介護職に就いた私の理由(わけ)
さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。
花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/
- プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ) -
北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。
第48回 お年寄りの笑顔に惹かれて新卒で介護職へ
その方の最後の人生が、もっと楽しく穏やかになるお手伝いがしたい。
山﨑友加里さん(26歳)
ハピネスあだち(東京都・足立区)
社会福祉士/介護福祉士/サブフロアリーダー
取材:原口美香
「もっとこの方たちを知りたいな」と思ったのがきっかけ
山形生まれの山形育ちなので、幼少期はのびのびと過ごしました。家族は、両親と兄の4人です。末っ子だったので、周りの人によく甘えていました。でも、自分より小さな子たちと接しているときに、頼られる自分を発見して、守ってあげたいなと思うようになりました。それで、将来は幼稚園の先生を目指すようになったのです。その夢はずっと変わらず、幼稚園教諭の資格が取れる大学に進学しました。そこでは社会福祉士の資格も取れたので、幼稚園教諭のための勉強もしながら、社会福祉士の勉強も続けました。
実習に入るとき、「今までは小さな子を見てきたので、今度は逆にお年寄りを見てみたい」と思い、デイサービスに行ったのです。朝、お年寄りが集まってきて、レクリエーションなどをして過ごし、夕方お帰りになるというものです。その中でいろいろな方と触れ合ったのですが、みなさん笑顔がすてきで、失礼ですけど「かわいいな~」と思いました。子どもたちに通じるような魅力を感じたのです。「自分は、人と接することが好きだったのだな、もっとこの方たちを知りたいな」と思ったのがきっかけでした。
実際、介護施設に就職を決めたときは、両親や周りがびっくりしていましたが、両親は「自分の好きな道を選びなさい」と背中を押してくれました。
もっと寄り添って考えられるな、という思いが強かった
私は最初からこちらで、勤めて5年目になります。最初の配属先はショートステイでした。ショートステイは2~3日、長くても1週間くらいの短い単位の利用なので、もっと関わっていたいなと思いました。やっぱり、自宅に帰ってしまうと、私たちはご家族にはかなわない。ずっと一緒にいられれば、もう少し深く関われて、お食事の形態や生活のリズムなど、もっと寄り添って考えられるな、という思いが強かったのです。
その後、マネージャーから「上の階(特養)に異動して頑張ってみてほしい」と言われ、特養にきて3年目です。ここはユニット型で、すべて個室になっています。一つの部屋にトイレ、洗面所がついています。一つのフロアには5つのユニットがあって、一つのユニットには10個の個室があります。ワンフロアに計50個ですね。そのユニットが一つの生活区域です。町内会みたいなイメージですね。
お食事はユニットごとに、食堂のようなところで召し上がります。施設内の厨房で作っているのですが、ご飯は各ユニットで炊く決まりで、温め直してユニットで盛り付けをします。ご飯の炊ける匂いで「ご飯炊けてきた~、そろそろお昼ですね」などと会話のきっかけにもなりますし、その匂いや、用意する食器のカチャカチャという音は家庭のものなので、そういうことを大切にしています。そのほうが食欲もわいてくるでしょうし。お皿洗いなどは、利用者の方が「私、やるよ」と言ってくださるときもあって、お願いしたりもしています。
こんなに感謝されるんだということが驚きでした
お風呂は、昔は大浴場で大人数をいっぺんに介助していたと思うのですが、こちらでは、一人の介助者が一人を最初から最後まで介助しています。普段はあまりおしゃべりしない方でも、お風呂に入っているときは、お話ししてくださるのがうれしいですね。
昼間はユニットの10名に対して、大体2名以上の介助者が配置されるようにしていますが、お風呂の介助が入ってくると、10名を1名でみることもあります。夜は3名でフロアの50名をみるのですが、人が少ない時間はあらかじめ早めに動いたりするので、それほど大変だと感じたことはありません。
特養は楽しいです。やっぱりメンバーは決まっていますので、毎日見ていれば「この方はこういう傾向があるのだな」とわかってきたり、逆に入居者の方も「昨日も見た人だ」とわかってくださる。それに、毎日「ありがとう」と、ものすごく言われるんですね。例えば靴を履いていただいただけなのに、こんなに感謝されるんだということが驚きでした。認知症のある方でも、私を知らなくても、挨拶は絶対に返してくれる。みなさんに優しくしてもらっていますね。信頼関係が築ければ、いろいろ楽になってくる面もありますし、毎日が大きな思い出という感じです。
一番大好きなこれ、あげるよ
少し前に、入籍しまして、認知症のある男性の入居者さんに報告したんですね。「私、結婚したんですよ~。苗字が変わったんですよ~」って。もしかしたら通じてないかなと思ったのですが、今まで目を瞑(つむ)っていたのに、パッと目を開いて、顔を真っ赤にして「そうか~、よかったな~、よかったな~」と言ってくださって。その方はいつも指しゃぶりをして「うまいな~、うまいな~」って言う方だったんですけれど、その大事な指を「一番大好きなこれ、あげるよ」って。その方なりにお祝いをしてくださったのだと思ったら、うれしくて涙が出てしまいました。
