考方法が変わってないような頑固じじい。人に辛くあたったり、そういう不器用な生き方も、彼の重ねてきた歳月があっての証みたいなもので。こっちもイラッとするときはあるんだけど、「あ、でもこれがニンゲンだよな」って、愛おしさを感じる瞬間があったりする。その人が重ねてきた歳月に対する想像力って大事だし、その人の人生をいかに肯定的に受けとめて、もっと言うと、ささやかな祝福のように、何気なく介護するとこまで持っていけるか。
脳性まひの方の自薦ヘルパーもやっています。施設から出て自立生活をしている本人が事業主となり、自分でヘルパーを雇うのが自薦ヘルパー。踊り関係の友人がそこでヘルパーをやっていて、紹介されたのがきっかけです。それまでの介護と違って、決まったシステムなどなく、その都度、自分たちでやることを考えていかなければならない。面白そうだと思い、やってみようと。
脳性まひの彼は、生まれてこのかた、自分で排泄することも自分でごはんを食べることもできない。それでも自立して生きていく道を選んだわけで、人にどんどん関わってもらわないと生きていけない。相手を信頼できようができまいが、自分の身体を全部、相手に預けて、明け渡していかなきゃ生きていけない。だから、信頼っていうことばの意味が、ちょっと僕には計り知れないところがあるなって感じる。
ヘンにダンスとか見ているより、彼らを見ているほうがよっぽどすごいっていうか。よほどの覚悟や諦めを経ていないと、できるもんじゃない。こりゃ勝てねえなって。踊りとしてというより、そこにむき出しで存在していることの説得力として。でも本気で真摯に生きようとすると、そうならざるを得ないんじゃないかな。それは障害の有無にかかわらずなんでしょうけど。
呼吸できる場所
「これからの時代、介護ってほんとに大事ですよね」って言われるけど、人間だけじゃなく、いのち全体の尊厳がぞんざいに扱われているようなこの時代で、介護っていうのは、むしろ「反時代的」なことをしているんじゃないか、って感じることがある。これだけ、いのちが見て見ぬ振りされたり、傷ついてゆくことが多い時代に、介護をしたり踊ったりすることは、そのことへの自分なりの「異議申し立て」というのはある。どんどん情報化社会になってゆくなかで、あえて身体を通じて関係を取り戻していく。この時代はすごく息苦しいんだけど、介護とか踊りは、人と人との関係を結び直してゆく、いのちに対する信頼を取り戻してゆくための、呼吸できる場所っていう感じがあるんです。
介護などやりたくなくともやむにやまれず、追い込まれながらやっている方々がたくさんいるのも知ってるし、きれいごとだって言われるかもしれない。結局は他人ごとだから言えるんだ、って。もっともだと思います。でも、他人だからこそできることや、生まれうる関係性、互いに受け取れるものもあると思っています。むしろ、赤の他人だからこそ、自分にどこまでできるのか、何ができるのか試されている。もっと多様で真摯で切実な「きれいごと」が語られていいし、そうやって人と向き合える他人が介護の業界に増えてゆくことも大事なんじゃないか、と思ったりします。
インタビュー感想
大学時代には哲学をやっていたそうで、なるほど、と思いました。介護も踊りも、山田さんにとっては、「いのちの一歩を引き受ける」こと。「その人の人生をいかに肯定的に受けとめて、ささやかな祝福のように何気なく介護するとこまで持っていけるか」ということばは、踊りという表現を探求しながら介護を続ける山田さんだからこそ言えることばだと思います。いま、過酷な介護に追い込まれている人もいるからこそ、多様で真摯で切実な「きれいごと」がもっと語られていいんじゃないか。「踊り」や「介護」を通して、「むき出しのいのち」に向き合っている山田さんのことばに、「介護」と「私」と「他者」を結ぶものの多様性と可能性を感じた取材でした。
- 【久田恵の眼】
- なぜ「介護」の仕事に自分は惹かれるのか、それを言葉にするのはむずかしいことです。でも、介護は、他者の「生身のいのち」と日々向き合う仕事ですから、「介護ってなんだろう?」との問いが、誰の心にもよぎる時があります。山田さんが常に自分に発している「踊るとはなにか?」に呼応するものを介護の仕事に見い出し、きちんと言葉化し得ていることに衝撃を覚え、心が打たれます。
介護の現場は、それぞれがそれぞれの「自分にとっての介護とはなにか?」を無意識にも、必死で探している独特な場所なのかもしれません。