最近、その方が亡くなってしまったんですね。とても穏やかな最期で、コーラが大好きだったので、口に含ませてあげたら、一口チュッと吸って、そのまま息を引き取られました。看取ることができてよかったのですけれど、私は送り出す務めを任せてもらえていたので、悲しみよりも先に、次の段取りのことを考えてしまったのです。もちろん、それは事務的な手続きや、やらなければいけないことだったのですが、自分でも悲しく思いました。それが心残りです。
その方のお部屋で「お別れ会」をするんです
看取りとなると、こちらも最期の準備を迎えているのだな、というのがわかってきます。昨日まで元気だった方がいきなり今日亡くなるっていうのは、それほど多くないんですね。例えば、あまり召し上がらなくなる。今まで自分で食べていたのが、食事介助が必要になり、目も口もだんだん開かなくなって、反応が鈍くなって・・、というようになります。
ご家族の方には、ここで亡くなることを希望されるか、病院で最期まで治療を続けられるかの意向確認をします。「ここで最期を」と希望されれば、病院の先生とご家族と職員で「看取りの同意書」というものを交わします。苦痛を取り除くことはするけれども、積極的な治療はしない、ということに同意していただくものですね。それから、ご家族も私たちもその上で、何をしてあげられるか、ということを考えていきます。無理矢理お食事を取らせないようにしたり、遠方の方で、会いたがっていた方に来ていただいたり、好きな音楽をかけたりなど、その方が好きなものに囲まれて亡くなることができるよう、職員同士も情報を共有して、そういうものを大切にしていると思います。あとは、お一人で旅立たれてしまうのは、こちらも寂しいので、できれば、ご家族と一緒にと思うので、こまめに連絡はとっています。
亡くなられたら、ご家族と一緒にお身体を拭いて、お着替えをして、お化粧をします。きれいになったところで、ここでは、ユニットの方を中心にその方のお部屋で「お別れ会」をするんです。「ユニットの仲間は家族同然」と私たちは考えていますので、もちろん、無理強いはしないのですが、お一人お一人、お顔をみて、お線香をあげていただくのです。
「お別れ会があります」という館内放送をかけて、他のユニットや、他の階のみなさんにもお知らせします。亡くなることは寂しいことですが、最期をみなさんに送ってもらえたら、ご本人もうれしいでしょうし、私たちも、「あの方、亡くなっていたの?」と後で知るのはやはり悲しいことなので。「今までありがとう」っていう感謝の言葉も伝えたいですし。もちろん、嫌な方や心配な方はこちらで配慮しながらですが、「隠さないで、みんなで」というのが温かい介護なのかな、とも思います。それで、「裏口からひっそり」という形ではなくて、正面玄関からみなさんに手を合わせていただいて、お見送りします。
これから先、実務経験5年が経過すればケアマネジャーの受験資格が得られるので、それが取れればな、と思います。自分の強みにもなるでしょうし、自分一人でできないことも、中間役であれば、いろいろな方のさまざまな要望を叶えられる紹介ができるのではないかと思っています。そして、利用者の方の最後の人生が、もっと楽しく穏やかになるお手伝いをしたいですね。でも、実際に現場で関わったほうが楽しいので、今はまだ迷っています。ケアマネジャーの資格を取っても、できるところまで現場で関わっていきたいと思います。
インタビュー感想
施設が建ってちょうど10年目になる「ハピネスあだち」は、20代から30代のスタッフの方が多いそうです。取材にうかがった日は、夏祭りの踊りの練習の最中で、施設全体が活気に包まれていました。イベントは1年を通して大きなもの、ユニットごとのものとたくさんあり、ときには施設外の飲食店に食事に行くこともあるのだとか。「『楽しかった』と言ってもらえるのなら、どんどん楽しいことをやりたい」という山﨑さん。その腕には、マジックによる走り書きがいくつもありました。明るく一生懸命で、自分と正直に向き合っておられる方だと思います。
また、看取りのお話や、施設全体で行われる最期のお見送りのお話、食事の際の匂いや音にこだわるところなど、細やかなところまで配慮がされている施設なのだなと感じました。26歳と、まだまだ若い山﨑さんの今後のご活躍が楽しみです。
- 【久田恵の眼】
- 新卒で介護施設に就職した山﨑さんは、目下、介護職として進化中。すべての体験を吸収していく初々しさ、素直さが、素敵ですね。老人ホームにはいまだ、古いイメージが付きまとっています。病院の大部屋のような環境で、プライバシーもないと考えている方が多いのが現状です。けれど、介護保険が施行されて16年、新型特養と呼ばれるユニット型の施設がどんどん増えています。新設される特養施設は、個室であることが設置基準に盛り込まれてもいます。
ユニット型は、高福祉国スェーデンの方式にならったものですね。
ユニット型にすることで、入居者のプライバシーを保障し、家庭的な環境を保持し、個別介護を進めていく方向へと向かっています。いずれ施設での看取りも当たり前になっていくことでしょう。そのために介護職の専門化もさらに進んでいくことになり、よきリーダーが求められています。山﨑さんのような若い世代がこれからの介護新時代を担っていくのだと思うと心強く思われます。